【第三十一話】帰郷

 スレインはナディアに理由を話して、邸での滞在に礼を言って出て行った。彼らはこれから、水の天族の村クレストの村に向かって、旅立つところだった。旅立つ前、スレインは二度と帰らない誓いを、立てたわけではなかった。ただ彼は一度旅立ったら、もう帰れないかも知れないと、そう考えていただけだった。

「じいじ、怒るかな? いきなり帰ったりしたら」

「どうだろうね。じいじのことだから、また逃げ帰って来たか、ぐらいは言いそうだけど」

「俺達って、じいじにとったらまだガキなんだろうな」

「それでも立派だよ、スレインは。こんなことがなかったらきっと、帰らないって言うと思ってた、僕は」

「うん。じいじに甘えてちゃだめだって思ってたからさ。でも俺、聖剣士になろうと思って出たわけじゃない。ただあの妖魔のことが気になって……」

 人間になった妖魔。それがスレインの旅立ちの理由だった。それだけは何があっても、ナディアに報せないとだめだと思った。

 だけど逆にスレインの力が、表に出てきた――顕在化しただけだ。だからクレストの村に戻って、もう一度歴史を学びなおす。それがスレインの決めたことだった。

 エルーシャからすれば、それは彼の幼馴染の成長のあかしなのだろう。彼は幼馴染が人を頼るところを、全く見たことがなかった。どんな時もエルーシャが危険を感じて、助けに入っていたから。

 だけど今回、エルーシャも知らない歴史を突き付けられ、二人は戸惑ってしまった。天族として、エルーシャはスレインよりも歴史に精通していたが、二人の知識の差は、人間と天族の違いだけだった。

 森に入ると、かすかな力強さが感じられた。ツイナが足を止める。

「ツイナ? どうした?」

「これが……水の天族の……長老の力……?」

「ああ、じいじの結界か。感じるのか?」

「ええ。同じ天族だからでしょう。長老の力は感じます。これは加護領域ですね?」

「領域って言うのか。俺達は単純に、結界って呼んできた。感じるんだ。この森に入ると、じいじの加護をさ。守ってくれる。その力だけだ、感じるのは」

「そうですか。人間であるスレインさんすら、それを感じるのですね? 正しく祀られてきた証拠です。確かにここに立てば、わたしの力は半減しますから」

 水と火の天族の違いは、そこにあった。水の力を相殺することが出来るのは、地の力のはずだが、火の力を半減させるのは、水の力なのだ。

「スレイン、気をつけろ。結界に何者かが侵入してる」

「ああ。俺も感じる。じいじの結界が揺らいでる」

 二人が警戒を強くすると、覆面の女が目の前に現れた。

「誰だ? ここは人間が入れる場所じゃない」

 エルーシャが誰何する。理由はこの結界に守られて育ったスレイン以外では、最近はナディアだけが中に入れた。この結界は人間を惑わし、森の外へといざなうのだ。

「何故お前達は無事なのだ?」

「俺達はここで育ったからな」

 スレインが警戒しながら答える。殺気が鋭いくらいに、肌をさしていた。スレインの半袖のシャツは、森の中でも過ごせるように、粗く編まれている。

 これは村にいる大人達が、スレインのために街に出て、布を仕入れて作ってくれていたからだ。天族は人に見えないだけで、精霊達から様々な恩恵を受けている。人間との取引もそのうちの一つだ。

 クレストの村では、人間はスレイン一人だったので、スレインのための服が、どうしても要ったのだ。エルーシャの服は、彼自身がわざわざ元素から作っているので、天意の素晴らしさがここに現れる。

 かつてスレインは言ったものだ。いいよな、エルは、と。天意が使えないスレインには、様々な奇蹟を起こす天意は、それこそ天の力のように感じたものだった。

 だがその代償に、エルーシャの力は、土に対してひどく弱い。それをカバーするのがスレインだった。

「出て行くがいい、招かれざるものよ。わが結界の中では自由にはさせぬ」

 その声が響くと同時に、スレインは目を開けた。そこは見慣れたクレストの村だった。

「何が起きたんだ?」

「水脈を一瞬で移動した? でもそんなこと、できないはずじゃ……?」

「よく戻ったの、スレイン、エルーシャ」

 訝る二人に声をかけたのは、齢四百にさしかかろうとする、この村の長老だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る