第2話 玉座


 ウソ…ホント……。

 

 三日間徹夜した後の朝ように、意識が曖昧にたゆたう。


 ニセイ……コウ……。


 ノイズに支配された頭が、自身がここに存在していることを認識する。

 まだ、聖は聖であるようだ。


 ヤッタヤリマシタワ……。


 エナジードリンクでカフェインを流し込んだように、やがて、クリアになっていく意識。


 そして、情報を手に入れようとする本能が、聖の重い瞼を開けた。


 周囲の状況を確認する。


 地下だろうか。


 部屋の端が見えないほどのだだっぴろい空間である。


 窓がないので、外が昼か夜かは分からない。


 光の差し込まない深淵の闇を、燭台の円陣が照らしている。


 聖がいるのはその円陣に設置された玉座だ。


 骨ばったやけに座り心地の悪い椅子で、とても長時間のデスクワークには使えそうにない。


(夢――という訳ではないのでしょうね)


 暴漢に襲われた時の生々しい感触は、今も肌に残っている。


 オーダーメイドのスーツは凶刃でボロボロ。その生地は赤茶けた鮮血に染まっており、被害の真実性を今もって主張している。


 ただ不思議なことに、聖を死に至らしめた傷だけは、跡形もなく消え去っていた。


 その謎の答えは、どうやら、自分の目の前にいる少女が知っているらしい。


「ワタクシは、前魔長の娘、『傲慢』のシャムゼーラ! 喜びなさい! お前は魔王に選ばれました!」


 シャムゼーラと名乗ったコーカソイドっぽい顔立ちの少女は、ボリュームのある金髪の巻き毛を揺らしながら、胸をそらした。尊大な口調とは裏腹に、名月にも似た金色の瞳が、不安げにつやめいている。


 美少女といっていいだろう。背が低いのに、不自然なほどに大きな胸と、折れそうなほどに華奢な腰もあいまって、アニメキャラクターのような偶像じみたシルエットを形成している。


 ロココ時代から抜け出してきたかのような豪奢なドレスや、数多の宝石を目にしてきた聖でも判別できない謎の赤い石があしらわれた杖も、非現実感を助長していた。


 そして、何にも増して気になるのは、彼女の頭から二本の牡牛のような角が生えていることである。どう考えても、コスプレの類に見られるようなまがい物の質感ではない。


「ふむ。魔王、ですか。魔王とは、具体的に、何ができる――どのような権限がある職業なのですか?」


「そんなことも知らないんですの? 魔王は、唯一無二の至尊。他の魔族を凌駕する圧倒的な魔力を持つ存在! 何人なんぴとにもまつろわず、隙あらば他者を喰らわんとする魔族全てが、お前の命令にだけは絶対に服従する! それこそが魔王の絶対の権能です!」


「なるほど。さきほど、シャムゼーラさんは前魔長の娘であるとおっしゃいましたが、魔長と魔王は違うのですか?」


「魔長は文字通り、『魔族の長』に過ぎませんわ。端的にいえば、魔族の中で一番年を食っているというだけです。全ての魔族の取りまとめ役とされていますが、実体的な権限は何もありません。――そんなことより、今は、あなたの話です! あなたは異世界人ですわよね!? 召喚は成功したのですわよね!?」


 シャムゼーラが聖に詰め寄ってくる。


「まだ詳細に現況を確認した訳ではないので、私が異世界人かは断言しかねますが、少なくとも私の世界にはあなたのような角の生えた女性はいらっしゃいませんでしたね」


「魔族が存在しない世界――そうですわ! それでいいんですわ! 歴史上、魔王は数え切れないほど存在したんですの。ですが、結局、個人の力に依存した魔王は、必ず滅びた。なぜだと思いますこと? 勇者にやられた? ええ、もちろん、勇者は脅威ですわ。しかし、あれは象徴に過ぎない。魔族が敗れてきたのは、常にヒトの集団の力に対してですわ。ですから、ワタクシは、従来の召還術式に手を加えたのです。呼ぶのは、『最強の魔王』ではなく、『最強の軍団を作れる魔王』。ヒトのように、弱き者たちを束ね、至尊を屠るがごとき外法が、私たちには必要です。そして、あなたが来た! あなたは、異世界ではさぞ名のある大将軍でしたのね」


 シャムゼーラは、踊るような足取りで聖の前を行ったり来たりして呟く。


「いえ。将軍ではありませんね。自分からは積極的に人を殺したこともないです」


「では、大魔導士ですの!? 我が軍を苦しめる人間の集団魔術を凌駕する、魔族にしか使えない禁術を編み出してくださるんですのね?」


「私に魔法の知識はありませんよ。私の世界にも大量殺戮兵器は存在しますし、原理は知っていますが、すぐにこちらの世界で再現するのは難しいのではないでしょうか」


「ならば、一体、あなたは何ができるというんですの!?」


「私は管理職です。与えられた権限の許す限りで、組織をデザインし、動かすことしか能のない男です」


「訳がわかりませんわ! ああ! まさか、このワタクシが間違えたというんですの!? 有史以来最高の巫女と言われているワタクシがあああああああ!」


「シャムゼーラさん。そう取り乱さないでください。とりあえず、私に魔族の方々への命令権があることは分かりました。先ほどのシャムゼーラさんの発言を伺うに、あなた方とヒトの集団と交戦状態にあることも把握しました。私はその戦争を指揮すれば良いのですか?」


「ええ、この大戦を勝利に導き、愚かで小賢しい人間に鉄槌を下すことこそ、魔王の責務ですわ! 分かったならさっさと働きなさい! えっと……このノロマが!」


 シャムゼーラが思い出したように罵倒を付け加えた。


 わざわざ考える時間を割いてまで悪口を言う必要が聖にはよくわからなかったが、もしかしたら、魔族特有の文化かなにかなのかもしれない。


「鉄槌……ですか。その目標を実現するには、まず、今の戦況を把握しなければなりませんね。現況、どうなっているのですか? これまでの戦争の経緯を教えてください」


「仕方ありませんわね! 無知なあなたにワタクシが教えて差し上げますわ。それは、去る業魔歴15053年、マンイターが咲き誇り、ドラゴンが盛るうららかな春のことでした。月出る彼方より湧き出た、弱き羽虫の群れ共が魔王の爪に群がりまして、木偶なる18代目『憤怒』討って出るも――」


 シャムゼーラがオペラでも歌い上げるような口調で言う。


 それはまるで、戦前の大日本帝国軍の大本営発表に詩的修飾を加えたような迂遠な言葉だった。


 報告は『正確、簡潔に』をモットーとしている聖としては、聞くに堪えない。


「要領を得ませんね。事実の羅列で構いませんから、シンプルにお願いします」


 聖はシャムゼーラの報告を途中で遮って、そう要求する。


「な! そんな無粋な真似できませんわ! ワタクシを一体誰だと思っているのです!?」


「困りましたね。時間を無駄にするのは好ましくありません。――ああ、そうでした。魔王には、命令権があるのでしたね。こういうのは本意ではないんですが……『シャムゼーラよ。言葉を飾ることなく、先の私の問いに簡潔に答えよ』――こんな具合でいいんでしょうか」


 聖がそう命令を下した瞬間、シャムゼーラの目から光が消える。


「四年前の初春、魔族領は東方より来たヒト族の軍勢に侵入を受けました。東方の軍勢は常備軍を有しておらず、いわゆる『冒険者』と呼ばれる傭兵戦力に依存しており、弱兵として知られておりますが、先の戦争では特に弱く、我々はたちまち敵を退け、余勢を駆って敵領に攻め入りました。連戦連勝を重ね、戦線は東方に大きく拡大――敵の前線防衛の重要拠点たるアンカッサの街まで迫りました。勝ち馬に乗るため、多くの中級・下級の魔族が東方になだれ込み、それに呼応するように、ヒト族の二集団、西方にある『騎士』と南方にある『神徒』の軍勢が進軍を開始。手薄になった拠点へ襲撃を始めました――」


(つまり、初めから、西・南・東は共同戦線を張っていた。魔族は東の偽装退却に騙された)


 聖はシャムゼーラの発言と同時進行で思考を整理する。


「西と南の重要拠点には、強者――ヒト族の英雄との戦いを望む歴戦の魔将が配置されており、迎撃に当たっておりました。元来、戦争においては、魔将とヒト族の英雄とがお互いに名乗りを上げ、一騎討ちをする慣習があったため、先の魔将もそれに倣いましたが、ヒト族はそれに応じず、数に任せて魔将を蹂躙しました。無論、我々とて、脆弱なヒト族は群れねば魔族と戦えぬことは把握しておりました。しかし、元来は東方の冒険者たちのように――例えば、二人の戦士・魔法使い・僧侶・盗賊といったような、タイプの違う5人程度の小隊がいくつもあり、それらが緩く連帯し、攻めてくるようなタイプの戦闘を想定していたのです。しかし、此度のヒト族は違いました。粗末な武具を持った数千、数万のヒトが一隗となり、濁流のごとく押し寄せてくるのです。敵の魔法使いの戦い方にも変化が見られました。どうやら、敵は下級の魔法使いの力を束ね、中級程度の魔法へと練り上げる合成魔術を開発したようです――」


(なるほど、ヒト族は軍制改革をしたのですね。日本の戦国時代への移行期をイメージすればいいのでしょうか)


 一部の武士階級が暴力装置を独占していた鎌倉から、足軽を用いた数の暴力へと移行していくあの時代。


 もちろん、この世界は地球とは違い、魔法とやらがあるようなので仔細は異なるだろうが、とにもかくにも、この世界のヒト族は、効果的な集団戦術を編み出したという訳だ。


「我々は西方と南方の戦線で敗北を重ねました。我々は慌てて東方から軍勢を引き上げ、西と南にあてがいましたが、状況は好転しませんでした。このままではジリ貧であると考えた我々は、東方と南方には最低限の兵力を残し、西方に戦力を集中し、敵の首魁たる『騎士王』を誅するべく決戦に臨みましたが無惨な大敗を喫し――」


(そして、魔族は全く集団戦術に対応できずに、窮地に陥っている、と)


「なるほど。大体、戦の変遷は理解しました。どれほど負けましたか?」


 聖はシャムゼーラの報告を途中で遮り、次の質問を投げかける。


「我々は、開戦前に比べ、領土のおよそ六割を失いました。残されたのは、この魔王城周辺の痩せた北領と、辛うじて敵と痛み分けに終わった東領の一部だけです」


「ふむふむ。敵は今どこに?」


「現在、前線拠点で力を蓄えているものと思われます。冬季に突入したため、進軍は困難だと判断したのでしょう。我々の北領は西と南を山脈に、東方を大河に遮られた、天然の要塞となっていますので。次の進軍は、雪解けの後――半年後かと」


 シャムゼーラのもたらした報告は、絶望的なものだった。


 現在、北方にある魔族の国家は、東・西・南にあるヒトの国家との三方面戦争を余儀なくされている。


 既に領土の過半数を失い、戦力もガタガタ、生産力も期待できない。


 猶予期間は――たった半年。


「――ふむ。今までの話を総合すると、あなた方は半年後に滅亡する運命にある。そういう認識でよろしいですか? ああ、『もう自由意志で発言して構いません』」


「そうですわよ! 何度も言わなければ分からないほど耄碌してますの!? 敗けたんですわよ! 天下分け目の大戦に! 名だたる力を持った歴戦の魔族は全て死にました! 冬が終われば、四方からヒトの軍勢の総攻撃を受けて、魔族は一人残らず殺されるでしょう! こう言えば満足ですの!?」


 シャムゼーラは逆切れするように語気を荒らげたが、聖にはそれが、彼女なりの不安を紛らわすための精一杯の対抗策だとわかった。


「ふふふ……」


 聖は口角を上げて、小さな吐息を漏らす。


「な、なにがおかしいんですの?」


 シャムゼーラが面食らったように聖を見つめる。


「おかしいのではありません。私は、私は、嬉しいんです! なるほど、なるほど、なるほどなるほど。なるほど! なるほどなるほどなるほど! 素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい! ははははは! ははははははは! ははははははは!」


 聖は心の底から笑う。


「何が素晴らしいんですのよ! あなた、ワタクシの話を聞いていまして!?」


「だって素晴らしいじゃないですか! 『生存競争』。これ以上に、シンプルで力強い組織の存在理由はありません! あらゆる生物にとって、種の存続以上に重要なテーマなど何一つ存在しない」


 聖は歓喜した。


 おためごかしのモチベーションアップをする必要性も、CSRを称揚する欺瞞も、社長や株主からの圧力もそこには存在しない。


 文字通りの総力戦。


 ただ生きるために戦う。


 その大義は、あらゆる労働を、非道を、残虐を、完全無欠に正当化する。


「では、あなたには、できるというんですの? 魔王として、魔族を滅亡の危機から救えると?」


「やりましょう。全身全霊でもって。救いましょう。この上ない悦びを胸に。あなたの召喚は誤りでなかったと、私自ら証明しましょう。働きましょう。組織に奉仕しましょう。個人は全体のためにあり、全体は個人のためにある。そんな美しい組織を作ってみせましょう」


 いぶかしげなシャムゼーラの視線に、全力で頷く。


 聖は目の前の少女に感謝した。


 死んだと思った。


 もう働けないと思った。


 しかし、機会は再び巡ってきた。


 しかも、与えられた組織は日本の会社の比ではない、一つの種族の興亡を左右する立場だ。


 そして、自分がその組織の頂点に立てるのだという。


 ここに、欲で肥え太った社長はいない。


 足を引っ張るしか能のないマスコミは、影も形もない。


 生産性の足枷となる労働基準法はファンタジーだ。


 だから、聖は自由だ。


 聖の仕事は自由だ。


 ここならば、自分の理想の組織を作ることは、決して夢ではない。


(なんて素晴らしい世界なんでしょう! ここは天国だ!)


 異世界よ。


 魔族よ。


 喜ぶがいい。


 御神聖は、この上なく魔王にふさわしい。

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