3・高山 治

 雷に打たれたような気分だった。『逆にしてみたら』――その一言が頭にしみ込んだ時、殺人トリックの謎が一瞬で解けたんだ。

 だけどすでに、僕らは里崎に罠に絡め取られていた。

 あっちゃー……本人のご登場か……。早すぎるよ……。

 拳銃持ってるし、革手袋で指紋が残らないようにしている。

 爺ちゃんが言う通り、やっぱり手強い相手だよね。いい気になって闘ってるつもりでいたけど、警察まで里崎の手のひらで踊らされていたんなんて……。

 大人って、ホントに汚い。でもそんな裏まで、ほんの十五歳の僕に見抜けるわけないっしょ。 

 最初に正体を現したのは、大竹っていう刑事の部下の鈴木。でも、里崎に注射打たれてぶっ倒れてやがんの。動物用の麻酔薬って、ケタミンかな。時々ミステリー小説に出てくる。ぶっ飛べるドラッグにもなるヤツ。

 鈴木刑事さ、家族を人質に脅されたのは同情できるけど、なんか中途半端。かっこわるいよ。

 でも、二課の榊は筋金入りの悪党みたい。大竹刑事にちっちゃい拳銃を突きつけて、悪びれるふうでもなく言い放った。

「なんでこんなことまで暴き出しちゃったんだろうね……。マネロンなんて一課の縄張りじゃないだろうが。全く、迷惑だったらありゃしない」

 大竹刑事が榊を睨んだ。

「お前……こいつに取り込まれていたのか……?」

「情報売ってる警官なんて、どこにでもいる。詐欺で爺さんばあさんから大金巻き上げたわけじゃないし、中国からドルを運んだだけだろうが。脱税っていったって、元々日本で稼ぎ出した金じゃないしな。結局は日本国の財産が殖えるだけだ。たかがマネロンぐらいじゃ、誰も困らねえんだよ」

 オヤジが叫ぶ。

「こいつは詐欺師だぞ! 家族が大金かすめ取られたんだ!」

 爺ちゃんが冷静に言った。

「お前の嫁が欲をかいたんじゃろう? 自業自得じゃ」

「くっそぉ……泣き寝入りしろってか……」

 って言い合っていても、刑事や里崎にはもちろん聞こえてない。純夏さんだけがこっちを見ている。

 大竹刑事がうなずく。

「だよな……。こんな不正、見逃したって支障はないさ……。でもな、不正は不正だ。こんな不正を見逃したから、結局大勢の人間が殺されることになった」

 榊が続ける。

「俺のせいだっていうのか? 言っとくが、こいつが金が渡してるのは俺だけじゃない。政治家や検察を通じて管理官からだって情報を得ているし、指示もできる。上から目をつぶれって命じられれば、逆らえないんだよ! お前だって分かるだろうが!」

 里崎が鋭く叱責する。

「そこまで話す必要はない」そして、大竹刑事に笑いかけた。「だが、こっちも客商売だ。客の利益を守らないとペナルティを喰らう。そうならないようにあらかじめ手を打っておくのが、商売人ってものだ。世の中、金さえあればたいていのものは買えるんでね。人間の心も、だ。中国じゃ赤ん坊でも知ってる真理だ」

 これだからつくづくオトナはイヤなんだって……。

 大竹刑事が応える。

「俺は、そんな警官ばかりじゃないと信じているがな」

 里崎が大竹刑事をあざ笑う。

「意地を張るな。お前も俺たちに手を貸せ。上はとっくに転んでる。本人たちに大した自覚はないとしても、俺は漏れてくる情報をおいしく料理して、無駄なくいただいている。おかげで安全な場所で大金を稼がせてもらってる。お前も加われば、代わりに大金が手にできるんだぞ。だが断れば、死ぬ。むろん家族が先に、だがね」

 だが大竹刑事は逆に里崎を睨み返した。

「刑事をバカにするな!」

 里崎は、フンと笑った。

「オーライ」

 そして、真顔に戻った。

 その瞬間、里崎の身体から何かが発射されたような気がした。〝気〟とか〝オーラ〟っていうヤツだと思う。そんなのがブワァッと広がったのが、一瞬、確かに目に見えた。

 僕の背筋も冷たくなった。

 大竹刑事の表情が恐怖で強ばっていた。怯えた幼稚園児のように身をすくめて腕で顔を覆う。

 里崎の〝気〟に怯えたんだ……。

 爺ちゃんがかすかに震える声で言った。

「これじゃ……これがあいつの能力なんじゃ……」

「あれで人を殺したりできるの?」

「そこまでは無理じゃろう。だが、恐怖心をテコに人の心を操ることはできる。やりようによっては、自殺には追い込めるだろう。実際、そうやって裏世界でのし上がったんじゃろうて……」

 百戦錬磨の刑事が、本気で怖がっている。

 これだ……これがこいつの〝能力〟――そしてトリックの鍵なんだ。この能力があったから、100%の確率でトリックを完成させることができたんだ……。もう、〝不確定な要素〟は残っていない。この大事な〝ピース〟が僕の推理にピッタリと嵌って、完璧に謎が謎ではなくなった。

 でも今は、純夏さんを助ける方が先だ。

 里崎の目が純夏さんに向かう。

「お前にも死んでもらう」

 だが純夏さんは、怯えを見せなかった。純夏さんに〝気〟は通用しないらしい。

 営業部長は壁に張り付いたように動けずにいる。

 怯える榊がうめいた。

「殺すことはないだろう⁉ 金で言うことを聞かせればいい!」

「世の中の人間が全部お前と同じだとは思うな。今は寝返っても、大竹はいつか裏切る。この娘もそうだ。目を見てみろ……こいつら、いつか必ず俺に牙を剥く」

「だからって、殺さなくても……殺しの片棒を担ぐのはご免だ……」

 里崎が注射器を榊に渡して、睨みつける。

「あと一人分残ってる。そっちの刑事に射て」

「そんな……指紋が残る……」

「だからお前にやらせるんだ。おまえは、もう逃げられない。殺人の共犯だ。残念だが、ここまでサツに裏を知られたら、鴻島印刷はこれ以上役に立たない。新しいルートの仕込みは終わったから、用済みだ。保険金に換える」

「それって……」

「考えるな。お前はこれからもずっと俺の命令に従っていればいい」

 そして、〝気〟を放った。

 榊はたちまち首をうなだれて大竹刑事に注射器を刺した。大竹刑事は生まれたての子鹿のようにプルプル震え、抵抗しようもしない。たちまち意識を失って、呆気なく崩れた。

 里崎は打ち終わった注射器を奪って胸ポケットに入れると、命じた。

「倒れた二人、下の倉庫に連れて行け。インクと溶剤をごっそり積んである部屋だ」

 榊と経理部長がうなずいて、二人で大竹刑事を運んでいった。

 里崎が純夏さんを睨む。

「お前、幽霊が見えるんだってな……。ここにもいるのか?」

 純夏さんは里崎を睨んだまま何も答えない。

 僕は言った。

「こいつが使ったトリックを説明します。それを暴けば、きっと動揺する」

 オヤジがつぶやく。

「動揺させたって、なんになる……? 銀行ばかりか、警察まで操っている悪党なんだぞ……」

 オヤジ、しゃべるな! やる気が失せる! 

 おばさんが叫ぶ。

「だからなんとかしないといけないんでしょうが! 時間を稼ぐのよ!」

 おばさん、グッジョブ! 僕はオヤジを無視して説明を始めた。

「連鎖した殺人は、偶然なんかじゃない。こいつが全部一人でやったことなんだ――」

 純夏さんは、じっと僕の説明を聞いていた。里崎の目を睨み返したままで。

 里崎が苛立ったように言う。

「聞こえないのか⁉ ここにも幽霊はいるのか⁉」

 純夏さんは叫んだ。

「うるさい! 黙れ! 今、その幽霊があんたがやった人殺しを説明してるんだよ!」

 里崎は、一瞬ひるんだような様子を見せた。

「いるのか……」そして辺りを見回す。だが、不安そうな表情は一瞬で消えた。「で、何ができるんだ? その幽霊は?」

「だから黙れ、このクズが!」

 ああ、純夏さんが怒ってる……本気で怒ってる……。

 里崎のトリックは単純だ、説明はすぐに終わった。

「ね、簡単にできるでしょう?」

 おばさんもオヤジも爺ちゃんも、びっくりしたように僕を見ていた。手品の種明かしと同じで、分かってしまえばなんてことのない仕掛けなんだ。

 純夏さんも全部理解したようで、僕を見てにっこりと笑った。

「そうよね、簡単ね」

 里崎が純夏さんに銃を向けて言った。

「何が簡単なんだ⁉」

「あんたが使ったトリック。警察は、最初に社長が殺されたと思ってる。そう見えるように証拠が揃ってたから。でも、実際は逆なんでしょう? 社長が殺されたのは、最後――」

 里崎は一瞬目を見開いた。

 正解だな。

 だが、弱みをかき消すように苛立たしげに言う。

「はいはい、よくできました。で、今さらそれが何の役に立つ? 時間稼ぎか? 刑事たちはこの通り、もう役に立たない。今さら種明かしをしたところで、誰の耳にも入らない」

「人に罪をなすり付けておいて、何よ、その言いぐさ!」

「ああ……録音とか、してるのか? 俺にトリックをしゃべらせて、記録してるのか?」

 ご名答。もちろん、そうするつもりだったさ。工場を調べて何かの手掛かりがつかめれば、次はお前に罠をかけて全部録画するつもりだったよ。でも、いきなり本人が出てきたんじゃ、そんな準備できるはずないじゃないか!

……いや、違う! ここにもパソコンがある!

 僕は起動しているパソコンで、録音ソフトを立ち上げた。これで、室内の会話は記録されるぞ!

 と、里崎がパソコンの画面を見た。

「おい……何もしていないのにソフトが起動したぞ。ちっ、これが幽霊の仕業かよ……」そして、いきなり机に走り寄るとパソコン電源を抜きやがった。「こんなこともできるのか……なるほど、だからセキュリティーが厳重な俺のオフィスからデータが盗めたのか。だが、こっちも手は打ってる。工場の電話線もネット回線もボヤを装って切った。おまえらが外と通信する手段はない。ついでに、警報機も火災報知器も切ってある。スプリンクラーも動かない」

 うわ、そこまで先回りされてるなんて……。どうすりゃいい? どうすりゃいいのさ……? 

 あ。もしかしたら! できるかも! 僕はそのアイデアを確かめることにした。

 純夏さんは、こっちを見ていた。だけど、なんだか、怒りの暴走が止まらないみたい。すぐに里崎を睨んで突っかかっていく。

「そんなことどうでもいいわよ! あんたが何をしたのか、正直に話しなさいよ!」

 と、里崎、純夏さんに銃を向け、命じた。

「お前、服を脱げ。裸になれ」

 え、なに、いきなり? 純夏さん、脱がされちゃうの?

 純夏さんもびっくりしたようだ。

「は……? なに、それ……」

「身体に何か隠してるんだろう? 盗聴器とか、レコーダーとか。それが無くなれば、記録も取れない。ほら、脱げよ!」

「そんなもん、あるわけないでしょう⁉ あんたが来てるなんて誰も知らなかったんだから。それに、わたしは殺人犯として連れて来られたのよ⁉ スマホだって取り上げられたままなんだし」

 里崎もうなずく。

「そう言われればそうだな。どっちみち、工場もお前も丸焼けにしちまえば、データも残らないしな」

「丸焼けって……」

 会長が悲しげにうめく。

「こいつめ、工場に火をつけるのか……? だからスプリンクラーも壊したのか……。わしらが必死になって作り上げたこの会社を、燃やすのか……?」

 ってことは、純夏さんは脱がない……か。

 ま、仕方ないよね。こんな緊急時に、なに期待しているんだろう、僕……。

 爺ちゃんの声を聞いたかのように、里崎が言った。

「よく燃えるだろうな。この真下の倉庫には、引火性のインクが大量に保管されている。漏電でも起きれば、危険きわまりない。印刷会社なんだから、そんな事故が起きる時もあるよな……」

「わたしを殺すの……?」

「心配するな、一人じゃないんだから。すでに四人殺してるし、刑事たちもお供につけてやる。寂しくはないだろう? 大体、目障りなんだよ。人の仕事の邪魔ばかりしやがって……」そして、里崎は薄笑いの仮面を脱ぎ捨てた。憎しみが籠った目で純夏さんを睨みつける。「てめえが大人しく犯人になってりゃ、まだこの会社にも利用価値があったんだ。社長にアホ孫を据えりゃ銀行との取引も続けられた。幽霊まで使って、マネロンを探り出しやがって……。警察の捜査だってこれまでうまく抑えてきたのに……。てめえのせいで何もかも台無しだ。騒ぎをでかくしやがって……。長年かけてここまで育てたルートも諦めなきゃならねえ。てめえらの命だけじゃ到底引き合わねえが、責任は取ってもらうぜ」

 純夏さんが言った。声は落ち着いている。

「四人殺したこと、認めるのね?」

「全部分かってんだろう? その通りだよ。まずはお前を襲ってバットに指紋を付け、バッグを奪った。そのバットで、最初に専務を殴り殺した。経理部長から、出張の予定を無理矢理入れたことは聞いていたんでな。インターホンを押して『あんただけに得になる話がある』と専務に持ちかけたら、欲を出して招き入れてくれた。人を操るには、恐怖と欲があれば充分なんだ。バットは、手袋をつけてグリップエンドと真ん中だけ握ってれば、付いてるお前の指紋も消さずに済む」

「その時に、あなたの能力を使ったんでしょう? 専務に恐怖を与れば、自衛のために何か凶器を持ち出すはずだから……」

 純夏さんは、僕が説明した通りに話している。

 里崎はまた、世の中をバカにしているような薄笑いを浮かべた。

「クソ専務、キッチンから包丁を持ち出してきた。狙い通りだ。それをこっちに向けながら、泣きながら命乞いしたよ。バカじゃねえのか? 命乞いなら、土下座だろうが。ま、自然な形の指紋が残った凶器が必要だったから、何か持ち出してくるまで恐怖心と脅し文句でいたぶってやったんだがね。今まで俺を見下してきた鴻島の〝お姫様〟が、無様だったらありゃしなかった。脳天にバットで十発以上……思い上がったババアにはふさわしい死に様だな」

「その包丁を使って、今度は常務を殺したのね?」

 里崎は、むしろ楽しげに説明を続けた。

「常務は、ゴルフクラブを持ち出して殴り掛かって来た。だが、こっちがちょっと本気で脅せば、あんなへなちょこ、すぐ足がすくむ。クラブを投げ出して逃げ出そうとしたが、その間に何度か包丁を突き刺した。包丁は刃を押さえ、握りの後ろを手のひらで押す。そうすれば専務の指紋は付いたままだ。脳みそが空なボンクラなくせに、こいつも欲だけは人並みだった。ちょろいもんだ。それから、お前から奪ったバッグをクローゼットに隠す」

「そして、社長……」

「今度は夫婦だからな、並のワルなら、二人同時に殺すのは難しい。一人が抵抗するか、警察に知らせるか――そんな隙を作らせかねないからな。だが、俺は並みじゃない。誰もが恐怖で足がすくむ。逃げるのも、電話をするのも無理だ。二人とも、簡単にあの世に送れたよ。で、爆発の準備だ。キッチンでガスの元栓を引き抜いて、居間でアロマキャンドルに火をつけるだけだ。この簡単な仕掛けを済ませて、また専務の家へ戻った」

「時計の時間を爆発の後で止めるために……」

「しばらく待つうちに爆発音が聞こえた。で、置き時計を床に落として電池を抜く。これで、常務が殺されたのは爆発の後だという証拠ができる。あちこちに残ってる凶器の指紋も、殺した順番を物語っている。実際に殺した順番が全部逆転して、たった一人で全員を殺すのは不可能だという結論になるわけだ」

 と、大竹刑事を運んでいた二人が戻って来た。息が荒くなっている。

 里崎は命じた。

「もう一人も運べ」

 里崎は純夏さんに銃を突きつけ、その後から付いていく。

 僕らもぞろぞろとあとを追うしかなかった。

 なんとか放火は防がないと……。

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