【第十六話】森と街

 スレインとエルーシャが斜面を下りながら、右手に見えてきた湖を見て、歓声を上げた。特に初めて人間の住む場所に来たスレインにとって、それは何もかもが真新しい。

「エル、あれが人間が住むという街なのか?」

「多分ね。僕も初めて来たけど、人間は自然に感謝することがなくなって、もうずいぶん経つとじいじが言ってた。

 あそこは湖だな。人間は湖畔に街を作り上げたって聞いたけど、あれがそうなのかな?」

 エルーシャも自信がなさそうだった。

 大自然という営みの中で暮らしてきた彼らは、すべてが石造りの街というのは、初めての経験だ。

 だがそこに行くには、まだ長老の結界があるこの森を越えなければならない。外の世界は、自分達の想像以上だと、スレインは認めざるを得なかった。

 長老の結界内では、妖魔は出にくい。だが結界を一歩でも出れば、旅人を襲う妖魔も多い。そのほとんどが目に見えるもので、人間は妖魔に対して、対抗手段をとった。それが武器を持つことで、その最たるものが騎士だ。

 人間の街は騎士によって守られている、と二人は聞いて育った。ナディアと名乗った彼女がこの街で暮らしているのであれば、妖魔が跋扈する中に遺跡に来たと、彼らは実感しただろうが、今の時点では知っているだけだ。

「スレイン、感じたかい?」

「ああ。じいじの結界が消えた」

「消えたんじゃない。僕達が結界の外に出たんだ。ここからはじいじの加護はないね」

「俺は望んでここに来たけど、エルはいいのか?」

「スレインの行く場所、僕も見たいからね」

 エルーシャからすれば、それは当たり前のことだった。

 エルーシャとスレインは、兄弟のように育った。何をするにしても一緒で、遺跡に入り始めた十二歳の頃から、どこに行くにも一緒だった。そして何かを知り、何かを見つければ、互いに自慢しあう、よきライバルでもあった。

「スレイン、気をつけろよ。ここからは妖魔がはびこる世界だ」

「解ってるさ。エルこそ気をつけろよ」

 互いに注意を出し合い、彼らは森を下った。

 その日、二人は初めて野営をした。薪を拾って来たのはスレインで、火を熾し、料理を作ったのはエルーシャだ。シチューに入れる具を取ったのは、もちろんスレインだ。

「野菜を持って来ていて正解だったよ。こんなに森の中に何にもないとは思わなかった」

「同感。獲物がほとんどないんだ。猪でもいれば、それを狩って材料にしたんだけどな」

「人間はどうやって、肉や魚を獲っているのかな?」

「……解らない。でもこんなに材料がないのは、妖魔のせい、なんだろうな」

 スレインが言うと、エルーシャも頷いた。それから地図を開く。この地図は、森を出たことのある仲間が、あえてエルーシャに持たせたものだ。

「この先の林道を通れば、明日の昼くらいにはふもとの湖につく。その湖畔をぐるっと回って、橋が見えるはずだ」

「橋? 湖の中?」

「湖の端を渡る橋のようだね。ディラックが記してくれた地図にはそうある」

「さすが。元狩人を自認するだけはあるな」

 ディラックとは仲間の中でも、エルーシャの面倒を見ていた男性のことだ。やはり水の天族で、剣よりも弓が得意だった。

 そのおかげか、若い頃は結界の外まで出て、狩りをしていたらしい。その頃に今の地図を作り上げ、人間の街まで記した強者だった。

「あの少女を探すんだろう?」

「ああ。なんか切羽詰まってる感じだったし、力になれたらなって……」

「また始まった」

 スレインのおせっかいは、エルーシャが一番よく知っている。

 まだエルーシャが十一歳の頃、初めて遺跡に行って、大ケガをしたのだ。その時、長老よりも必死に、エルーシャの役に立とうとしたのが、まだ十二歳のスレインだった。

 薬草を採りに森に入って、反対にけがをして大人達に叱られた、という武勇伝がスレインにはある。

「スレイン、街に入ったら、あまり僕に話しかけないほうがいい」

「え? 何でだよ?」

「スレインは天華能力があるから、僕達は見えて当然だけど、他の人は見えないんだ。怪しまれると、今後に障りが出てくる」

 エルーシャに言われて、スレインは天幕の向こうの湖を見た。そうなのだ。普通の人に天華能力はなく、持っていたとしても存在を感じるだけ、という曖昧なものである。

 だからスレインのように、天族と言葉を交わすということは、まずありえない。

「そっか。俺にとっては普通だったけど、みんなは違うんだ」

 スレインには軽いショックを与えた。だがそれが事実であり、人間にとっての真実だった。

(だから俺、捨てられたのかな?)

 人は持たない天華能力。スレインは幼い頃から天族と生活し、毎日のことを教えられた。

 風呂に入るのも、狩りに出るのも、探索に出るのも大人達から学んだのだ。そしてそれはエルーシャも同じだった。

「スレイン? 変なこと、考えていないだろうね?」

「あ、ああ、もちろん」

 図星をさされたスレインは、慌てて毛布に潜り込んだ。エルーシャの勘の良さに、半ば脱帽しながら。


 翌日、二人は旅立った。再び林道を抜け、そうして人間の街にたどり着いた。

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