【第九話】天族の歴史(二)

 少し歩くと、悠久の時を過ぎたかのような景色が、目の前に広がった。

「これは……すごい……」

「グラスフォード王国には、自然はない?」

「そうだな。わたしは初めて見る」

「そう」

 少女の感嘆たる呟きに、スレインは半分、気落ちして頷いた。地上にある天使の村。天族の村は、そう言われている。

 彼が住む水の天族の村も、自然を多く利用している。その一つが、古代からある石造りの家だ。

 これは鉱山から採掘される石でできていて、ほとんどの場合、子供が自立してから作られ、与えられる。

 スレインも二年前に独立し、狩りなどで生計を立てていた。

「そう言えば、どこに向かっているんだ?」

「この先にある俺が住む村だよ」

 村と言っても、天族だけが住む村だ。人間には珍しいものはないだろう。少なくとも、スレインはそう思っていた。

 一刻ほど歩くと、石造りの門が見えてきた。そしてその傍で放し飼いにされている動物も。

「あれは?」

「ああ、ヤギだよ。俺が住む村では、子供はヤギの乳で育つんだ」

「そうなのか? わたしは初めて見たぞ、あんな大きな動物は」

 箱入り娘なのかな?

 スレインはそんな失礼なことを考えた。

 門をくぐると、村の住人達が視線を向けて来る。スレインは動じなかったが、少女には見えていないのか、きょとんとなっている。

「長老に報告してくる」

「黙ってるわけにはいかない……よな?」

「……後で来るんだろう?」

「……うん」

 それは仕方がなかった。門をくぐった時点で、長老には知られている。

「あそこが俺ん家。先行ってて。俺、ちょっと行くところがあるから」

「待ってくれ」

 少女の声に、スレインは足を止めた。静かに振り返る。

「ここには君以外の人間の姿が、見えないんだが?」

 その一言に、スレインはどう答えようか迷った。天族の皆が、スレインにとっては家族なのだ。だがそれを少女に理解させるわけにはいかない。ここは隠れ里とでも言えばいいのか、共存に疲れた天族達が、静かに暮らす場所である。

「ごめん、その理由は言えないんだ。俺の家に行ってて。ここなら帰る手立てを考えられるから」

 それが精いっぱいだった。彼女は天華能力を持っていない。それが解る一面でもあった。

 スレインは心を残しながら、最奥に進んだ。あの少女と同じなのかと、思わず考える。

 スレインは幼い頃から、天族が見えていた。その能力を伸ばしながら、天族の家族と過ごしてきた。それが当然でもあったからだ。

 二年前、真実が教えられた。彼には選択肢があったのだ。

 一つは、人間の街に降りること。この郷のことを口にしない、それが条件だった。

 もう一つは、このまま村にい続けること。秘密を守るためには、その二つしかなかった。

 スレインはこの村に残った。だからこそ、話せないこともあるし、話すことさえも拒絶しなければならない。

 それを承知しながら、スレインはエルーシャと過ごすこの二年を、大切にしてきた。

 最奥の家に入ると、二間続きのこじんまりとした奥、囲炉裏のある部屋に、彼は進んだ。怒られることは怖くない。だが同じ人間を追い出す。それはスレインにはできない相談だった。

「ただいま、じいじ」

 スレインが声をかけ、正座するなり、その老人はちらっと視線を向けた。

「この……バカもんがぁ!」

 腹から出されたその声に、スレインは肩をすくめた。

 この老人こそが、この村に結界を張って、仲間を守っている長老である。すでに数百年を生きているとされる長老は、スレインの育ての親だった。

「じいじ、スレインの言い分も聞くと言ってたじゃないですか」

 怯まずに言ったのは、エルーシャだった。それに長老もため息を吐く。

「これから聞くところじゃ。……スレイン、知っていて掟を破ったのではあるまいな?」

「俺、彼女を見捨てられなかったんだ。俺と同じ人間に会ったの、初めてだったから」

「同じではない。わしらを見れぬものは、人間は我らを追い詰めるだけじゃ。だからこそ、誰にも知られず、この村を守ってきた。お前は天華能力を持ち、わしらを家族として育った。その違いが解らぬお前ではあるまいに……」

「解るよ。彼女、天華能力を持ってないみたいだった。でも俺……俺は……」

 言葉が出てこない。

 人間なのに、天華能力を持ち、それゆえに捨てられたスレインにとって、普通の人間は会ったことがない。どれだけ望んでも得られない、普通の生活。

だが人間は、天族を疎んじた。迫害した。その歴史があるから、天族はこうして隠れ住んでいるのだ。

「お願いだよ。せめてあの子が帰り支度を済ませるまで……それまで俺の家に……」

 何とか懇願する。彼女の解らない生活が、ここにはある。スレインはそれを知っているし、誇りにもしている。だが人里に降りれば、戦とはかかわらない、とは言えない。だから今だけは、我が侭を通させてほしかった。

「仕方ないのう。しばらくの間だけだぞ?」

「うん! ありがとう、じいじ。好きだよ」

 それはいつもの会話。狩りから帰った後、あるいはこうして遺跡から帰った後。必ず交わされる会話。

 スレインは立ち上がって、まずは薪と考えながら出て行った。その後ろ姿を見て、エルーシャが長老を見る。

「じいじ、スレインは……」

「解っとるよ、エルーシャ。あの素直さを、まっすぐに育てたいもんじゃな」

「そうですね」

 それでエルーシャも退室する。彼にとっても解っていた。まっすぐに素直に、スレインは行動している。それ以外に彼はないのだ。

(僕も選ぶ日が来る。でも今はまだ……)

 彼の思いとは別に、スレインと別れるか、ともに行くか。その選択がいずれ来る。

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