2・大垣直恵
夜11時。
あたしたちは残業を終えて無人になった鴻島印刷へ、ぞろぞろと一団になって向かった。って言っても、幽霊四人は他の人には見えてないんだけど。
人間も、四人。小娘と、それを見張る刑事が三人。取調室にいた大竹、鈴木、そして経済犯罪専門の榊。榊はちょっと渋い顔したおじさんで、容貌は役者並みに整っている。
ま、歳は行ってるけど、アリかも……。
ここ数ヶ月は工場は深夜操業もないってことで、暗く静まり返っていた。ネットに押されて、印刷業会は構造的な不況だからね。
そんなことより、よくもまあ小娘を警察の外に出してくれたもんだと感心する。大竹のおっさん、上の人間――管理官とかいう小男を見下ろして、ツバ飛ばしながらやり合ったんだから。なんだかんだで、小娘が犯人だということはみんな疑っているんだよね。
あたしたち幽霊のことはどう思ってるか知らないけど。
大体、殺人事件そのものが不自然すぎるもの。素人でもそう感じるんだから、こんな事件をいっぱい見て来た刑事たちなら納得できなくて当然。しかも、背景に大掛かりなマネロンが出てきた。
大竹刑事、身柄は絶対に逃がさないから鴻島印刷の捜査に連れて行かせてくれって声を荒くしてた。むろん、小娘に逃げる気はないから問題が起きるはずもない。でも管理官はもっと大人数で行けってうるさかったけど、大竹は鴻島印刷側が警戒するからって譲らなかった。こっそりマネロンのことも耳打ちしてたみたいだしね。
見たところ、大竹刑事は、もう幽霊のこと信じてるね。あたしたちが自由に中を探れるように、仲間の刑事に来て欲しくなかったんじゃない? だって、容疑者扱いの小娘に幽霊との通訳やらせるとこなんて見られたら、頭おかしいって噂が立っちゃうし。
でも、それって逆に、確信は持てずにいるとも言えるのか……。
ま、こうしてやって来られたんだからいいや。大体あたしだって、この世に幽霊がいるなんて幽霊になるまで信じてなかったんだから。あたしたちが自由に動ける環境を整えてくれただけでも、管理職としては有能だってことよね。
何はともあれ、鴻島印刷の裏口では経理部長が一人で待っていた。いつものことながら、腹黒そうな薄笑いを浮かべてる。生きてる間は、こいつにさんざん振り回されて来たんだ。
殴ってやった。
相手は何も感じてないんだけど。
あ、治ちゃんはさっさと中に走って行った。いやん、待ってよ! 生きてた時と違って、思いっきり走っても疲れたり息切れはしないんだけど、なんか気持ち的に苦しくなっちゃって……。
正直、だらけた人生送ってきたからね、あたし。
だだっ広い工場にはばかでかい輪転機が三列並んでいる。この設備が、今は重荷になってるんだよね……。好景気が続いているっていったって、斜陽業界にはなかなか恩恵が降って来ないからさ。消費税が上がる前なんて、放っといても駆け込みで住宅が売れちゃうから広告なんて必要なかったし、大工だって取り合いになってチラシがさっぱり受注できなくて、余計苦しかったし。上がったら上がったで、さっぱり仕事は増えないし。選挙で一時的に業績は上がったみたいだけど、またしても増税が決まっちゃったし……。
それはともかく、治ちゃんを追って工場の奥の倉庫の脇に付いている階段を上った。そこが工場と行き来するための裏口になってる。倉庫の真上が営業と経理の大部屋。管理職の個室も隣接している。
治ちゃん、経理部長の部屋に入るとパソコン起動して、あれこれ中身を調べ始めた。
って、あたしもお役目を果たさないとね。
あたしは経理部のラックに並んでる帳簿を一通り見ていく手はずになってるの。ずっと裏帳簿にも関わってきたあたしなら気がつくような、おかしな点が見つかるかもしれないっていうから……。
オヤジも部屋に入って来た。
オヤジの分担は営業部で、帳簿以外に里崎との関係が分かるものが隠されていないか調べること。そういうのって、何を探せばいいか分かってるわけじゃないから、結構面倒なんだよね。退屈するし。ま、オヤジにはちょうどいい役目か。
あたしは仕事を始める前に、ちょっと治ちゃんに聞いてみた。
「ねえ、罠をかけるって言ってたけど、何か考えがあるの? 相手は百戦錬磨のヤクザだよ?」
治ちゃん、キーボードにかざした手を休めて、ちょっとため息をついた。
「まだ分かんないんだ……もしかしたらこの部屋の中にヒントがあるかもしれないと思うんだけど……。あれだけ調べたのに、里崎のオフィスからは使えそうな情報が見つからなかったからさ。ここから何かしら繫がりが見つかればいいんだけど……。とにかく、あいつらの弱みを探し出さないとね。こっちの罠に誘い込めるきっかけさえあればいいんだけど……」
ああ、そうなんだ。治ちゃんも当てずっぽうか。速い話、どうしていいのか悩んでるのよね。そりゃそうよね、プロぞろいの警察が見破れないトリックを崩せっていう難題なんだから……。
猫を抱いた会長が治ちゃんの横でパソコンの画面を見つめている。と、ぽつりと話し始めた。
「あいつは、一筋縄ではいかない男だからな……。実の息子だとはいえ、可愛いと思えたことはなかった。むしろ、怖いと思うことばかりでな。小さなころからへそ曲がりで……わしが言うことにはいつも反発して、逆の事ばかりしおった。妾の子じゃからいつも一緒にいられるわけではなかったが、会える時は必ず逆らっていたものじゃ。弟の直也――純夏の父親とは大違いだった。そんなだから、わしも無意識のうちに、弟ばかりをかわいがっていたのかもしれん。だから余計に、反発していったんじゃろう。頭がいいくせに悪い奴らとばかり付き合って、結局ヤクザになって海外へ飛び出しおった。中途半端な父親だったわしを心の底から憎んでいたんじゃろう。そうでなければ、会社をマネロンに悪用したり、兄弟を殺したりはしなかっただろう。妾の子ではあるが、真っすぐ育ってくれれば役員待遇で会社に迎え入れたかったのだが……」
そりゃ、辛いでしょう。里崎に子どもをみんな殺されて、会社もめちゃくちゃにされて……。結局、そんな子どもたちを育てて来たのが会長自身なんだから。里崎はあんたの分身でもあるのよ。
会長はかすかに涙を流していた。
あら、幽霊でも、本当に悲しい時は泣けるんだね……。
そうこうしているうちに、部長を先頭にした一団が二階に上がって来た。部屋に入った経理部長の顔から一瞬で血の気が引き、驚いたような声を上げた。
「あれ? パソコンつけっぱなしだったのか……?」
そりゃそうでしょう。警察から『任意で捜索したい』って連絡を受けて待っていたんだから、ヤバいものがあれば慌てて隠したはずだし。パソコンの中身だって確認したろうし。電源入れっぱなしにしとくはずはないよね。
だけど、幽霊が中身を調べてるなんて予測できるはずがない。
ざまあみろ。
小娘が部長の後に続き、さらに三人の警官がくっついてくる。
大竹刑事が小娘に囁く。
「幽霊はみんな揃ってるのか?」
小娘は室内を見回してうなずく。
榊刑事がパソコンに突き進んだ。
「じゃ、ちょっとデータを調べさせてもらいますよ」
治ちゃんの身体の中にズッポリ入り込む。治ちゃんは気味悪そうな顔をして身体をずらした。
デスクトップにはすでにサーバ接続のショートカットが復活している。治ちゃんがハードディスクから戻したんだ。完全に消去したと思ってた部長が、言葉を失って真っ青になる。あたしたちはこの反応を警察に見せたかったんだ。中身はとっくに警察に知らせてることだから、その信憑性がぐっと上がるってわけ。
榊刑事は部長に言った。
「パスワードを教えていただけますか?」
「あ、いや……なんのことだか……私のパソコンにそのようなデータが入っているとは……」
榊刑事の目つきが厳しく変わる。
「誰かが仕込んだもの、だと? それなら、なぜそんなに脂汗を流されているんですか?」
ねちねちと押し問答を続けながら、部長の反応を調べる気でいる。お得意の戦術なんでしょう、たぶん。刑事でも、二課って陰湿なのかもしれないね。こういう嫌らしさ、キライじゃないけどさ。
さ、その間にあたしはなんとか新しい情報を探さなくちゃ!
と、治ちゃんが席を立って、壁に張ってあるカレンダーをじっと見つめてるのに気づいた。
なに? なんか手掛かりになること?
あたしも横に並んで読んでみた。
きゃ、治ちゃん、あたしが身を寄せても避けたりしないじゃん! ……って、それだけ考え事に集中してるってことか。
月めくりのカレンダーに、何行かの文章が書いてある。何かの標語?
『アイデアを出すにはオズボーンのチェックリストを活用! 「入れ替えてみたら」「大きくしてみたら」「逆にしてみたら」と考えてみよう!』
あ、よくあるヤツね。こういう標語って、壁に貼りっぱなしで風景の一部になって誰も読まなくなるから、結局なんの役にも立たなくなるのよね。
と、治ちゃんがつぶやく。
「入れ替える……逆にする……。あいつ、へそ曲がりだったんだよな……逆にする、か……」と、いきなり叫んだ。「そうなのか! 逆にしちゃえばいいんだ! あ、トリック見破れたかも! あいつ、へそ曲がりなんだもんね!」
その声に小娘が振り返る。
「見破れたの⁉」
治ちゃんがうなずく。
「分かったよ、里崎がみんなを殺した方法。簡単なことだったんだ。まだ不確定な要素は残るけど、たった一人で、偽の証拠を残しながら殺せるやり方があったんだ!」
「うそ⁉ どうやったの⁉」
不意の〝独り言〟に刑事や部長が小娘を見る。
大竹刑事が言った。
「何か分かったのか⁉」
「トリックが分かったって……」
大竹刑事の目の色が変わる。
その時だった。部屋の入り口に人影が現れた。
「それは困ったね……」
全員が振り返る。
あいつだった。ヤクザの三男、里崎守……。
えっ? なんでここに現れるのさ⁉
あたしたちが来ること知ってたの⁉
だけど、たった一人だ。それなら、逆に捕まえられるかも……。
ウソ⁉ 手に拳銃を持ってる!
小娘が言った。
「あなたは……」
里崎が強い口調で命じる。
「黙ってろ。本当にトリックを見破ったかどうか知らないが、そんなことはもうどうでもいい。ここはもう終わりだ。お前らも終わりだ」
大竹刑事が立ち上がる。まさか、銃撃戦⁉
ああ……でも印刷会社の捜査に拳銃なんて持って来るはずないよね、普通……。じゃ、どうやって対抗するのさ⁉
里崎の横に立つ形になった鈴木刑事も、ビビって飛びかかれない。軽く両手を上げた。
いくら刑事でも、拳銃が相手じゃね……。
大竹刑事が言った。
「お前……里崎か?」
「なんだ、もう知ってるのかよ」
「バカな真似は止めろ。警官を銃で脅せばただではすまないぞ」
「そりゃあそうだ。だからこっちも、ただですますつもりはない」
と、手袋をはめた左手でポケットからさらに一丁の銃を取り出す。銃口を握って、グリップを鈴木刑事に向けて差し出した。
え? なに、それ?
なんで警官に――もしかして、この警官、里崎の仲間なの⁉
鈴木刑事が銃を見つめる。
「どうしろと……」
「こいつらを見張っておけ」
ええ……⁉ やっぱり……? 里崎が刑事に命令してる……
「な、何を言うんだ……」
里崎は笑った。
「金は受け取ったんだろう? あの百万の出所は、俺だ。お前たちがここに来ることは、お前自身が教えれくれたんだよ。気づいちゃいなかったろうがね」
うひゃぁ……鈴木、いつの間にか里崎に捜査情報を売っていたんだ……。警官のくせに、とんでもないヤツだな。
大竹刑事が鈴木を睨む。
「おまえ、まさか……」
鈴木が大竹刑事に向かって懇願する。
「大竹さん、もう手を引きませんか? これ以上この件を突っつくと、俺、ヤバいんです……。家族を襲うぞって脅されてて……生まれて間もない娘がいるんです……」
最悪。里崎って、ホントに心がねじ曲がったクズだな……。
里崎が笑って銃をポケットに戻す。
「ま、簡単に職務は裏切れないか。日本の公務員の美点でもあり、欠点でもあるな」
言いながら別の物を出していた。それを素早く鈴木に突き刺す。
ん? 注射器?
鈴木は一瞬で崩れた。
大竹刑事が叫ぶ。
「何をする⁉」
「死にはしない。動物用の麻酔薬だ。あんたにも、眠ってもらう」
言いながら、大竹刑事ににじり寄る。
「これ以上バカな真似は――」
最後まで言えなかった。
里崎がにやりと笑う。
「チェックメイトだ」
大竹刑事は、頭に拳銃を突きつけられていた。銃を握っているのは、パソコンに向かっていたはずの刑事――二課の榊。
まさか……あんたまで〝そっち側〟だったの……?
あ、常務が警察に話した情報、きっとこいつが握りつぶしたんだ。スパイがいるからって他の刑事には言うなって念を押してたのは、里崎を守るためだったんだ。
やば。罠にかけられたのって、あたしたちの方だったんじゃん……。
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