第37話 勇者と魔王(1)
「ヒジリっち! 大変よ!」
寝室で仕事をしていた聖にその知らせを告げたのは、珍しく狼狽を露わにしたモルテだった。
「なんですか! 不躾に! ノックくらいするのが常識ではなくて?」
傍らで聖の仕事を補助していたシャムゼーラが咎める。
「親友の間にノックなんて――って、そんなこと言ってる場合じゃないのよ! 勇者が! 勇者が来たわ! ――コネクトブラッドトーン!」
それは、モルテの使役するカラス型のアンデッドと視界をつなげる魔法だった。
吹雪の中、三つの影が映る。
一瞬で映像は途切れ、すぐに別の角度からの映像が映った。
しかし、その映像もまた途切れる。
物凄い勢いで切り替わっていく視界。
それは、上空を警戒しているゾンビカラスが次々消滅させられていることを意味した。
(なるほど。勇者はあなたでしたか)
一瞬移った男の横顔に、聖は見覚えがあった。
忘れようはずもなかった。
「では、皆さんは予定通りに逃げて、フラムさんたちと合流してください」
聖は落ち着き払った様子で告げると、椅子から立ち上がる。
「ですが、お父様!」
「何度も言わせないでください。私が死ななければ、勇者は倒せないのですよ――時間は稼ぎますから、出来るだけ遠くへ」
シャムゼーラを始めとした文官衆、そして、領地の残った他の魔族が逃走する時間を稼ぐ。
それが聖にできる最後の仕事だった。
幸い、魔王城は複雑に入り組んでいて、隠れる所には事欠かない。
「ダミーの人形は色んなところに仕込んであるわ。勇者は戸惑うはずよ」
「そう期待したいですね。ついでに、私の魔王としての弱さが吉と出ることを」
今の聖が有する魔力は、魔王としては圧倒的に弱すぎる。
弱すぎて、逆に感知できない可能性が高い。
モルテやシャムゼーラと別れて、魔王城の奥深くに身をひそめる。
『魔王! どこだあああああああああああああ! 隠れてないで出てこい! 卑怯者め! 全人類の敵め! 諸悪の根源め!』
腹に響くような勇者の声が、鼓膜を震わせる。
彼の声量が魔力とは違う感触のある特殊な力――祈力とでも言おうか――で強化されているのだろう。
その罵声は、魔王城全体を震わせるほどだった。
さて、本来ならここで魔将たちを呼び戻して勇者を狩る手筈であったが――
(どうやら、その必要はなさそうですね)
勇者の人となりが分かった以上、聖は更なる最適解を求めて動き出す。
「エンペラーコール。魔将の皆さん、全員に告げます。勇者が来ました。ですが、私の事は無視して進軍を続けてくださいその理由は――」
『そこかあああああああああああああああああああ!』
最後まで説明することはできなかった。
勇者の気配が瞬く間に聖に迫る。
聖はひたすら走り、隠し部屋や隠し通路を駆使して、逃げ回る。
命をかけたかくれんぼが始まった。
* * *
「ふう。とりあえず、これで師匠の言う最低ラインは確保したな」
「……上々。このまま行けば、かなり奥まで押し込めそう」
フラムの言葉に、プリミラは頷く。
占領作業は順調に進み、当初の想定の中でも最善に近いスピードで敵地への侵透が行われていた。
そんな時だった。
その声が聞こえてきたのは。
『エンペラーコール。魔将の皆さん、全員に告げます。勇者が来ました。ですが、『私の事は無視して進軍を続けてください』その理由は――』
「くそが! 勇者が来やがったか! ――それにしても、そのまま進軍を続けろとはどういうことだ? 勇者が出たら、魔王城に戻ってオレたち全員で叩くって計画だろ?」
フラムが首を傾げる。
「詳しくは分からないが、何かしらの状況の変化があったとみるべきだろうね。あの魔王様のことだから、なんの考えなしって訳じゃないだろう」
レイが顎に手を当てて考えるような仕草をして言う。
「わらわは戻るぞ」
唐突にアイビスが呟いた。
「戻るって。前の作戦会議聞いてたか? 師匠が勇者にやられて、勇者が魔族に対する特効を失った後で叩くのが一番楽だって話だぞ?」
「関係ない! わらわはお兄ちゃんを助けるの! 恋人の窮地に駆けつけるのは当たり前なの!」
アイビスが駄々っ子のように喚き散らす。
いつの間にか、彼女の姿は口調相応のそれに変わっていた。
「関係ないって。つーか、お前、その姿」
フラムが困ったように顔をしかめた。
「ギガも魔王様の所に行くノダ。魔王様が死んだら、美味いメシが食えナイ。それはいやダ」
ギガが腹を擦っていう。
「ボクも個人的な意向でいえば、魔王様を助けに行きたいかな。まだ、答えが見つかってないんだ」
レイが口笛を吹くような軽い調子で言う。
「ギガとレイもか!? たっく、こいつらは戦略ってものがまるでわかってねえな。なあ、副官さんよお。こいつらに物の道理ってやつを言って聞かせてやってくれ」
肩をすくめてこちらに水を向けてくるフラム。
「……ワタシも三人に賛成する」
プリミラは即答した。
「おいおい! プリミラまでそんなこと言い出すのかよ! 第一、お前、前の戦略会議の時に、師匠の案に真っ先に賛成してたじゃねえか!」
「……あの時は、勇者が早期に襲撃してくる可能性が低いと判断したからああ言った。でも、ワタシは実は旦那様が死ぬことに、同意していない。旦那様の価値は、彼自身が思っている以上に高い。ただ知識のバックアップを取ってあるから、それでいいという問題じゃない」
「オレたち全員が身体を張って、命の危険を晒すんだぞ? そこまでしても、師匠が死ぬ前に助けに行くってのか?」
「……それでも、行くべきだと思う。旦那様が魔王であり続けることにはそれだけの価値がある」
プリミラははっきりとそう言い切った。
聖は、彼の亡き後、魔将の合議で物事を決めろと言ったが、まだ早すぎると思う。
現時点では、魔将でその任に足るほどに戦略眼が成熟しているのは、プリミラとフラムぐらいだ。
聖がいなくなったら、魔族たちは絶対にまとまらない。
プリミラはそう確信していた。
「お前、そんな熱い奴だったんだな。てっきり、心まで氷水でできてるかと思ってたぜ」
フラムが『ちょっと見直した』みたいな口調で言う。
無論、プリミラは義侠心から魔王を助けに行くのでは断じてない。
プリミラの真の欲望を理解できるのは現状聖だけだし、聖以外の者が権力を握ったら、仮に魔族が世界の支配者になっても、プリミラの望むような宇宙進出に投資してくれるかは分からない。
むしろ、『何をアホなこと言ってんだ』と一蹴される可能性の方が高い。
つまり、あくまでプリミラは自分のために動いている。
だが、何となくいい雰囲気だし、まあ、そのまま勘違いさせておこう――とプリミラは思った。
「……後はフラムだけ。あなたが動いてくれないと、魔王城には素早く戻れない」
「――ま、オレたちは魔族だ。たまには、魔王様の御威光に逆らって、好き勝手にやってみるのもいいんじゃねえの? こういうの、嫌いじゃないぜ」
フラムが諦めたように肩をすくめた。
プリミラは、フラムの中に本質的な脳筋思考が残っていて良かったと思った。
「じゃあ、ボクたちを背にのっけていってくれるかい? フラムくんの飛行能力にボクの風魔法の速度を加味すれば、十分に間に合う可能性はあると思うよ」
レイは『決まり』とでも言いたげに、ステッキで地面を二回叩く。
小気味良い音がした。
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