経営学による亡国魔族救済計画―社畜、ヘルモードの異世界でホワイト魔王となる―

穂積潜@12/20 新作発売!

第一章 ブラック企業の中間管理職 魔王となる

第1話 御神聖という男

 電灯の消えたオフィス。


 暗闇の中に、ノートパソコンのモニタのライトだけがまぶしく光っている。


 室内には、黙々とキーボードの打音を響かせる、スーツ姿の痩身の男、ただ一人。


 ブブブ、とスマホがバイブ音を立てて震える。


「はい。御神聖みかみひじりです」


 聖は、社名も肩書きも名乗らず、一般人のようなさりげなさで答えた。


 この電話番号を知っているのは、そうした肩書を名乗る必要がない相手だけだったからだ。


「聖部長! 収支報告書を見たよ!」


 ゴーっと、風を切る音が聞こえてくる。


 おそらく、機中だ。


 いつもよりテンションが高い。


 アルコールを身体に入れているのだろう。


「はい。社長」


「コロナショックもあったのに、君の部門だけは素晴らしい決算だったね! またウチの株価も上がるだろう」


「はい。ですが、また、慢性的な長時間労働がたたり、部門内で自殺者が出ました。一部のSNSで炎上しています」


 聖は淡々と事実だけを告げた。


「そうなのかね? まあ、気にすることはない。広告代理店にいつもより多めに金を握らせておく。適当に新しい芸能人なり、政治家なりの不祥事のニュースを流しておけば、大衆はすぐに忘れるさ」


「ご配慮痛み入ります」


 聖はそう答えたが、内心では辟易していた。


 昔ならば――それこそ今使っているスマートホンが普及する前ならば、当時のインターネットの普及率を加味してもなお、不祥事の隠蔽は容易だった。


 しかし、時代は常に進化している。


 誰もが昔のマスコミのような情報発信力・情報収集力を持ちうる時代だ。


 初めは些細な炎上でも、それは無限に拡大し、企業の価値を棄損するばかりではなく、悪評によって優秀な人材を集めにくくする。そして、人材の質の低下は組織の業務遂行能力を低下させ、企業のブラック化を助長する悪循環を招く。


 聖はそのことを知っていたが、社長はそうは考えていないようだった。


 すなわち、聖が任されているのはその程度の企業だった。


 大企業である。


 国内では名を知らぬ者がおらず、学生の就職志望ランキングでは、毎年上位に入るほどの会社だ。


 だが、そんなものは意味がない。


 日本の繁栄に合わせて栄え、日本の衰退に合わせて終わっていく。


 そんな会社だ。


 もちろん、大企業だ。


 世界進出はしている。


 日本を切り捨て、世界に照準を合わせて、切り替えようとしている。


 だが、このままでは失敗するだろう。


 聖には必然的にきたるべきその未来が見えていた。


 知っていたとしても、できることはそう多くはない。


 聖は所詮、中間管理職だからだ。


 大企業の部長といえば、巷ではそれなりに聞こえのいい立場だが、現実で裁量のきく範囲は世間が思っている以上に狭い。


「ま、この調子で頑張ってくれたまえ」


「お待ちください」


 早々に話を切り上げようとする社長を、聖は制した。


「なにかね?」


「私の提出した次年度の事業計画書はお読み頂けたでしょうか」


「ああ、読んだよ。人件費への支出を大幅に増やしたい、という話だったね。確か」


「はい。業務効率化はもう限界です。これ以上は、マンパワーを増やすしかありません」


「しかしねえ。ただでさえ、ウチの企業の社員の給与は高すぎると言われているんだよ。給与は固定費だ。一度雇ってしまえば、そのコストは重くのしかかってくる」


「ええ。ですが、その価値はあります。彼らへの給与は、能力からすれば圧倒的に割安です」


 聖の企業の社員は、高給取りである。


 会社員の平均年収の2倍はくだらない。


 ただし、その一人の会社員は、普通の会社員の4倍の仕事をする。


 聖が自らそのような人材を引っ張ってきたからだ。


 言うのは簡単だが、行うのは簡単ではない。


 簡単ではないのだ……。


 聖個人の人物鑑定眼で無理矢理業績を上げている組織など、継続企業の前提ゴーイングコンサーンからいってあってはならないことなのに。


 それでも、与えられた環境で求められる成果を出すには、そのやり方しかなかった。


 全身全霊で説得する。


 論理と、道理と、組織への情熱を尽くして。


 しかし、それでも最後を締めくくる社長の言葉は、いつも同じ。


「――ま、頑張ってくれたまえ。できないことをできるようにするのが君の仕事だろう」


 一方的に通話は切られる。


 初めから結論が決まっている会議ほど無駄なものはない。


「残念だ」


 聖はぽつりと呟いた。


 社長が、ではない。


 確かに、現社長は愚かで無能だ。


 しかし、例えば今、彼の乗っている飛行機が堕ちて死んだとしても、組織は何も変わらない。


 別の同族が上に立つだけだ。


 良くて今の社長のように利益を貪り、悪ければ現場のことも知らずに事業に口を出し、さらに混乱を招くだろう。


 現状の支配権も持つ社長一族の中に、期待できる人間が一人もいないことは把握している。


「残念だ」


 自殺者が出たことが、でもない。


 もし法律が許容し、人間を使い捨てにするのが組織に最大のパフォーマンスを発揮させる最善の方法ならば、聖は喜んでそういう働かせ方をするだろう。


 だが、現代社会はそうではない。資本主義の黎明と違い、21世紀の企業で自殺者が出たということは、組織が非効率的であることを意味する。


 よく経営の基本は『ヒト・モノ・カネ』と言われるが、労働が高度に複雑化した現代社会において、一番重要なのは『ヒト』だ。


 その一番大切な資源をないがしろにする企業に未来はない。


「残念だ」


 今所属している会社という組織に、100%の力を発揮させてやれないことが。


 そもそも、ヒトとは組織である。


 群れること。


 集団を組織化し、共通の目的のために個人の意思をすり合わせて行動できること。


 それが、ヒトが他の動物に比べて優越している唯一の点だ。


 生物学的には脆弱な人は、集団となり、効率的な組織を磨き上げることによって、万物の頂点に立った。


 その人類そのものといってもいい組織を導く管理職という職業を、聖は愛している。


 部長という地位に、それなりの世間的なステータスがあるから?


 もちろん違う。


 世間の称賛も、罵倒も、聖個人にとってはどうでもいい。


 なぜなら、聖とて組織を動かすためのパーツの一つに過ぎないから。


 では、所得が高いからか?


 それも違う。


 もし、今、この企業を自分の思う通りに動かせるなら、聖は一生無給で働いても構わなかった。


 そう。聖は組織に奉仕することそのものが好きなのだ。


 いや、正確には自分の思った通りに組織を導き、成果が出るというプロセスそのものに無上の悦びを感じる。その組織が大きければ大きいほど、目標が高ければ高いほど、聖の魂は燃えた。


 大企業の部長であることから得られる他のメリットは、全て余禄のようなものだ。


 なのに――。


「現状は最善ではない、次善ですらない」


 わかっていても、変えられなかった。


 どれだけ聖が努力しても、足りないものが多すぎた。


 時間も、権力も、金も、自身の能力も、何もかもが足りない。


 それは、歴史であり、国境であり、あるいは、生まれついての資本の違いという、個人の力ではどうにもならない壁である。


(それでも、できることをやる)


 手を抜くことは、組織に対する侮辱であるから。


 聖の美学に反するから。


 そうして、やるべき仕事を終える頃には、窓の外は明るくなっていた。


(一時間くらいは寝られるでしょうかね)


 会社に泊るという選択肢もないではなかったが、たとえ短時間でもきちんとしたベッドで横になる方が疲れは取れるだろう。


 エレベーターで地上へと降り、足早にビルから出た。


 その刹那――



 ドンッ。



 と背中に衝撃。


 ついで、脇腹に感じたのは、強烈な熱。


 反射的に肘打ちをして振り返る。


 そこには、30代とおぼしき男がいた。


 『世直し万歳』とかかれたTシャツに、チノパン。


 肩掛けカバン。


 右手には包丁、左手にはスマホを持っている。


 包丁が赤く染まり、鮮血を滴らせていた。


「見たか! 俺が『魔王』を殺る! 腐った日本を革命してやる!」


 男は勝ち誇るようにスマホに向かって叫んでいた。


 叫びながら、包丁を振り下ろしてくる。


 聖は、咄嗟にビジネスバッグで凶刃を防御する。


(『魔王』ですか。そういえば、どこぞの週刊誌がそんな見出しで、私を名指しで非難してましたねえ)


 どこか他人事のように思う。


 ライバル企業のプロパガンダで、事実を大げさに誇張されたその記事によれば、聖は日本のブラック労働の象徴であり、諸悪の根源らしい。


 実際は、上からの指示でやむなくそうしてるに過ぎないのだが。


 聖は、会社に、自分が厄介な部署を処理する都合のいい道具として使われていることに、もちろん気付いていた。


 それでも、いいと思っていた。


 自分が矢面に立ち、スケープゴートになることで、組織が効率的に動くのであれば。


 だが、さすがに、今この瞬間は後悔する。


(お歴々のように、もう少し保身に力を注ぐべきでしたかねえ…)


 血が止まらない。


 だが、諦めない。まだ、聖の理想の組織は完成していない。それまでは死ねない。


 必死に抵抗する。


 破れたビジネスバッグの隙間から、万年筆が転げ出る。


 右手で拾い上げ、そのまま男の腕に突き刺す。


 男が包丁を取り落とした。


 すかさずそれを奪取する。


「くそっ! 抵抗するか! 死ね! 死ね! 俺を首にしやがって!」


 血走った憎しみの眼差しが、聖を捉える。


 男は肩掛けカバンから別の包丁を取り出した。


 スぺアを用意していたらしい。


「あなたを解雇した? 記憶にありませんね。多分、別の部門の方ですね」


 少なくとも、聖が直接面接をして採用した社員ではない。


 関連企業か、下請けか、そんなところだろう。


 ともかく、担当者がこの男を解雇したという判断は正しかったようだ。


「このっ! そうやって俺たちの苦しみを無視して! お前のような上級国民が日本を衰退させたんだ! お前のせいで、何人の人間が路頭に迷ったと思っている!」


 上級国民?


 部長ごときがか。


 本当の上級国民とは、額に汗をせず、金を右から左に動かすだけで巨万の富を得るような輩を言う。


 でも、そうか。


 確かに、彼のような想像力の乏しい人間にとっては、現実的に考えられる分かりやすい敵は、案外、聖のような立場の人間なのかもしれない。


「確かに弊社はリストラもしましたが、企業グループ全体ではその15倍以上の雇用を生み出しているんですがね……。雇用の面でも、納税の意味でも、弊社は日本に貢献していると思いますよ」


 命の灯がどんどん小さくなっていくのを感じながらも、聖はそう言い返した。


 このグローバル時代に、衰退産業の雇用を守り続けるのは無理だ。


 ゾンビ企業を無理に延命することは、企業グループ単位のみならず――国家全体の労働生産性に対する害悪である。


 無様に斬り合う。


 始発が動く前のビジネス街に人気は全くなく、助勢も期待できない。


 聖は格闘に関して全くの素人だ。


 どうやら相手の男もそうらしい。


 お互いの体格もさほど変わらず、得物も同じ包丁――ならば、導かれる結末はただ一つ。


「グッ!」


「カハッ!」


 聖の包丁が、男の心臓を捉えた。


 相手の男の一撃が、聖の左胸を貫く。


 息が苦しい。


 視界がかすむ。


 生温かい。


(ああ、もっと働きたかった、です……)


 薄れゆく意識の中で、聖はそんなことを思った。

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