4・雨宮健司

 俺にもようやく理解できた。

 小僧が逆だと騒いでいた時には、何の意味か分からなかったんだが。そんな風にすれば、一人で鴻島一族を殺せるんだな……。

 警察でも分からなかったトリックを見破ったとは、大した小僧だ。

 ただ、こうして捕まってしまったらもう役には立たない。時間稼ぎも続けられないし、続けたところでこの状況から逃げ出せる希望もない。

 俺たちはどうせ死んでるからかまわないが、まさか斉藤君を殺させるわけにはいかない。

 どうすりゃいい……?

 誰かを呼ぶか?

 だが、どうやって……?

 そうこうしているうちに、下の倉庫から二人が上がって来た。里崎に命じられて、倒れたもう一人を運んでいく。斉藤君は、抵抗もできずにその後についていった。拳銃で脅されているんだから、仕方ない。

 抵抗なんかするんじゃないぞ。

 小僧が斉藤君に話しかける。

「今は抵抗しないで。何とか助けを呼ぶから」

 俺の意見と同じだが、問題は方法なんだよ。人を呼ぼうにも、声は出せない。電話もネットも切断されてるから、警察にも通報できない。姿さえ見えないんだから、どうしようもないじゃないか……。

 俺は言った。

「パソコンを探して警察にメールしてくれ。もたもたしてると手遅れになる」

 お局も言った。

「あ、隣の公民館! あそこにならパソコンがあるはず!」

 小僧が言った。

「メールはここから打つ」小僧は三男のジャケットのポケットを指差した。「こいつ、iPhoneを持ってるんだ。だけど、歩いているうちは操作しにくくて……」 

 なるほど、盲点だ。こいつも、それには気づかないだろう。

 お局が言った。

「それなら110番しちゃえば?」

「つながっても、幽霊の声は聞こえない。代わりに、警察の返事がこいつに聞こえちゃったら、iPhone使ってることがバレちゃうじゃん」

 お局がうなずく。

「そうか……それじゃ、すぐ切られちゃうもんね。じゃあ、あたしたちは時間稼ぎに専念すればいいのね?」

「そうなんだけど、メールの通報で警察がすぐに動いてくれるかどうか分からないし……」

「じゃあ、どうすりゃいいのよ⁉」

 会長が小僧に言った。

「君はスマホも操作できるんだね?」

「当然。でも、どうして?」

「営業部には全員に支給している。個人用と2台持つのが面倒で、会社に置きっぱなしにしてる社員もいると聞いた。見回って探してみよう。社内連絡網も組み込まれておる。メールが入るとサイレン音が鳴る設定になってるんじゃ」

「それなら社員みんなに警察に連絡するように頼める!」

「スマホを探してこよう」

 会長は猫を抱いたまま、一人で姿を消した。

 俺たちの一団は倉庫に入った。小学校の教室ぐらいの部屋だが、壁の片面にはインクの缶と溶剤がズラリと積んである。最近の印刷では水溶性のインクなどを使って作業員の健康管理に気を配ったりするが、鴻島では重視されていなかった。昔ながらの引火性の溶剤を使う方が原価も圧縮されるし、仕上がりもいいのだ。植物性の大豆インクも使ってはいるが割合は少ないし、燃えることに変わりはない。倉庫が火事に弱いことは否定できない。

 営業だった俺は滅多に倉庫に入ったことがなかったが、幽霊になった今見ると、何だか懐かしい気がする。他にも、雑多な印刷用品が反対側に並べられている。

 床には、刑事が二人横にされていた。

 里崎が部長たちに命じた。

「そんなにきっちり並べるな。もっと自然に、乱雑に転がせ。煙で逃げ場を見失ったように見せかけろ」

 二人の男が、言われるままに倒れた男たちの姿勢を直す。

 動きを止めた里崎の身体に小僧が顔を突っ込んだ。スマホを操作しているんだろう。さっさと警察にSOSを送ってくれ!

 と、里崎がにやりと不気味な笑いを漏らした。

 何か企んでいるのか⁉

 思った通り、ジャケットの内ポケットから何かを取り出す。注射器だ! 二本目も隠していたんだ!

 お前ら、危ないぞ!

 と思っているうちに、里崎は二人の背中に素早く注射器を突き立てていった。部長が振り返って何かを言おうとしたが、言葉にならないうちに気を失って倒れた。

 三人の刑事と経理部長が、みんな倒された……。残ってる人間は斉藤君だけだ。里崎が斉藤君ににじり寄る。

「さて、生き残りは一人だけだぞ」

 相手を怯えさせるオーラを吐き出す。

 まずい!

 だが斉藤君は言い放った。

「可哀想な人……まわりの人を、みんな不幸にしていくのね……」

 里崎は動じない。注射器を構える。中には、まだわずかな液体が残っている。

「だからのし上がれた。この会社もこいつらと一緒に潰す。社長のガキに保険金が渡るなら、それも巻き上げる。リセットだ。なに、顔と戸籍を変えちまえばいい。新しいルートを造る準備も済んでいる。だが、お前は許さない。これまで大事に育ててきたルートを潰した張本人だ。一緒に消えろ」

 斉藤君が一歩下がる。

 お局が言った。

「何とかしなさいよ!」

 俺に言ってるのか?

 どうしろって言うんだよ⁉

 仕方なく、里崎に殴り掛かった。当然、身体を突き抜けて何の効果もない……と思ったら、里崎、注射器を突き立てようとした腕をだらんと下げた。

 その拍子に注射器を離した。注射器は放物線を描いて床に落ち、一回弾むとインク缶の隙間に転がり込んだ。

 ありゃ? 俺のパンチが効いたのか⁉

 里崎がつぶやく。

「何だ、急に……? 何で力が抜けた?」

 お局が叫ぶ。

「やったぁ! あんたが触ると、力が抜けちゃうんだよ!」

 斉藤君も俺をまじまじと見つめていた。

「すっごい……」

 は? なぜ、俺のパンチが効く?

 なんで、里崎だけに……あ、もしかしたら、こいつの感受性が強いからか? そういえば、こいつのオフィスで会った時も俺の気配を感じ取っていたみたいだった。勘が鋭い人間になら、俺でも力を及ぼすことができるのかもしれない……。

 と、斉藤君が漏らしたつぶやきを里崎が聞きつけた。

「なんだよ、幽霊の仕業か⁉ くそ……何もできないわけじゃないのか……。だがこれぐらいは屁でもねえ。可哀想だが、おまえには痛い思いをしてもらうしかない」

 里崎は銃を掲げ、斉藤君に迫る。斉藤君は部屋の隅に追いやられた。逃げ場が無くなる。

 俺はもう一度里崎に殴り掛かった。里崎も異変を何か感じたようだ。

「その手はもう効かねえ!」

 力を振り絞ったようだ。顔を背けて顔を腕で覆った斉藤君の頭に、銃の握りを振り下ろす。

 ああ……止められなかった……。

 お局が叫ぶ。

「なにやってんのよ⁉」

 そう言われても……俺だって、どうすりゃこいつを止められるんだか分からないんだ……。

 斉藤君は頭を殴られて倒れてしまった。

 気を失ったのか……?

 里崎の身体の動きに会わせて窮屈そうな姿勢でスマホを操作していた小僧が、背筋を伸ばして言った。

「よし、やっと終わった! 警察には助けてくれってメールを送った! 次の手を打つ。爺ちゃん探してくるから!」

 そして小僧は姿を消した。

 もうここで小僧ができることはない。警察に連絡するには、別の方法も講じておきたい。会長がスマホを探し出していれば、確実性が高まる。

 急げ!

 だが、里崎は次の手を打ち始めている。

 煤けてホコリだらけの壁に這っている電線を調べる。どこも古くなって変色している。里崎は一部を無理矢理引っ張った。四角い箱につながっていた線が引っ張られて、一瞬火花が飛んだ。元々漏電しそうな場所を探し当てたようだ。

 そして、内ポケットから小さな缶を取り出した。ジッポのロゴが入っている。オイルライター用の燃料だ……。

 まずい……本当に火を放って工場やみんなを焼き殺し、すべての証拠を消し去るつもりだ。

 止めなくちゃ……。だが、どうやって……?

 身体を抑え付けることはできないし、殴っても長くは動きを止められないし……。

 迷っているうちに、里崎はオイル缶の注ぎ口を立てて、中身を撒き始めた。電線の根元近くから始めて近くのインク缶まで、まるで水鉄砲のようにオイルを振りかけていく。オイルの〝導火線〟がインクまで達すると、オイル缶をポケットに戻して近くの壁の棚からマイナスドライバーを取る。ドライバーの先をインク缶の蓋に差し込むと、わずかにねじって蓋を持ち上げた。

 缶の中のインクに火が移れば、大きく燃え上がる。ズラリと並んだインク缶にも確実に引火する。それは火事というより、大規模な爆発になりかねない。

 床に転がった男たちや斎藤君が、確実に死ぬ。

 止めなきゃ……止めなきゃ……。

 お局が金切り声を上げる。

「止めなさいよ!」

「分かってるよ!」

 どうする……どうする……?

 どうすりゃいいんだよ……?

 里崎は止まらない。電線の元に戻って、室内の様子を確認する。四人の人間は全員、意識を失ったままだ。

 そして、笑った。勝ちを確信した笑いだ。再び電線を引っ張った。

 火花が飛んだ。

 電線から炎が上がる。小さい炎が床を這い進み、次第に大きくなっていく。炎がインク缶に達すると、いきなり大きな炎が吹き上がった。

 ああ……もう止められない……どうすりゃいいんだ……?

 お局の叫び。

「何やってんだよ! 火を消せよ!」

 できるわけないだろうが!

 俺だってただの幽霊なんだよ!

 ああ、斎藤君が意識を取り戻した。殴られた頭が痛むのか、首をかすかに振って目を開く。炎を見て、叫んだ。

「いや!」

 里崎はまだそこに立っている。斎藤君が目を覚ましたのを見て、つぶやく。

「そうだ。お前はここで焼け死ぬんだ」

 そして、もう一度銃で殴ろうと腕を振り上げた。

 反射的に身体が動いていた。

 俺は銃を振り上げた里崎の手にしがみついた。

 里崎も俺のことを感じたようだ。

「クソ! また幽霊か⁉」

 殴らせてたまるか! お前は俺が止める!

 お局。

「しがみつけ! 絶対逃がすな!」

 分かってる!

 すると、身体が里崎の中にめり込んでいった。里崎は銃を振り上げたまま動けない。

「この野郎……何しやがるんだ……」

 動けない……。

 ん? 里崎が動けない――?

 俺がこいつを止めているのか?

 なんだ、できるじゃないか! 里崎に俺の力を作用させることができるんじゃないか!

 俺は、どんどん里崎の身体の中にめり込んでいった。里崎の身体がどんどん強ばっていく。

「くっそぉ……何しやがるんだ……何か入ってきやがった……来るんじゃねえ! 入ってくんな! 動けねえじゃねえか……」

 おお、俺が里崎を止めている! 

 ……だけど、どんどん火が燃え広がっていく……。止めてるだけじゃ、みんな死ぬ……

 斎藤君がこっちを見ている。だがまだ、意識は定かではないようだ。立つこともできないようだ。

 このままでは、みんな死ぬ……。

 どうすりゃいいんだよ⁉

 お局! ぼんやりしてないで何とかしろ!

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