【第十二話】危険な戦い
スレインは少女に合わせて歩き、山林に差し掛かったところで足を止めた。森、というのはかわいらしい、少し多く木々が茂っている場所だ。ところどころに奇岩があるほかは、危険と感じない場所だろう。
その奇岩の一つに、スレインは身を隠した。少女が続いてスレインのやや後方に隠れる。
「ほら、あれがボアの仲間で、ウリボア。あいつの肉は燻製にするといい保存食になるし、皮も素材として色々使えるんだ。あれで作ったバッグは長持ちするし、丈夫でいいんだよ」
「それでどうやって狩るんだ?」
「まずは剣で先制攻撃、それから逃げ切めからは小ぶりの剣閃で仕留める。俺の仲間は攻撃が不得意なものが多いから、俺がまず先制する」
「解った。君の剣に合わせる」
「すまない。――ん? あれは……?」
ウリボアが逃げ出したのを見て、スレインは目をすがめた。そうすることによって、より正確に天華能力が発揮される。
「何で妖魔――ウリボアが危ない!」
スレインは足を踏み出し、駆け出した。二歩目ではもう走るという姿勢になっていたので、少女にはそれを追えなかった。第一、スレインが何に対して危ないと言ったのか、彼女には理解できなかった。
スレインは走りながら剣を抜いて、地面を蹴った。相手はスレインにしか見えない、妖魔。魔物の中でも上位の魔物だ。天華能力でなければ見分けはつかないし、少女には向こうの大自然が見えているはずだった。
スレインの大上段からの剣閃が、妖魔の頭を切り裂く、はずだった。だが、その件ははじき返され、スレインは妖魔の向こう側に降り立って、瞬間に剣を薙ぐ。横払いの一撃は、妖魔の爪で受け止められた。
(エルがいれば……いや、忙しいって言っていたし、俺のことで心配はかけられない)
少女のことを任せろと言ったのは、スレインだ。前言を早くに撤回するなど、彼には考えられなかった。
それに少女がすぐに普通の人間だと解った時、それでもスレインは彼女を保護すべきだと思った。だからこれは自分の甘さだ。結界の中に妖魔はないって来ないと、たかをくくったあかしだった。
エルーシャは足を止めて、振り返った。
「エルーシャ? 何をしているんだ?」
「今、声が聞こえなかったか?」
「声? いや? スレインか?」
その家族の一言に、エルーシャははっとなった。同時期に生まれたからか、エルーシャとスレインは、目に見えない何かでつながっている。互いにそう感じることがたびたびあったし、遺跡に潜る時は、たいてい二人で潜っていた。だから互いの呼吸も解る。
「すまない。後は任せた」
「お、おい、エルーシャ!」
家族の声を背に聞きながら、エルーシャは森のほうに駆けて行った。
スレインは危険を承知で、一人で戦っていた。妖魔の爪を剣の肚で受け止めると、身を乗り出して前転、後ろを見ないで後背に剣を薙ぐ。よどみのない攻撃だが、なかなか致命傷を与えられない。すでに半時も攻防を繰り返していた。
スレインも鍛えているほうだ。他の一族に比べれば、持久力も判断力も並み以上。長い間坑道に潜る仲間もいるが、それ以上に鍛えている自覚はあった。
(こいつ、何でこんな結界の中に……?)
それがスレインの思うことだ。結界は妖魔の侵入を防ぎ、人間の目に留まらないように隔離する。それが目的だった。
だがこの妖魔、ワイルドボアは、妖魔の中では最下級に位置しながら、強さは半端ではない。その膂力もさることながら、爪の一撃は侮れない。しかも手足が長い。
これに魔法の援護があれば、何とか立て直すこともできる。攻撃が単調化しているのは、スレインにも解っていた。
だが彼には守らなければならない少女がいる。天華能力を持たない、普通の人間の少女が、背後に隠れているのだ。
「レイジスパイク!」
ありえない声に、スレインは戦闘中だということも忘れて、振り返った。エルーシャが杖を出して、天意で援護したのだ。
「エル? お前なんで……?」
「声が聞こえた気がしたんだ。じいじにはおとなしく怒られるよ」
「助かる。援護を頼む」
「解った」
エルーシャの援護に、スレインは頷いた。さらに踏み込んで、右薙ぎの一撃。それを見越してか、ワイルドボアが防御の体勢に入るところを、エルーシャの天意が直撃する。
エルーシャの天意は、まだ初級段階だ。昨日、今日と妖魔にあっているが、実戦を経験する、という段階ではない。
スレインはワイルドボアの横を通り過ぎざま、下段からの切り上げを行う。普通なら剣筋がついていても不思議ではない。そこにエルーシャの援護魔法。
膂力の高い魔物と言っても、二人の連携を崩すことはできない。ワイルドボアの膂力のほうが切れかけて来ていた。
「エル、次で決める」
「解った。タイミングは任せろ」
「頼む」
それだけで通じ合う二人である。
スレインは敢えて前に踏み込んで、攻撃を誘う。爪の一撃は、やはり剣の肚で受けた。それから剣を返して爪を切る。ワイルドボアが悲鳴を上げた。それは絶叫だったのか。あるいは歓喜の声だったか。
どちらともつかない声で、だが確かに絶命した。弱点は爪だったようで、スレインは肩で息をしながら、息をついた。
「ありがとう、エル。助かった」
「スレインらしくないね? 苦戦だったのか?」
「彼女に見せられないからさ」
つまり戦いながら、スレインは民間人を守っていた、ということになる。剣士としての才覚に関すれば、おそらく長老の想像以上だろう。
絶命したワイルドボアの身体が、霞となり消え去った。
「スレイン、どうしたのだ? 何かあったのか?」
今まで隠れていた少女には、解らなかったらしい。二人が頷きあい、スレインが答えることにした。
「何でもないよ。ちょっと予定外のことが起きただけ」
エルーシャが見えない少女には、スレインの言葉だけがすべてだった。ここに魔物がいた、ということも、見えなかった彼女には信じられないだろう。
それから予定通りにウリボアを狩って、彼らが帰路についた時には、もう夕暮れだった。エルーシャは長老のところに報告に行き、スレインは毎日の日課である、倉庫から薪を持って来て、ふろと食事の用意をした。
ただ少女には、何が起きたのかまるで解っていない。彼女が危険を感じるのは、まだ先のことになりそうだった。
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