2・大垣直恵

 あたしたちは繁華街に出て、山の手の高級住宅街に向かうタクシーに潜り込んだ。無賃乗車だけど、幽霊だから勘弁ね。

 小高い山に張り付くように広がった街並みを見ると、オシャレで取り澄ました感じがする。鴻島の一族もその一角に土地を買い占め、豪華で小綺麗な家を並べて住んでいる。南ヨーロッパ風の、色もデザインも同じような家が三軒。調和が取れているとも、無個性ともいえる、面白くもない風景だ。そこそこ名のある建築家のデザインらしいけど、住んでる人間の質を考えれば、ひたすらもったいない。豚に真珠ってヤツね。

 あたしたちはそこで別行動をとった。みんなで夜の夫婦生活を眺めるなんて、趣味が悪すぎるもの。そういうのは、一人で楽しまなくちゃ。

 あたしは社長の寝室を目指した。玄関なら何度か入ったことがある家だ。壁は自由に通り抜けられるから、探すのも簡単。

 でも4LDKの豪邸は夫婦二人には広すぎない? 娘夫婦だってとっくに別居してるんだから。いくら先代の遺産でも、いつまでたっても上がらない給料に耐えている社員の手前、少しは慎ましい暮らしに変えても良さそうなものを。

 もちろん、しわくちゃの社長夫婦が抱き合っている光景を見たかったわけじゃないわ。でも、出くわした状況はもっと凄まじかった。

 寝室らしい部屋は二つ。それぞれのセミダブルベッドが置いてある。家庭内別居の噂は、なるほど、正しかったわけね。で、一部屋は無人。ところがもう一方のベッドでは、ふくらんだ毛布がもごもごうごめいて、サイドテーブルにはワインの瓶が転がっている。中で二人がじゃれているみたい。一瞬、夫婦仲が復活したのかとも思ったけど、本当に? 二人会わせて、130歳超えなのよ?

 と、しわくちゃのバアさんが毛布から顔を出した。うっとりとした顔で、鼻を鳴らす。

「タカシくぅん……。だめよぅ……」

 タカシ? 社長はヨシオ。別人であるのは当然だとしても、誰? と、毛布がばさっとはねのけられ、タカシ君が姿を現す。

 タカシ君、服は着ていた。おやおや、若さに似合わず高級そうなスーツですこと。バアさんも、胸ははだけているが、若作りのワンピースを着ている。ちぇ、こっちはヴィトンかよ。

 と、タカシ君はいきなりベッドから飛び出し、床に土下座した。

「奥さん! お願いです! 今のは兄貴に黙っていてください! 俺、殺されちゃいます! しっかり送り届けろって言われたんです。なのに、つい……」

 バアさん、ベッドに座ってうっとりとタカシ君を見下ろしている。

「兄貴って……ヤスシちゃん?」

「俺、帰ったらすぐ、兄貴と話を付けます。半殺しにされるかもしれないけど……」

 バアさん、とろけそうな笑顔に涙を浮かべた。深いシワの中に、涙が染み込んでいく。

「タカシ君、そんなに私のことを……?」

 タカシ君は無言だった。だが土下座したままちらりと横を向いて、表情が見えた。

 なんだ、ブサイクじゃん。しかも、舌まで出して。どうせ、売れないホストでしょう。ナンバーワンのヤスシちゃんに入れあげてる金づるを横取りしようって魂胆ね。それならそれで、徹底的に演技し通せばいいものを。やることが半端だから、あんた、のし上がれないんじゃないの?

 まあ、ばあさんを喜ばせた根性は認めてあげるけど。

 手に入った、最初の極秘情報。社長夫人はホストクラブに入り浸って、社員が稼いだ金をヤスシちゃんに貢いでいる――ってことね。

 じゃあ、社長はどこ? 当然、妾の部屋か。あたしはずっと疑ってたけど、働いている間は妾を囲ってるっていう証拠には近づけなかった。さて、それはどこでしょう?

 社長の寝室へ戻った。ゆっくりと室内を観察する。埃が積もった机の上に、電話と卓上住所録がある。まさかそこに妾の住所が書いてあるとは思えないけど、見てみたい。でも、あたしの手じゃ、紙一枚すらめくれないし……。

 と悩んでいるうちにしゃがみこんで、無意識のうちに顔が近づいていった。机の天板に、顔がめり込んでいく。

 うわ、変な感じ。壁は何度もすり抜けて慣れちゃったけど、これは顔が半分に切断されたみたいで落ち着かないな。でも、住所録の中身は見たいし……と思っている間に、目が、住所録にめり込んでいった。

 そしたら、おや、文字が読めるじゃない! ぴったり閉じてある住所録のページの、上も下も、次のページも望みのまま。ミミズがのたくったような汚らしい字は、社長の筆跡に間違いない。住所録は閉じてあるんだから光も当たってないわけだし、人間のままじゃ絶対にできない芸当ね。あ、そもそも無人の寝室には照明がつけられていなかったんだ。なのに、それに気づかないほど全てが見えていたわけ?

 つまり、目で見ているわけじゃない。そもそも幽霊なんだから、人間と同じ目があるはずもない。じゃあ、これって、どうして? いけない、あたし、物理とか化学って全然ダメだったんだ。考えるだけ無駄ね。

 帰ったら、治ちゃんに聞いてみようっと。

 でも、なんか得した気分。幽霊にも、それなりにいいことはあるみたいね。

 で、問題は書いてある中身――女の名前に一か所、赤丸がついている。成瀬かおる。まさか、こいつが妾? この名前、あたしは知らない。二重帳簿で浮かしたお金は、いろいろ秘密のお付き合いに振り分けてたんだけどな。住所も電話番号も、しっかり書いてある。奥さんに『見てくれ』って言っているみたいなもんだけど……。

 でも、あっちはあっちでホストに狂っているんだから、見られたって平気なのかもね。公認の浮気ってことか……。行ってみれば分かるわね。すぐ近くだし、歩いても五分もかからないし。

 ――って、来てみたら、やっぱりいるじゃない。やることなすこと、単純明快。なんてお気楽な社長だったんだろう。

 かおるちゃん、メイド服のコスプレ。ソファーに座って大股開いていました。股ぐらに、社長が鼻を突っ込んでいる。

 かおるちゃんは『もっともっと』とうめいているけど、目は天井を冷静に見つめている。そりゃ、しょぼいジイさん相手じゃハイになれるわけもないものね。お高そうなマンションに住むためのお仕事なんだから、我慢、我慢。……って、それも会社の金だろうが! 

 だんだん腹が立ってきた。このジジイ、どこまで会社を私物化しているんだ? なかなか業績が保てなくて厳しいリストラもしている業界なのに、てめえはお気楽な女遊びかよ!

 ジジイの頭を蹴り飛ばした。こっちも相手も痛くも痒くもないけど、そうでもしないと気が治まらない。

 と、ジジイが股ぐらから顔を上げた。猫なで声をだす。

「今度はボクちゃんのを……」 

 かおるちゃん、一瞬だが、死にそうに嫌な表情を浮かべた。

 我慢、我慢。お仕事なんだから。

 もう一時間ほど二人の観察を続けて、見るべきものは全て見た。

 極秘情報その二。社長は立たない。しかも、ちっこい。でも、ねちっこい。

 さて、会社が始まるまであと5、6時間。幽霊は眠る必要はないから、まずは、かおるちゃんの部屋の中を完全に調べましょう。あっちこっち覗いてみると……登記簿謄本が出てきた。うわ、このマンション、かおるちゃんの持ち物じゃん! しかも、全額一度に支払った領収書まで一緒になってる。高校生みたいな顔して、稼いでやがるな……まさか、この金、社長が出したのか? でも、二重帳簿でもそこまでのお金は出て来なかったような……? 他にもいっぱいパパさんを抱えてるのかな? それはそうと、かおるって本名だったのね。

 次は、社長宅へ戻って、同じことを。

 出てくる出てくる。極秘情報がてんこ盛りね……って、ほとんどは役に立ちそうもないゴシップ話だけど。でも、それって、すんごく楽しいのよね。

 とか言ってるうちに、もう8時。田舎の印刷屋だから、朝が早いのよね。8時半の始業に向けて、人が集まってる頃。早速経理に行ってみましょう。

 もう出社しているのは、専務の亭主。社長の妹と結婚した、名良橋和道。メインバンクの北興銀行の幹部の弟。エリート行員だったけどポカをして、出向替りに鴻島の長女と結婚させられた。政略結婚だけど、当時の鴻島印刷はこの地域じゃ一番の大口取引先だったからね。今じゃ経理部長で、あたしに二重帳簿の管理を命じたのもこいつだ。

 最初は『銀行員とのいい縁談を世話するから』とか言っておきながら、いったんあたしが深みにはまると『もう共犯者なんだぞ』と脅してきた。

 そりゃあ、多少のおこぼれには預かったわよ。おかげで、経理部の中じゃでかい顔もできたし。でも、会社のために資金をプールすると言われたから手を貸したんで、幹部のお遊びにじゃぶじゃぶ浪費されていると知ったら断っていました。

 ……たぶん、だけどさ。

 と、社長がやってきた。さっきまでお楽しみだったのに、早いわね。あ、そうか。朝、顔だけ出せば、後は帰ってグータラ寝てればいいもんね。きっといつも、そうしてたんじゃない?

 でも、それにしてもこいつらが浪費してる金額はハンパじゃない気がする。あたしが二重帳簿で捻出してた額だけじゃ、間に合いそうもない。あたしが死んでから、急に業績が上がったってこと……? それとも、アベノミクスで株がバカ上がりしたとか……。

 経理部長は社長に目配せされて、そそくさとコンピュータの前の椅子に座った。元のあたしの席じゃん。なるほど。後釜を見つけるまで、仕方なくあんたが手を汚してたってことね。では、お手並み拝見。どんな汚い手を使って裏金を膨らませたのか、残らず見させていただきましょうか。

 あたしが管理していたのは、水増しの領収書やカラ出張なんてせこいものばかりだった。お客さんへのお歳暮の名目でごっそり商品券を買い込んで、金券ショップへ持ち込むのも年中行事だったけど。それを、はるか昔から作ってあった銀行の架空名義口座へ溜め込むわけ。今はそんな口座作りにくいけど、昔から持ってたものはチェックされないから。

 きっともっと大掛かりな脱税も始めたんでしょうね。鴻島印刷にはデザイン部門を独立させた子会社なんかもあるから、決算期をずらして利益の移動を繰り返せば、収益をぐっと低く見せかけることもできるし。あたし以外にも誰かがそんな操作をしてるんだろうなって、ずっと疑ってはいたんだ。

 せっかく幽霊になったんだから、鴻島印刷の脱税の手口、残らず見させてもらおうじゃないですか。できることなら、あんたら全員、素っ裸にして刑務所にぶち込んでやる。

 女のプライドをズタズタにした恐ろしさを思い知るがいいわ。

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