フォルトリエ戦記

久保晃

第1話

 しん、とした静寂が広がっている。

 かなりの大きさがある謁見の間に今いるのはたった三人で、ならばその静寂もやむを得なかった。

 入り口から奥に向けて、中央には赤いカーペットが長く敷かれ、その終着点は一段高くなっている。華やかさや煌びやかさはあまり見受けられないが、壇上に置かれた椅子や広間の壁、柱などを含めた建築そのものに深い歴史が感じられた。


 その壇上で、背もたれの長い椅子に深く腰掛けている金髪碧眼の少年が、フォルトリエの現国王。エミリエル・セルジャック・ヴァレミ・フォルトリエである。

 先日十二になったばかりの若き王は、一段下に控えた青年に目をやった。跪いて彼を見上げるその顔は、驚きに満ちている。


 「――はあ?!」


 声は一瞬遅れて発せられた。一回り以上年下とはいえ、自身の仕える国王を前にして出していい声でもなかったが、この広間にいるのは彼ら二人ともう一人、エミリエルの叔父だけである。

 慌てて口をつぐむ青年に気にするなと微笑を浮かべてから、少年王は叔父を見た。

 もう五十近い年齢だったが、まだまだ老いのようなものは感じない。国王の叔父、ヴァランタン・サミュエル・サルナーヴは一歩前に出る。


 「ならば、リュカ・デジレ・アッシュ。貴殿のところにバラスト殿からの連絡はないと言うのだな」


 問い詰めているつもりはなくともそう聞こえてしまうのは当然だ。

 だが、当の青年――リュカは数秒逡巡した後、あっけらかんとそうですね、と答えた。


 「俺にしてみれば、あの親父殿が王城への定期報告を怠っていることが驚きですが。本当に十五日間も消息が知れないと?」

 「その通りだ。だからこそ、内密に貴殿を呼び出させてもらった」

 「それは別に構いませんが……」


 思わず脳裏に父の顔を思い浮かべる。それからいくつかの可能性を逡巡して、それらを否定するまでにかかった時間は長くはなかった。


 「心当たりはないか?」

 「そう言われましても」


 ヴァランタンの問いに、リュカは打ち消した答えを反芻し、結局のところ再度否定する。


 「お二人とも、親父殿をご存じだと思いますが、あの通りの人です。何かあったとしても、大抵のことは自力でどうにかできると俺は思っています」

 「……相違ない」


 リュカの答えに、微かに口角が上がった気がした。軽く咳払いをし、ヴァランタンはエミリエルを見る。リュカもまた少年王に視線を戻した。


 「ですが、あの親父殿が自力でどうにもできないようなことが起きたのだとしたら――むしろ俺たちには何もできないかもしれません。せいぜい調査する程度でしょう」

 「それは過小評価というものではないか?」


 悪戯っぽい表情を浮かべた国王に、勘弁してくださいと苦笑する。


 「問題は、それがフォルトリエまで飛び火するかどうかです。何かあったのだとしたら、その何かがヴールとイリャルギの間で終わるかどうかの調査は必要と思います」

 「わかった。調査にはいつも通り銀翼騎士団に動いてもらう予定だ、準備しておいてほしい」

 「承知しました」


 頭を下げ、立ち上がって敬礼をすると、リュカは踵を返した。その背中に、エミリエルが声を掛ける。


 「バラスト殿は、若輩の私を本当によく助けてくれている。きっと無事でだと信じているが、もしも連絡があった時には、私にも教えてほしい」

 「親父殿が聞いたら喜びます。承知しました」


 もう一度振り向いて、一礼。そして改めてヴァランタンにも一礼すると、リュカは広間を後にした。


 謁見の間を出て短い階段を下るとすぐに吹き抜けの二階部分に出る。そこからさらに階段を下りると、一階の大広間だ。様々な人たちが行きかうのを横目に右の廊下を行けば、突き当りに大き目の扉がある。開きっ放しになっているそこに入って、一番中庭に近い席に彼は腰を下ろした。


 「いらっしゃい!久しぶりだね、リュカ坊ちゃん!」


 威勢のいい声に首だけで振り返る。王城内の食堂を切り盛りする、恰幅のいい姿が目に入った。


 「グレースさん、久しぶり」

 「いつもの食べてくのかい?」

 「ちょっと時間が中途半端だからいいや。飲み物だけもらえるか?」

 「あいよ、グランジェの茶だね」


 銘柄をわざわざ言わなくても、食堂の主はこっちのことをしっかり覚えていてくれている。日頃から王城に勤めている警備隊のみならず、騎士団員達にもここが人気なのがよくわかる仕事振りだ。

 改めて中を見回すと、もう夕方に差し掛かろうかという時間帯のせいか客はまばらだった。


 ほどなくして、目の前に湯気の立つカップが置かれる。一緒に出された小皿には、クッキーが二枚乗っていた。目礼で感謝を伝え、それを齧る。香ばしい木の実の香りが鼻に抜けた。

 ふと目線を上げると、食堂の壁に掛けられた大陸の地図にあたる。それをぼんやりとながめながら、リュカはひとり思案を巡らせた。


 大陸の西側を含め、中央あたりまではリュカたちの国フォルトリエがある。東側には工業で栄えた国ヴール、北側に草原と馬の国レイモン、南側に魔導帝国マギサという三つの大国を擁しながらも、肥沃で広大な土地と農業、そして商業により栄えてきた大国がフォルトリエだ。


 多少の小競り合いはありつつも、数百年間大きな戦争が起きることなく大陸は平和を保っていたのだが、突如としてヴールがイリャルギという国に攻め入った。それが、今から五十五日前のことだ。

 イリャルギはマギサとヴールに挟まれた場所にある小国で、その国土のほとんどを森と湖が占めている。人口も少なく、フォルトリエの王都フィエルテや、ヴールの首都ヴィットベルクのような大きな都市もない。

 小さな集落が寄り集まっているような国に、なぜヴールは攻め入ったのか。それは今も謎のままだった。


 「おやおや、場違いな騎士がひとりで考え事かい?」


 不意に嫌味な声が耳をすり抜けていく。反射的に一瞬そちらを見ようとしたリュカだったが、何とか首の筋肉を押しとどめることに成功した。できるなら視界にも入れたくない。


 「まったく、陛下も何をお考えかねぇ。もとは国の立役者か何だか知らないが、今となってはただの金食い虫でしかない騎士団を王城に入れるなど。それともよほどの差し迫った事情でもおありか」


 よく回る舌だ、と思いながらカップを傾ける。変わらずいい味がしたが、こんな気分で飲むこと自体、グレースの淹れた茶に対して失礼な気がした。

 正面にわざわざ移動してきた嫌味の主が、さらりと髪を掻き上げたのが目に入る。はあ、と溜息をついてリュカは口を開いた。


 「そっちこそ一人じゃいつもの嫌味にもいまいちキレがねぇな、ザール。とうとう取り巻き共にも愛想つかされたのかよ」

 「なっ」


 言葉に詰まりながらも、ザール・ロワイエ・デルバンは言い返そうと息を吸う。その合間を見逃さず、矢継ぎ早に続けた。


 「まあ俺としても、お前の所属する王都警備隊に任せてさっさと隠居でも蟄居でもしてぇさ。警備隊どもが俺より腕が立つってんなら安心して引退もできるってもんだ、なあ?」


 かしゃん、と腰の剣を揺らし挑発的に相手を見上げる。

 騎士学校で同級の二人だったが、その仲は非常に悪かった。片やフォルトリエ建国時から続く名家の三男、片や現在においてフォルトリエの商売を牛耳る商工会、その重鎮の孫。

 アッシュ家が伝統と格式を重んじる側ならば、それを維持できているのは自分たちの金のおかげだと叫ぶ側が商工会である。

 怒りにか屈辱にか――それもリュカに言い返される時はいつものことだったが――震えるザールは、やおら鞘ごとの剣を手に声を張り上げた。


 「上等だ!貴様、いつまでも騎士団があると思うなよ!我々の尽力がなければその形を保つこともできない金食い虫の分際で!」

 「目障りな虫一匹殺せもしねぇ警備隊がいくら吠えたところで痛くも痒くもねぇな」

 「言わせておけば!かび臭い旧家の三男坊の癖に!」

 「そんなに新しいもんがいいってんならデルバン家の名前も捨てて、新しい家名でも名乗ったらどうだ?」


 苦笑を顔に貼りつけたまま、ゆっくりとリュカは立ち上がる。身長差はそれほどないが、それでもザールの方が少し高い。それを確認してから、ち、と舌打ちをひとつして続けた。


 「そういやこないだは趣味の悪い一張羅、半分にしちまって悪かったな。今日のそれは裂けてもいいやつか?」

 「趣味が悪いだと!あのセンスがわからんとは、やはり貴様かびの生えた感性しか持ち合わせていないようだな」

 「あんな前だか後ろだかわけわかんねぇ服を有難がるような新しい感性なんか願い下げだぜ」


 吐き捨てるように言った時だ。遠くからでもわかる、地響きのような足音が聞こえてくる。

 血色ばんだザールの顔は一瞬で青ざめ、リュカもまた所在無く視線をさまよわせた。


 「おうおう、威勢のいいことだのう。外まで聞こえとるぞ、お主ら」


 足音に恥じない巨体がゆらりと食堂の入り口に現れる。豊かに蓄えた口ひげと、正反対に禿げ上がった頭。柔和な笑みを浮かべながらも、その奥には呆れを宿している茶色の瞳に見られ、二人は思わず顔を見合わせた。


 「ティエリー団長、その、これは、あの、その」

 「将軍、ちょっとじゃれあってただけですって」

 「ほう?」


 しどろもどろになるザールに、一応の助け船を出してやる。こくこくと頷く彼を見て、足音の主はにやりと笑った。


 「ならいいんだがのう。この間のように、中庭で剣を抜かれでもしたら」

 「陛下のご心労を増やすことになりかねないでしょう?」


 ティエリーの言葉を引き継いだ声は、彼の後ろから聞こえる。


 「ノ、ノエル団長まで!」

 「いやあ、こないだのあれはさすがにまずかったとは思ってて」

 「本当でしょうね?」


 ずいっと顔を近くに寄せられ、リュカは目をそらした。

 何か言いたげだったノエルはまあいいわ、と微笑むと、ザールの方へと向き直る。


 「仲がいいのもけっこうだけど、時と場所を選びなさいね。それから、この子ちょっと借りるけどいいかしら?」

 「は、はははははい!どうぞ!」


 騎士団一、いやフォルトリエ一の美女と言われるノエルに至近距離で懇願されてしまえば、たとえ相対する商工会の重鎮の孫だろうが何だろうが抵抗できるわけはなかった。

 青ざめた顔を、今度はまた一瞬で真っ赤にしたザールはぐいぐいとリュカを差し出す。

 お前な、と文句を言おうとして、リュカは口をつぐんだ。目の前のノエルと、笑うティエリーの二人ともの目に、真剣なものを感じたからだ。

 小さく息を吐いて、リュカは二人の団長につき従うように食堂を後にした。

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