【第十四話】スレインの決意

 この日、ほとんどのことがスレインの手でなされて、女性はほっと息をついた。旅行鞄、これは長期間旅をするために必要で、ほかに寝袋と、いくつかの道具。剣と槍の穂先を研ぐための砥石。

 砥石はスレインが無償で譲ってくれた。それらをすべて鞄に詰めて、少女は言葉なくそれを受け取った。

「これで全部かな?」

「そうだな。ありがとう。わたし一人ではどうすることもできなかった。すべては君のおかげだ。これで明日には旅立てる」

「後これ」

「これは?」

「森の地図だよ。迷わないように印をつけておいたから、グラスフォードの街にはこれで帰れると思う。まだいていいけど、君はそうでもないんだろ?」

 スレインの問いに、少女は答えられない。確かにそうなのだが、このスレインという青年のことを知りたい、という思いも同時にあったからだ。

「俺はじいじのところに行ってくるよ。報告しなきゃならないからさ」

「すまない」

「別にいいよ。じゃ、ゆっくりしてて」

 いうとスレインは立ち上がり、家を出て行く。昨夜の考えを引きずっていたこともある。下界に行く。それはスレインがこの村で孤立しているとか、そういったことではない。

 スレイン自身が、この村を守っていくという自覚を持ちながら、旅立ちたいという思いを持っているからだ。だからいずれは出て行く。同じ人間の街に行く。

 茫洋とした世界観しか持たないが故に、漠然とそう考えていただけだ。世界にはほとんど人間の世界が広がり、天族は果てに追いやられた。それは同時に精霊も同じだった。

「スレイン、旅立つの?」

 そう問いかけて来たのは、この村に住む地の精霊だった。スレインは立ち止って、考え込む。旅立っていいのか。

 確かに村には強固な結界が貼られている。その中では天族と精霊は、心穏やかに過ごしている。スレインはそれを知っていたし、それが当然だと思ってきた。だがつい先ごろ、結界が揺れたこともある。

「解らない」

 だからそう答えるしかなかった。彼女達精霊は、ほとんどが女性形だ。男の精霊というのは、まだお目にかかったことがない。だが天族に男がいるように、精霊にもいておかしくはない。

「ただ俺、今まで通りにいていいのか解らないんだ」

「でもここがスレインの故郷だよ」

 故郷、と言われて、スレインは心がぐらつくのを抑えられなかった。旅立とうと決める心が、強いものだとは、彼には思えなかったからだ。

 まっすぐ長老の家に向かいながら、スレインはただ考えていた。これ以上結界にほころびが出るようだったら、誰かがそれを止める必要がある、と。

(俺、行きたいんだ、外に。この結界の外に)

 それを自覚したのはいつだったか。いつも何かが違う。そう思って来たそのことを、今突き付けられた気がした。

「じいじ、入るよ」

 家の扉を開けて、中に入ると、奥の間に長老はいた。

「明日旅立つって」

「そうか。出立は皆で見送ろう。仮にも客人であったのだからな」

「うん、ありがとう」

「スレイン、旅立ってもよいのだぞ?」

 スレインが硬直する。長老は心得たように頷いた。

「人の街は、金が要る。その金を少しずつ貯めてきたのだろう?」

「――うん。ほんとはもうちょっと待とうかなって思っていた。昨日、結界がほころんだばかりだったから」

「お前は本当に優しい。その優しさ、素直さを大事にしたいのじゃ、わしはな」

 行くがいい。そう言われた気がして、スレインは静かに頭を下げた。この優しい長老を、彼は親として育っている。だから掟はできる限り守って来たし、これからも守り続けるつもりだった。

 長老の家を辞して、スレインが空を見上げると、蒼穹の空が広がっている。その青さはどこまで続くのか、見てみたい。そのためにはこの村を出なければならない。クレスト、とは約束の意だ。

 誓いを立てれば、それに背くことはできる限り避けなければならない。だからこそ、クレストの村と呼ばれていたのだから。

 だから、行こう、と決めた。この目で世界を見て、そして長老に報告しようと。秘かに決意した。

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