6・斉藤純夏

 わたし、いったいどうなっちゃうんだろう。このまま人殺しの容疑が晴らせなかったら、死刑にされちゃうのかな……。

 いきなりの夜中の取り調べは2時間ほどで終わったけど、そこから入れられたのが狭苦しい部屋。留置所、っていうの? 警察の中の小部屋――っていうか、檻。鉄格子に、白いベッド。外の廊下を誰かが通れば中は丸見えで、落ち着かないったらありゃしない。

 疲れて眠いのに、気が立って眠れない。薄っぺらい毛布しかないから、肌寒いし。ベッドに横になったって、寝返りばっかり。

 もううんざり。

 幽霊に取り付かれたかと思ったら誰かに襲われて、仕舞には殺人犯扱い。凶器から指紋が出たとかバッグが残ってたとか……。

 知るか、そんなもん! しかもまた幽霊が押し掛けて来た。

 狭いんだって、四人も入ったら! 猫までお腹に乗ってくるし!

 でも、わたしの無実を証明するために働いてくれてるんだから、文句は言えないし……。

 あー、なんでこんなことになっちゃったのよ⁉ 

 しかも私が鴻島と関係があったなんて、聞いてないよ!

 おばさんは言った。

「あたしね、毎月あんたのお母さんに20万円振り込んでたの。会長から言われてね。同姓同名かとも思ってあんたの家の通帳を調べさせてもらった。毎回同じ日付で20万円振り込まれてた。しかも、あたしが作った偽名で。個人的な振込はその名前使うことにしてたの。だから、会長があなたの家族を養っていたことは間違いない。どんな関係があるかはっきり分からないけど、あたしはあなたのお母さんが会長の隠し子の奥さんじゃないかと疑ってる」

 おっさんが付け足す。

「俺が聞いた話も同じだな。近々、三男が姿を見せるとか。君の父さんが会長の子なら、その弟なのかもしれない。それと、君のお母さんが警察に証言した内容をさっき掴んだ。刑事たちが捜査会議の準備をしていたんだ。お母さんは会長の弁護士からメールで呼ばれたんだと。会長が危篤状態なので、急いで今後の話をしたい――とか。確かに弁護士から受けたというメールがスマホに残っていた。だが、ホテルで待っていたけど誰も来なかったし、弁護士もメールはしていないそうだ。警察は、誰かに騙されたようだと見ている」

 だから母さん、あの夜帰って来なかったんだ……。

 でも、そしたら私は確実に鴻島の孫ってこと? 何で急にそんな話になるのよ……。

 父さんは、私が小さい時に事故で死んだって聞いてるけど……。父さんが鴻島の会長の子供だったわけ……?

 って驚いていたら、それどころじゃなかった。何十億円ってお金の話が出てきた。おばさんも知らなかった隠し帳簿が出てきた、とか。おっさんも猫に呼ばれて会社に行って、帳簿を見たらしい。

 おっさんが納得できないようにつぶやく。

「だが、あの帳簿は何だったんだろう……? 鴻島があんなに積極的に海外と取引してたなんて、聞いたこともない。子会社のことも知らない。まして、一回の取引が億近くて、月に何回もある。あれだけ大量の印刷物を刷ってたら、工場には相当の負担がかかるはずだが……」

 おばさんがうなずく。

「工務にはそんな大仕事の記録は見当たらなかったわよね」

 坊やが首をひねる。

「コウムって、なに?」

「あの、営業の脇にあった部署。印刷物の流れを見て資材を発注したり動かす機械を割り当てたり、工程を管理するとこ」

 おっさんがうなずいた。

「なのに、紙の入荷や製品の発送記録がしっかり残ってる。しかも、なんでわざわざ時間がかかる平台で刷る? 精度が必要な美術印刷ならともかく、元々鴻島にはそんな高度な技術はない。チラシ程度なら、輪転機で数をこなせばいいのに……」

 三人はいろんな情報を集めて来てくれた。なんだか、桁外れの取引が裏で動いていたとか……。

 おばさん。

「あたしが知ってる本業の規模よりはるかに大きいもんね……。これ、絶対ヤバい取引だよ。社長たちが殺し合った原因は、これなのかも。少なくとも関係はあると思う」

 坊やがつぶやく。

「でも、銀行も中に入ってるちゃんとした取引なんでしょう?」

 おっさん。

「だとしたら、帳簿を隠しておくのがおかしい。会社自体はぎりぎりの経営状態なんだから、正当な業務なら隠す必要なんかない。見かけが整ってるだけなんだ。そもそも工場のキャパを超えてるんだから、こんな取引は受けられないはずだ。この製品、本当に中国に送ってたとすると、たぶん何も印刷してないと思う。大量の紙を仕入れて、印刷したように装ってそのまま海外へ転送する。ああ……でも、あれだけの数量だけではコンテナが何台もは埋まらないか。送金されてくる代金も桁が一つ多いしな。ってことは、たぶんコンテナの奥は空っぽだな。数量を水増した書類を偽装して、代金だけを日本へ移す架空の取引ってことになる」

「あたしもそう思う。銀行からの借り入れも膨大だけど、そのへんてこな取引の後にきっちり返済されてる。最後はコンサルタント料や企画デザイン料としてなんか聞いたことのない会社に何億も流れてってるし。これってある意味、銀行の迂回融資じゃない? 相手にもよるけど、お金が流れた先が暴力団とかなら銀行が潰れるようなスキャンダルになるよ……」

 坊やが言った。

「もしかして、マネーロンダリング?」

 おっさんとおばさんが同時に答えた。

「それだ」

 なに、それ?

「マネー……って何?」

 おばさん。

「資金洗浄。犯罪とかで作ったお金をあっちこっち動かして、出所の分からないきれいなお金に換えること。たぶん元は、中国の犯罪組織が麻薬とか売春でかき集めた米ドルだと思う」

 おっさん。

「俺は、臓器売買もやってると思う」

「でしょうね。それをまとめて、鴻島に印刷を頼んだように見せかけていったん日本に移す。最後にコンサルタント会社から国際的な銀行に入金すれば世界中どこででも安全な資金として使えるから」

「というより、ドルを日本へ運び込むこと自体が目的かもな。取引先からよくグチられたが、中国は外貨の持ち出しを厳しく規制してるから、儲けても利益を日本に移すのが大変だそうだ。今じゃ個人が小口の現金を持ち出すのも規制されている。それで爆買いも下火になったとか……いや、そもそも金を送ってるのは地方政府の偉いさんだって可能性もあるな。中国の経済破綻は確実だし、住むにも環境を汚しすぎた。国内では反政府暴動が起きる寸前だ。それを誤摩化すために日本やアメリカと軍事的に衝突すれば、溜め込んだ米国債が無効化されるとか、海外資産を凍結されるとかの恐れもある。逆にアメリカとの友好関係が進展したとしても、上層部が変われば海外に逃げた資金を回収しようと交渉するかもしれない。今でも国家主席のガードが全員入れ替えわって、クーデターが起きたんじゃないかともいわれてるぐらいだ。ハードクラッシュに備えて、日本に安全な資産をちまちまと溜め込んでいる……ってことは充分考えられる」

 坊や。

「どっちに転んでも困るってことなんだね……じゃあ、中国から不正なお金を持ち込んだのは確かなんだね? それを証明すれば、鴻島は罰せられるの?」

 おばさん。

「どうかな……日本の法律ではどうなるんだろう? 一応、印刷した商品を送って代金を受け取ってるし、書類が整った普通の商取引だとしたら……」

「でも、偽造してるんでしょう?」

 おっさん。

「それは俺が予測してるだけだし、たとえ偽造があっても中国側が訴えて来なければ事件にならないと思う。相手がグルで国外に金を持ち出すのが目的なら、訴えるはずもない。騙されてるのは中国政府だ。中国の鼻を明かしてるだけだし、政府のお偉方はみんなやってることだ――ってことになる」

「じゃあ、鴻島一族はなんのために殺されたの?」

 おばさん。

「日本にお金が入ってきてからがヤバいんだと思う。この規模の脱税なら、税務署も警察も本気出すんじゃない? 文書の偽造が証明できれば、逮捕必至ね」

「俺もそう思う。いったん資金を日本に移転してしまえば、後は自由に操作できるからな。その後は手を尽くして金の行方を分からなくしているだろう」

「日本側にはたぶん暴力団が介在してるわね。しかも、銀行がズッポリ入り込んでる。大金を貸し出しても確実に回収できるし、大量の外為を扱えば業績も上がって業績は安泰。北興銀行の法人口座が脱税にも使われてるんじゃないの? 資金を転がすたびに手数料が入る仕組み。ただし、バレたら銀行潰すわね」

「やっぱり鴻島にも弱みがあるってことだね! それって、殺人の動機にもなりそう⁉」

「なると思うよ。でも、入手できたのは出ていった資金の記録だけ。鴻島から受け取ってからのお金の流れが分からないと、脱税が証明できない。そっちの記録は、別の場所にあるわね。たぶん、帳簿に書いてあったコンサルタント会社。会社名は『オフィスサトザキ』」

「どんな会社なの?」

「ざっと調べたけど、業務の詳しい内容ははっきりしない。従業員は5名しかいない。代表者は里崎守って名前になってたけど、ダミー会社って予感がする。そっちの帳簿も一緒に揃えなければ、この犯罪は証明できないと思う。だから銀行は、いざと言う時にはとぼけられる。鴻島印刷に融資しただけだって言い張れば、安全圏にいながら定期的な利益を得られる」

 うわ……なんだかとんでもなくでっかい話になってきたみたい。

 おっさん。

「もしかすると、会長の三男は純夏さんのお父さんじゃなくて、サトザキってヤツの方なのかな……? でも部長は、三男を排除したいと社長の娘に持ちかけていたが……」

 おばさん。

「部長がホントのことを言ってるとは限らないわよ、みんな狸なんだから。だって、オフィスサトザキと部長はどう見てもズブズブだもの。サトザキっていうのが会長の三男なら、当然、鴻島の上層部も知ってるはず。知らないフリをして様子を見てるんじゃないの? ゆっくり仲間に引き込もうとしてる、とかさ」

「なるほどな……確かに絶対に外部には漏らせない裏事業だものな。死活問題……って言うより、命に関わる犯罪だ。誰かが警察に話そうなんてしたら、確かに消される。しかも、暴力団が絡んでるとなれば……」

 わたしは思わず口に出した。

「じゃあ、四人は暴力団に殺されたの⁉」

 坊や。

「僕は違うと思うな。動機としては強力だけど」

「どうして?」

「だって、互いに殺した証拠が残ってるもの。ヤクザなら、警察が見破れないほどの偽装をする頭はないんじゃない? お金のことが殺し合いの原因にはなったかもしれないけど……。だとしても、純夏さんに濡れ衣を着せた犯人が誰だか、やっぱり分かんないんだよね……。前もって襲って指紋やバッグを準備してたのは間違いないけど、その犯人、なんで社長たちが殺し合うことがあらかじめ分かってたんだろう? しかも、順番に襲って最後に一人残るなんて、予測できるはずがないのに……」

 わたしはつぶやいた。

「予知能力を持ってる人がいる、とか……」

「まさか……って僕が言うのは変だよね。幽霊なんだから」

 おばさん。

「あんただってあたしたちが見えるんだから、そんな特殊な能力を持ってる人間がいてもおかしくはないわよね」

「わたしはそうは思わないけど……だって、幽霊が見える人なんて、結構いるよ。予知能力とか超能力とか、そんなのとは全然違うと思う。ちょっと勘が鋭いってだけで……」

 坊やが言った。

「幽霊は実在する。だから、超能力もあるかもしれない……って、考えも捨てない方がいい。でも、それ無しの可能性の方がずっと高いと思うよ。だってそんな力が実在するなら、もっと評判になってておかしくないもの。実在するのは、今のところ物語の中だけみたいだからさ」

 おっさんもうなずく。

「連続殺人とかマネーロンダリングとか、生々しい話ばかりだからな。超能力なんて眉唾の話にこだわってると、方向を見誤るだろう。今は斉藤君の濡れ衣を晴らすことが一番重要だ。超能力で嵌められましたなんて説明しても、警察は納得させられない」

 おばさん。

「でも、本当にそうだったらどうするの?」

 実は、わたしも心配。

「わたしの無実は証明できない、ってこと……?」

 坊や。

「純夏さんが襲われたことと専務が殺されたことだけ切り離して考えれば、証拠がねつ造されたってことは証明できると思う。たぶん警察も、すぐそれに気づくんじゃないかな。連続殺人は別に考えれば、純夏さんは救える。まずはそれを目指そうよ」

 おばさんもうなずく。

「だよね。でも、誰が罠をかけたのか探り出さないと、邪魔される恐れもあるんじゃない? マネロンやってる連中が敵なら、相当な力を持ってるはず。銀行とか暴力団とかが関わってるんでしょう? 警察には裏を探らせないように手を打ってくるんじゃない?」

 坊やがうなずく。

「確かに。純夏さんの命を狙って、証拠を消すとか考えるかもしれないよね。すぐに警察に捕まったのって、ある意味すごくラッキーだったかも」

 やだ。怖いこと言わないでよ。あんたらは幽霊で、もう死ぬ心配はないからって……。

 おっさんが言った。

「社長の娘が部長と組んで鴻島の支配を企んでいる。北興銀行もそれに加担しているようだ。銀行をもっと調べる必要があると思う。たぶんサトザキっていうのが会長の隠し子で、裏で動いているヤクザだっていう気がする。確証はないがね」

 坊やがうなずく。

「でも、どこを調べればいいの?」

「俺は、会長に直接聞こうと思う。だが、こっちは幽霊だ。病室に忍び込むのは簡単だが、どうやったら質問ができるのかが分からない。何しろ、こっちの姿さえ見えないんだからね……」

「それ、行ってみてから考えよう。とにかく、みんなで会長のところに行こうよ」

「分かったわ」

 私もうなずいた。

「お願いね。あなたたちだけが頼りなんだから」

 ってことになってしまった。うっとうしいだけだった幽霊たちだけが味方だなんて……。

 なんか、滅入る……。

 と、鉄格子の向こうから太った婦人警官が顔を出した。

「何? なんか言った?」

「あ、いえ……」

「他の留置者から文句が出るんで、静かにしなさい」

 なんか、トゲのある言い方だな。更年期障害か?

 ま、殺人犯っていうことで捕まってるんだから、トゲがあって当たり前なんだけど。でも、むかつく。

 思わず言ってしまった。

「ちょっと幽霊と話してただけですから。ほら、あなたの後ろにも……」

 婦警さん、ふんと鼻をならして行ってしまった。

 ま、こんな脅しが利かない人も世の中にはいるよね……。

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