2・大垣直恵

 あたしは幽霊だけど、鬼じゃないから。少しは小娘を一人にしといてやろうってみんなと相談して、今晩は放っておくことにしました。誰だって、気分転換できないとイライラするから。八つ当たりされるとうっとうしいし。

 友達とカラオケに行くって言ってたしね。

 だから、いきなり河川敷に連れてこられたのにはたまげた。

 ぼーっとしてたら、何の前触れもなく薄暗い茂みに立たされていたんだもの。寒いし……って、幽霊だから別に気温は感じないんだけど、生きてた時の感覚で寒そうに感じたし。

 足元に三毛猫。

 自分じゃ瞬間移動はできないのに、時々これが起きる。起きた時には、必ずこの猫がいる。猫が呼んだかもしれないって小娘の言葉、信じるしかないのかな……。

 だけど、なんでこんな場所に……って思ってたら、みんなも次々に飛ばされてきた。オヤジの顔、やっぱり辛気くさい。あ、治ちゃん! 何が起こったのかなぁ――って聞きに行こうと思ったら、治ちゃんは茂みの先を見ていた。だっと走り出す。

 お姉さんはスルーかい⁉

 行き先を見ると……あら、誰かが座り込んでるね。小娘?

 その横に、制服の警官が二人いる。一人がマイクにしゃべっていた。

「――河川敷で若い女性が襲われた模様。明らかな暴行の痕跡はないが、念のために救急車を要請。バッグが奪われている模様。被疑者の痕跡が残っているかもしれないので鑑識を要請」

 襲われた⁉ やられちゃったの? 

 いつの間にか近づいていたオヤジがつぶやいた。

「運が悪いね……」

 思わず答えてしまった。

「間も悪いわよ。いろいろ調べなきゃならないって時に、小娘が動けなかったら不便じゃない」

 とは言うものの、気にはなる。まさかバージンじゃなかったと思うけど、こんな場所でレイプされたら死にたくなっちゃうかもしれない。警官は暴行されてないって言ってるけど……。

 近くに行ってみた。

 小娘、ひざに飛び乗った三毛猫を抱いて立とうとした。

 若い警官が屈んで肩に手を置く。

「あ、立たないでいいですよ。もうすぐ救急車が来ますからね」

 小娘が警官を見上げた。

「そんな大げさな……身体は別に大丈夫ですから……」

「そう思っても、ちゃんと検査してみないと。大丈夫です。心配しないでいいですよ。こんな場合、お医者さんも女性にするっていう暗黙の了解ができているんで」

 犯人の体液が残ってるとか? やっぱり疑ってるんじゃん。

 ってことは、病院で足も広げられるわけ? 最悪。これがセカンドレイプっていう屈辱ね。

 小娘、それでも立とうとした。

「ほんとに大丈夫ですから――」

 立てずに、すぐ膝を折ってしまった。

 泣きそうな目で見ていた治ちゃんが叫ぶ。

「純夏さん!」

 小娘が治ちゃんを見た。その目に涙があふれる。

「大丈夫じゃないのかな……」

 警官がしゃがみ込んで、小娘の背中に手を添える。

「無理しないで。悔しいでしょうけど、しっかり検査してもらいましょうね」

 って背中をさすり始めた。若い娘だからって、べたべた触るんじゃないよ!


    *


 男二人は次の日も小娘の近くに付き添いたがった。

 ふざけんな! 小娘が心配だっていうのは分かるけど、今はそんなことされたら本当に死にたくなるぞ! 少しは女の気持ちを考えろ!

 襲われただけじゃない。その後、病院で身体中くまなく調べられたに決まってる。レイプされたかどうかは確認しなくちゃならないだろうし、傷や打撲があれば傷害の証拠にするだろうし。だからって、泣き寝入りすれば暴行犯が野放しになるし、また被害者が出るに決まってるし。ただの物取りで済めばいいけど、次は殺人にエスカレートすることだってあるんだし――。

 泣き寝入りなんかしちゃいけないに決まってる。

 それでも辛いに決まってる!

 小娘は母親に、指紋まで取られたって言ってた。現場や持ち物に犯人の指紋が残っていれば証拠になるけど、本人のものと区別しないとならないからだ。

 仕方ないんだよ。辛くても我慢しなくちゃいけなかったんだよ、小娘も。だから、一日ぐらい一人にしといてやれよ。あたしたちの復讐なんて、少しばかり遅れたっていいじゃないか。どうせこっちは、もう死んでるんだから。

 医者から処方された睡眠導入剤を飲んで、小娘はほとんど丸一日眠っていた。その間、仕事を休んだ母親がずっと添い寝していた。

 赤の他人が……他人の幽霊が出る幕じゃないんだって。あたしたちは、こうして居間でぼんやり待ってるぐらいでちょうどいいんだって。小娘にとっては、ただのお荷物でしかない幽霊なんだから。

 母親が居間に出てきたのは、暗くなってからだ。

 母親は、テレビをつけてソファーに座った。だが、画面なんか見ていない。時おり涙を流しては顔を覆う。一時間ぐらいはそうしていたかな。

 不意に立ち上がった母親は独り言を漏らした。

「済んだことじゃない。無事だったんだし。忘れよう!」そして、小娘が眠る隣の部屋に向かって叫んだ。「買い物に行ってくるね! 何か、おいしいもの作るから!」

 返事はない。だが、母親は小娘が起きていることを知っている。おそらく、ずっと起きたまま布団にくるまっているんだろう。泣いているんだろう。

 母親は、テレビをつけっぱなしにして出て行った。娘に少しでも寂しい思いをさせないようにする気遣いだね。

 治ちゃんが言った。

「純夏さん……見てきちゃだめかな……」

 こればっかりは許せない。

「自分から出てくるまで待ちなさい」

 反論はなかった。

 退屈な連続ドラマを、幽霊三人で眺めた。内容もよく頭に入らないうちにドラマが終わって、ニュースの時間になる。これも、ぼんやりと眺める。

 トップニュースは山の手で起きた民家の爆発事件の速報だった。火が出る家の消火作業の画面をぼーっと見ていると――あれ? どっかで見た家みたい……?

 アナウンスが頭に入ってきた。

「――ガス漏れによるものと見られています。現在は火災は鎮火されましたが、燃えた室内からは二人の遺体が発見されています。二人はこの家に住む鴻島夫妻と見られ――」

 ん? こうじま、って言った?

 オヤジの顔を見る。ニュース画面を見つめて、真っ青になっていた。

 やっぱりそうなの? 鴻島って、鴻島印刷の?

「ねえ、あんた」オヤジ、無視かよ。「ねえったら!」

 オヤジがこっちを向いて、ぼんやりうなずく。

「社長だ……社長夫婦が死んだらしい……」

 だよね……。確かに、テレビの中で燃えてる家は社長の自宅に見える。あいつら、死んじゃったのかよ……。

 治ちゃんがオヤジを見る。

「鴻島印刷の? 僕たちが狙ってた?」

「そう。その社長」

 でも、ガス爆発って……? 何だか、肩すかしを食らった気分。これからじっくりいたぶって復讐しようと思ってたのに……。そりゃ、本気で殺してやろうとまでは思ってなかったけど……。

 オヤジが言った。

「偶然なんだろうけど、出来すぎだよな……なんで、俺たちが調べ始めた時に……」

 治ちゃんがうなずく。

「あの化け猫がやった……とか?」

 それ、違うんじゃない? 猫は、小娘にべったり引っ付いているだけだと思う。

「自分だけでそんなことができるんだったら、あの猫、あたしたちを集めたりしないと思うよ。昨日も河川敷に連れてこられたでしょう? どうも、あの猫に呼ばれてるって気がして仕方ないんだけど」

 オヤジがうなずく。

「俺もそう思う。いきなり居場所が変わってたからな。猫がやったのかどうか分からないけど、誰かに呼び寄せられたって気はする」

 治ちゃんもうなずく。

 このところ、治ちゃんははっきり自分の意見を口に出すようになってる。最初に会ったときみたいに、びくびくした感じがない。あたしたちと一緒にいることに慣れてきたの?

 あら? それとも、お姉さんに馴染んできたのかしら?

「それもそうだね。僕もそんな気がする……」

 あたしも賛成!

「ね、そうだよね!」

「でも、俺たちが狙ってる相手がいきなり死ぬなんてな……やっぱり、ただの偶然か……」

 治ちゃんは何か考え込んでいる。

「僕は、それも違う気がするな……。純夏さんが襲われたとたんに、これだもの。どこかでつながってるように思えるんだけど……」

「小娘が? だってあの娘、鴻島とは何の関係もないわよ。あたしたちに取り憑かれただけで。それを知ってるのもあたしたちだけだし」

「俺も考え過ぎだと思うぞ。それこそ、ただの偶然だ。かわいそうだけどな」

「僕は、こんな偶然が重なりすぎることの方が不自然だと思うんだ。大体、純夏さんの襲い方だって普通じゃないし」

「襲い方? どこか変なの?」

「だって、柔道の絞め技かけられたみたいじゃない。警察は不良外国人がうろついてる噂があるって言ってたけど、あの人たち、いきなりレンガで殴ったりとか、元の雇い主を拳銃で撃ち殺したりする乱暴な人たちだよ。絞め技なんて面倒なことする?」

「俺も中学で柔道をやってたけど、確かに面倒だよな……」

「大体、絞め技って何なのよ」

「首に腕を回して頸動脈を締めつけて、意識を失わせるんだ。落とすまで――気を失うまで、結構長い時間がかかる。その間、人に見られる危険もある」

「でしょう? バッグ取るのが目的なら、自転車使って後ろからひったくるとか、スタンガンで決めちゃうとか……時間がかからない方法はいっぱいあると思うんだ。なんで絞め技なんだろう?」

「傷はひとつも残ってなかったわよね。女の子に傷はつけたくなかったんじゃない?」

「拉致とかしたかったならともかく、ただのひったくりがそんなに優しい? そもそも、女の子を襲うような卑怯なヤツなのに」

 治ちゃん、なんかムキになってるし……。若いんだから――もとい。若かったんだから、元気になるのはいいんだけど、なんだかホントに人が変わっちゃったみたい……。

「そんな……あたしを責めなくったって……」

「責めてるわけじゃないないけど……でも、何だか奇妙なことが起きてるのは間違いないんじゃない?」

「そりゃあたしだって、なんかしっくりこないなって思うけどさ……」

「俺たちが集まってからこんな事件が続くのは確かだしな。でも、それでどうする?」

 もやもやした気持ちのまんまじゃ、復讐にも身が入らない。社長が死んで、出端をくじかれた気分だし。こうなったら、とことん調べるしかないんじゃない?

「社長の家、行ってみるしかなさそうね。偶然じゃないんなら、誰かが社長を殺したってことになるんでしょう? それが分かったら、会社に復讐する方法だって見つかるかもしれないんだから」

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