第5章・競合他社
1・敵対企業
急ごしらえの特別捜査本部は警察本部に置かれた。
四人がほぼ同時に殺し合うという異常な連続殺人事件はすでに全国の朝のニュースを独占している。事件発生場所の山の手は西署の管轄だが、マスコミに対して充分な対応を見せなければならなかったのだ。続々と押し掛ける報道陣をさばくには、所轄の処理能力では力不足だ。しかも発生現場は本部から四キロ程度しか離れていない。本部を中心に捜査を進めることに不合理はなかった。
大会議室に集められた捜査員に一通り状況説明を終えた管理官が、いち早く純夏の取り調べを行った大竹を指名した。
「早速容疑者を逮捕したのはお手柄だった。大竹君から逮捕に至った経緯を説明してくれたまえ」
立ち上がった大竹は言った。
「容疑者の斉藤純夏・十八歳は、事件発生の前日21時30分頃に暴漢に襲われ、被害者として110番通報しています。現状から、斉藤純夏は何者かに柔道の絞め技をかけられて気を失ったところ、所持していたバッグを奪われたと判断されました。なお、暴行の痕跡や傷害は一切なく、被害はそのバッグのみです。事情聴取の際に指紋が採取されましたが、今後の被害防止のためにデータベースに登録されました――」
刑事の前の机に腰掛けていた治が、嘲るように言った。
「って、採った指紋は絶対消さないって言えよ。警察って、そうやって国民の指紋を集めてんじゃないの?」
むろん、刑事に幽霊の言葉は聞こえない。
「一方、本事件発生現場三カ所からはそれぞれ凶器が発見され、直ちに指紋の採取とデータベースとの照合が行われました。約1時間後には鴻島印刷専務、名良橋敬子を殺害したと思われる金属バットに付着した指紋と斉藤純夏の指紋が完全に一致すると判定されました。また、被害者の実兄――鴻島次隆宅には前日に奪われたバッグが隠されていました。容疑者逃亡を防ぐために、夜11時には逮捕状が発行され、即時逮捕に至りました。その他三件の殺人との関連を至急調べるために直ちに最初の尋問を行いましたが、現在容疑者は犯行を完全に否認しています。また本人は、これまで鴻島印刷との関係は一切なく、その存在も知らなかったと証言しています。容疑者は母子家庭で、現在その母親も重要参考人として別室で聴取を行っています」
管理官が別の刑事に目配せする。
「で、母親の証言は取れてるのか?」
立ち上がった刑事がメモを見る。
「鴻島印刷との関係が浮かび上がって来ています。深夜のホテルロビーにいたことに関しては、鴻島印刷の顧問弁護士からメールを受けたということで、その内容も確認しました」周囲にどよめきが広がる。「弁護士に確認を取ったところ、そのようなメールは送っていないし斎藤和子という人物も知らないという答えでした。メールは何者かが母親を家から引き離すために送った偽装だとも考えられます。ただし、そもそも斎藤和子と鴻島家につながりがなければ、この偽装は成り立ちません。斎藤和子は娘が逮捕されたと知ってから何も語ろうとしませんが、深い関係があるのは確実です。任意なので証言を待つしかありませんが、捜査を行えば事実は掘り起こせるでしょう」
管理官が言った。
「では、そちらの裏取りは君が指揮してくれ。大竹君は引き続き斎藤純夏容疑者の取り調べを――」
初回の捜査会議で明らかになったのはすでに幽霊たちが知っていることばかりで、目新しい情報は得られなかった。
直恵が言った。
「まだ警察もこれしか知らないんだ。あたしたちの方がずっと調べが進んでるじゃん。マネロンなんか全然見えてないし」
健司がうなずく。
「ま、幽霊だからな。調べ事だけなら、警察より向いてるってことだな」
治がうなずく。
「これなら、警察はしばらく放っておいて大丈夫だね。じゃあ、病院に行ってみよう。会長がきっと大事なことを知ってるはずだから」
*
個室のベッドに横になった会長は、まぎれもない重病人だった。身体には何本ものチューブがつながれ、身動きもできない様子だ。嚥下傷害により胃瘻も造設されている。末期ガンだと言う噂は間違いなかった。
健司が言った。
「社長の娘、まだ来てないな……。先を越せてよかったかもしれない」
そこにナースが入る。
「鴻島さん、血圧計りますね」ナースは手順通りに会長の身体を調べると、言った。「テレビ、つけましょうか?」
と、会長がゆっくりと返事をした。まだ、言葉を失ったわけではないのだ。
「ベッドを起こしてくれ……テレビよりiPadを使いたい」
身体はすでに終焉に近づいている。だが、その頭脳はまだ活発さを保っているようだった。言葉は弱々しいが、明瞭だ。
ナースが電動ベッドを操作しながらうなずく。
「テレビも、あのニュースばっかりですもんね……」
会長はすでに、三人の実子が一度に殺されたことを知っているのだ。子供が自分より先に死ぬことが辛くないはずはない。しかも、自分が築いた会社を託した子供たちが、一瞬にして、全員この世を去った。死を目前にした老人にとって、これ以上の苦行はない。
「うるさいのが嫌いなだけだ」
会長の上半身が起き上がると、ナースはベッドの横にあったスタンドからアームをのばしてiPadをセットした。会長の右腕を毛布から出すと、アームについた台に乗せる。指先がiPadの画面に届く位置に調整した。
「本当に、お気の毒です……」
ナースの口調は沈痛だ。
だが会長の答えは、意外にあっさりしていた。
「運命だ……と諦めるしかない。いつかはこんなことになるんじゃないかと恐れていた。どうせ、わしも先がないしな」
「そんな悲しいことを言わないでくださいよ。治療だって、もっとできることはあるんだし」
「これ以上の延命治療はお断りだ。わしは充分に生きた。意識を失ってまでだらだら生き長らえたくはない。ただ、午後には警察が事情を聞きに来る。話しておかなければならないことも多い。それまでは生かしておいてくれ」
そして会長は、わずかに顔をしかめた。本人はウインクをしたつもりなのだ。いつもそばにいるナースには、それが伝わる。
「お強い方ですね……」ナースコールをのばして会長の傍らに置いた。「気分が悪くなったら知らせてくださいね。じゃ、あまり無理はなさらないように」
そしてナースは病室を出て行った。
会長は、ゆっくりとした動きでiPadを操作し始めた。サファリを開き、ヤフーを表示する。ニュースのトップ項目は、当然鴻島印刷の連続殺人事件だ。詳細を表示して、涙をにじませる。
その横では、治が歓喜の声を上げていた。
「ラッキー! これで会長と話ができるじゃん!」
直恵がたしなめる。
「はしゃがないで! 会長も辛いんだから」
「でも、警察にだって話したいって言ってるし……」
治は早速iPadに指をのばす。立ち上げたのはメモソフトだ。
いきなり画面が切り変わったことに、会長が驚く。
「何だ?」
治はベッドに腰掛けて素早く文字を入力する。
『驚かないで。僕は幽霊です。斉藤純夏さんを助けようとしています。力を貸してもらえませんか?』
会長は意外なことに、全く驚きを見せなかった。凄みのある笑いを見せて答える。
「猫に呼ばれたのか?」
『三毛猫、知ってるんですか?』
「わしが純夏のところに行ってくれと頼んだ。ちょっとした取引を交わしてな……。万一の事態から純夏を守ってやりたかったんだ」
『猫の幽霊と話せるんですか?』
「あの猫の霊力が特別強いんじゃ。だからわしにも見えた。並の幽霊なら、とうてい見えんよ……。しかも、あいつの言いたいことはなんとなく分かる。あいつ、味方になる幽霊を集めたのか? 本当に幽霊を呼び出す力を持っていたんじゃな……」
『僕を含めて三人』
直恵と健司は驚きのあまり、ぽっかりと口を開いて動けなかった。会長が何もかも知っているとは予測してもいなかったのだ。
「誰だ?」
完全に会長が質問する側にまわっている。
『僕は高山治。父さんが鴻島印刷の社員です。他に大垣直恵さんと雨宮健司さん』
「ああ、経理のお局と営業の彼か……。よくもまあ、頼りにならない面子ばかり揃えたもんだな……」
『そうでもないですよ。この事件、裏にはマネーロンダリングの件があるんでしょう?』
今度は会長が明らかな驚きを見せた。
「すでにそんなことまで調べ出したのか……。バカにして済まなかった」
『純夏さんに濡れ衣がかけられています』
「なんの? 会社とは無関係なのに……」
『専務を殺した容疑です。僕たちは、真相を暴いて純夏さんを助けたい。純夏さん、あなたの孫なんでしょう?』
会長は苦しげに顔をしかめた。
「四男の子だ。四男は愛人の子で、斎藤直也という。事故で死んでしまったがな。嫁の和子にはずっと生活費を送金していた。時おり純夏の様子は確かめていたんだが……。やはり、害が及んでしまったか。こんなことになるのを恐れていたんだ。だから猫に助けを乞うたのだが……」
『誰かが仕組んだ罠なんですか?』
会長の言葉は途切れ途切れで、次第に弱々しさを増していく。だが、伝えなければならないと言う必死さがにじみ出ていた。
「三男の仕業だ。直也の兄の直人。わしとは仲違いして長く東南アジアや中国を放浪していたようだが、いつの間にか暴力組織のメンバーになっておった……。戸籍まで変えて、今は里崎守と名乗っている……。四年ほど前に日本に戻り、鴻島印刷を使ったマネロンを始めたことが分かった。もちろん鴻島の役員はみんな知っているし、経理部長を通じて銀行も共犯になっている……。最後に一目会社を見ておきたくて、胃瘻を始める前に一時退院してな……その時に、部長の隠し帳簿に気づいたのだ。それ以後、次隆に命じて会社の内情を探らせた。死ぬ前に結果が見届けたくて、今日、警察が会社の捜査に着手するはずだったのだが……」
幽霊たちが一斉に驚きの声を上げる。
『だからみんな殺された?』
「だろうな。次隆は愚かな息子だが、猾さはひとかけらも持ち合わせていない。警察への連絡も、わしの望み通りしていたはずなんだが……」
『マネロン、止めさせようとしたんですね? 警察へも通報したんですね?』
「当然だろう? 犯罪に手を染めれば、いつかは破滅する。どんなに利益があろうと、だ……。ただの脱税ではない。暴力団と関わりを持てば、税務署よりはるかに危険だ。もしや血縁の純夏まで害が及ばぬかと案じて、猫の魔力にすがったのだ。里崎は、純夏が自分の姪だと知っているからな。だが、すでに遅かった。鴻島が手を引ける段階はとっくに終わっていたのだな……」
『お子さんたちは、やめようとしたんですね?』
「私が説得した。だから敬子は、あらかじめ息子を海外旅行に行かせた。銀行との接点でもあるから、捜査に巻き込ませたくなかったんじゃろう。だが、とたんにこれだ……。みんな、直人に……いや、里崎に殺されたんだろう。もはや因果応報と諦めるしかない。馬鹿な奴らだ……」
『殺された? でも、互いに殺し合った証拠が残ってるんですが』
「そうなのか? まだ報道はされていないようだが……。しかし、それは絶対に違うな。全員、里崎に殺された。それは確実だ」
そこで、健司が身を乗り出した。
「社長の娘と部長が組んで、マネロンを続けようとしている」
iPadに次々と文字が打ち込まれていく。
『社長の娘と部長が組んでマネロンを続けようとしているそうですが』
会長ががっくりと肩を落とす。
「そう来たか……。孫を看板に立てれば、今まで通り陰から金を動かせる。目的は、中国で稼いだ金を日本に持ち込むことだ。このルートが消えれば、また最初から作り直さなくてはならない。だから自分を裏切った者たちを全員殺したかったんだな……。お願いだ、真相を暴いてほしい。一族の名前は泥にまみれて構わない。どうせ出来損ないの子ばかりだ。だが、わしが仲間たちと作り上げた鴻島印刷は無くしたくない。誰が経営者になろうと、このままみんなと会社を続けさせてやりたい……。できることなら、子供たちが殺し合ったなどという汚名も晴らしてほしいものだが……犯罪に手を染めたことは隠しようがないとしても……殺人の濡れ衣だけはご先祖様に申し訳ない。どんなにバカな子どもばかりでも、こればかりはとても信じられなくてな……」
『そのつもりです。少なくとも、純夏さんは絶対に助けます。でもあなたは、なんで僕たちを陰から動かすようなことができたんですか?』
「鴻島一族の才能だ……。時々、不思議な能力を持つ者が生まれるらしい」
『純夏さんに幽霊が見える、とか?』
「そうだ。わしには一目で人間の本質を見抜く力があった……。その力で正直で有能な社員を集め、鴻島印刷を興したのだ。当然、会社は順調に成長していった……。その力は動物にも有効で、猫とも気持ちを交わすことができた。だから、鴻島に恨みを持つ猫に純夏を託した……。あの猫、なぜだか幽霊を呼び寄せる力を持っておったのでな……。純夏に何かあったら、助けてくれといって……。だが、子どもの中でそれらしい能力を引き継いだのは、他には里崎だけだった」
『予知能力とか、人を操る力ですか?』
「そんなSFじみた超能力ではない……。過去にもそんな強い超能力を持ったものが現れたと聞いたことはない。あいつは、人を怖がらせることができるだけだ。人の恐怖を感じ取り、増幅し、巧みに操り、思い通りに動かしていく……言ってみれば、洗脳のような手法を用いる。その力を使って犯罪組織の中でのし上がってきたらしい。そして孫の純夏は感受性が強く、幽霊が見える能力が現れた」
『里崎は純夏さんのことも知って、濡れ衣を着せたんですね』
「一族を詳しく調べたのだろうな……。純夏が一族の誰かを殺せば相続権は奪われる。つまり、鴻島印刷の経営からは排除できる……。それが目的だろう」
『敵は里崎、ですね?』
会長がうなずく。
「だが、手強いぞ。銀行と中国の暴力組織が背後についている。どうやって闘う?」
『これから考えます。情報ならどこからでも集められますから』
「信じよう。純夏は必ず守ってくれ……。最悪の場合、命を奪われかねないのだからな」
『そんなことは絶対にさせません』
「頼んだぞ」
敵は明らかになった。闘わなければ、純夏や鴻島印刷は守れない。
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