2・大垣直恵
あたしたちは会長に教えられた里崎守の事務所――オフィスサトザキにやって来た。
金ぴかゴテゴテのやんちゃなヤクザの溜まり場を期待していたけど、まるっきり当て外れ。こぎれいに整った今風のクールなオフィスじゃん。札幌の中心部に建つオフィスビル自体も近代的で、新築したばかりの感じ。セキュリティーもバリバリ万全で、エントランスには警備員が三人もいるわ、いちいち人の出入りをチェックしてるわ、監視カメラもたくさん付いてるわ、あっちこっちのドアには大体カードキーが装備されてるわ……って、まるで要塞。鴻島の事務所の方がはるかに雑然として汚らしかった。
オフィスにいたのは二人。スーツ姿もナイス。あれってアルマーニ? しかも美形で、お肌の手入れも完璧。ここ、そのまんまホストクラブにできそう。匂いが分からないのが残念!
ああ……嗅いでみたい……。
とにかく、見るからに〝できる男〟の集団ね。
あたしもこんな会社で働きたかった……。
と、電話が入った。部下らしい子が取る。
「はい、オフィスサトザキ」
と……次はいきなり英語で話し始めた⁉ 相手が外人なんだ……。もちろん、何を話してるんだか分かりゃしない。この人たち、もしかしてすっごいインテリなの? どうやったらヤクザに見えるのさ……。
しばらく話してから、言った。
「社長、変わってくれますか?」
うなずいた社長は、自分のデスクに戻って受話器を取った。机の上にはクリスタルのチェス盤。うひゃぁ、ヴェリー・クール! 将棋好きの刑事の取調室とは別世界だね。社長は駒を動かしながら言った。
「ハロー――」
早口で、聞き取れたのはそこだけ。ま、いいじゃん。ここで働けるわけじゃないんだから。幽霊なんだし。
社長は素早く話しを終えた。受話器を置く。
部下が言った。
「アニキ、紙、送れるんですか。鴻島、大変なことになってんでしょう?」
「アニキは止めろ。人がいなくても社長と呼べ。じゃないと、どっかでボロを出すぞ」
ありゃ、やっぱりヤクザだ……。
部下が言った。
「すみません。ですが、なんで予定外の発送を求めて来たんですか? 鴻島印刷はすぐに対応できるんですか?」
「あの用紙な、向こうでかなりの高値が付き始めてるらしい。近くの会社がドイツの印刷機を導入して、いくらでも欲しがるってことだ。日本の紙は世界一の品質だからな。偽装の伝票を整えるためだけに送った紙だったが、向こうもムダにしたくないから買い手を捜した。そうこうしているうちに有望な商品になっちまったそうだ。ヨーロッパ向けの印刷物に使ったら、大評判なんだと。今度はインクも試してみたいとも言ってきた。意外な展開だな」
「なんだか、それだけで商売になりそうじゃないですか」
「それも考えている。潰れそうな小さな商社があるんで、買収を持ちかけているところだ。話がまとまれば、堅気の商売に踏み込んでもいいな」
「事業拡張ってことですか」
「あくまでも、隠れ蓑だ。鴻島が潰れた時の準備が必要だからな。今、雇われ社長に担がれてくれるカモを探してる。じゃ、私はそっちの交渉に出る。紙の発送が扱えるかも確かめてくる」
「私は何をしておきましょうか?」
「そろそろあっちの刈り取りにかかれ。受け子は揃えられたか?」
「サイトの反応はいいですから、口が堅そうなヤツを選んでるところです。後は二日ぐらいみっちり鍛えれば……ですが、どうでしょう……このところ、相手の警戒心が強くて。〝振り込め〟みたいのにはなかなか引っかからなくて……」
「ま、ネタを考えるのは中国のスタッフだ。こっちは回収するだけ。受け子から足がつかないよう、いつでも切れる体勢にしておけばいい」
「でも、最近は危険の割りに上がりは寂しいですよね……。この間みたいなうまい話、もうありませんかね?」
「あれはほんのボーナスだ。亭主が過労死して大金を手にした未亡人――しかも警戒心がないし、欲の皮はつっぱてるし、そんなカモの情報、そうそう入るもんじゃない。楽しようと考えないで、地道に〝お客〟を掘り起こせ。くれぐれも、手下に私たちの本業を気づかせるんじゃないぞ」
あ……それ、オヤジの嫁のことだ。オヤジも気づいたようで、腹立たしげに里崎をにらみつけている。
「分かってます」
「じゃ、出てくる」
「あ、待ってください。私も出ます」
と、オヤジがいきなり里崎に殴り掛かった。
「この野郎! 金返せ! バカにしやがって!」
もちろん、拳も身体も、相手を素通りする。
が、里崎ははっと身を震わせた。
「何⁉」
子分が首をひねる。
「え? どうしました?」
「あ……いや、何だか今、奇妙な気分がしてな……」
「どこか具合いが悪いんですか?」
「いや、なんでもない……っていうか……なんか急に、やる気が失せたな……今日は休みにするかな……」
「なにふざけてるんですか、しっかり稼ぎましょうよ」
「ああ……まあ、そうだな……」
と、里崎は振り返った。はっきりとオヤジを睨みつける。
ん? 見えてるの? いや、そうでもなさそうだけど……。
こいつ、やっぱり霊感が特別に強いんだ。子分は何も感じてないのに。
二人は事務所の鍵を閉めて去って行った。
オヤジはがっくり床に膝をついて、涙をこらえていた。
「畜生……バカにしやがって……おまえら、許さんぞ……」
ま、気持ちは分かるけど。気持ちだけでどうにかなるってもんじゃないしね……。
治ちゃんが言った。
「でも、これでお金の流れは分かって来たね。コンピュータの中に何か情報がないか調べてみる」
治ちゃんは里崎のデスクのパソコンを起動した。
あたしはオヤジの肩に手を添えた。
「気を落とすんじゃないわよ。どうせあいつら叩き潰さないといけないんだから。徹底的にやってやりましょう!」
オヤジ、顔を上げた。
「ああ、よろしく頼むよ!」
あ、まずい……あたし、うっかりこいつに思いっきり触れちゃった……。
なんか、急にやる気が抜けていく……
*
ぼーっとしてたら、治ちゃんに声をかけられた。
「ねえ……ねえったら。おばさん!」
おばさん……って……?
あ、あたし? おばさんだと⁉ ざけんじゃんえよ!
と思ったら、治ちゃんがこっちを見つめている。
許す。
時間をかけて大人の女の魅力を教えればいいんだから。でも、おかげで頭がはっきりした。やる気をかき消すオヤジの能力がこんなに強力だったなんて、体験するまで考えてもみなかった。
あぁ、恐ろしや。
「なに、治ちゃん?」
治ちゃんはここの社長のデスクのパソコンを示した。金銭の出入りが表示されている。
「これって、マネロンの記録じゃない?」
確かに、あっちこっちの海外企業らしき送金先がずらりと並んでいる。金額もデカイ。洗浄した資金を元の組織が引き出せるように還流させているんだろう。鴻島の隠し帳簿とすりあわせれば全貌が明らかになるはずだ。
お金の流れを記録している、残り半分のデータだ。
「そう、間違いないと思う」でも、なんで? こんな帳簿、なんでこんなに無防備に見られるの?「治ちゃん、どうやってこの帳簿を探したの……?」
オヤジが首をひねる。
「何してたか、ずっと見てたのに……」
は? 見てたの、あたし? なのに、全然頭に入ってないの?
そんなにぼんやりしてた?
あじゃぁ……オヤジのパワー、そこまで凄まじいんだ……。
「あんた、あたしたちに触るんじゃないわよ。あんたに触られると、しばらく機能停止しちゃうから」
オヤジが首をひねる。
「は? なんのことだ?」
全く自覚がない。
「とにかく、少し離れててね」
治ちゃんが説明してくれた。
「セキュリティが簡単に破れたんだ。バックアップはどこかのクラウドに取ってあると思うけど。ほら、この事務所自体が警備がものすごく厳重だから、部屋の中のパソコンは警戒が緩かったんだと思う。ま、指紋認証はあったけどね。だいたい、幽霊の僕らじゃなければこの部屋の侵入できないもの」
その通りですが……なんでこんな離れ業、いとも簡単にやってのけるの? あんた、007かい。
いや、幽霊でした。
なんか、幽霊って、すっごく便利かも……。
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