第2話 記述
「さーちゃん」
一之瀬舞が屋上の唯一の出入り口であるトビラから現れた。さきほどから階段を上っているような音が聞こえていたのは、彼女が私のことを探していたからだ。当然、彼女なら私の居場所を探しにくる。おそらくはそういうルールなのだ。設定的には彼女と私の間に尋常ならざる友情や共感めいたものがあって、彼女は私の居場所がわかるといったような説明がされるだろうが、現実には大体の居場所を私達は私達同士で把握できるのだ。しかしその真実は視聴者の中に存在しない。それでも舞ちゃんは探すのが疲れたように息を吐いて私に言う。
「授業が終わってもう2時間も経ったのに寮にいなかったから心配した。さーちゃん、結構ぼーっとしてるところがあるから。」
「大丈夫。」
私は冷静な顔を崩さないでそういった。
「いやいや?本読みながら歩いて赤信号の横断歩道を渡りそうになった時とか、電柱にぶつかりそうになった時とか、あと今朝もご飯をフォークで食べようとしてたよね?」
「それは……寝ぼけてたから」
私の本来の性向が佐原凛の設定と完璧に一致していると言えばそうではない。佐原凛はいわゆる「クールビューティではあるが過失が多々見受けられる」キャラクターを有していた。これは私の日々の行動に困難な状況を追加する。一之瀬舞はそれと対照的に「元気なキャラクターであるが意外としっかりとしている」というキャラクターだった。もちろん、学力的な意味での知性で言えば佐原凛の突出した才能は一之瀬舞を上回るが、ある種専門化した人間には典型的に自分の得意分野以外ではまるでだめな性格であるというのが私だ。
そうやっていつも私は手を引かれて家に連れ戻された。今の私達が帰る場所は学校から程近い場所にあり、学内寮であるとの体裁が建てられていた。そもそも学校のシステムでさえがハリボテ、形骸的ではあるが寮という性質は強いので簡単に形骸化しないのだろう。少なくとも、私達以外が存在しないだけで簡単に形骸化する学校という概念よりかは。
島の道はきれいに舗装されている。しかし、周囲に目立った建物が存在せず、これが街の一角と捉えられるようなことはできなかった。店舗などはこの島に存在しないが、生活必需品、嗜好品は各々の設定に合わせて船で届けられるため心配ない。その形式は「ネット通販」だが、購入する動作はなるべく見せてはいけないという暗黙の了解が存在する。
例外的にカフェがもっと道なりに進んだ先にあるが、あまり開店する頻度が高くないために普段はその存在を忘れられている。
「さーちゃん。私はここに来れて良かったと思ってるんだよ?こうしてさーちゃんと夕日を眺めていられるし、2人きりでいられる時間が増えたんだ。」
私は何も言葉を発すことができず、舞ちゃんのその目を見つめていた。この状況を作りうる文脈的な構成要素は私の視点からではわかりにくい。しかしながら、私と一之瀬舞の相互好感関係という了解と必死に探していたという彼女の視点を加えてみれば、この状況に至るであろうストーリーラインがぼんやりと見えてくる。こういう状況に直面した時、私達はどのように反応すればいいのか未だにわかっていない。もちろん、私の設定に順じた行動をとり、自然なセリフを述べていくのがもっとも良い行動なはずだけれども、このような思考に至る時点で自然ではないわけで、そこには矛盾が存在する。この違和感にまみれた状況下でまともな行動を取れる人なんていないのかもしれないが。
彼女は私のことを必死に探していた。つまりはそこに考察の余地が存在する。彼女は悲しい思いをした。その前向きな性格に反して寂しがりやで佐原凛に依存している彼女は、私がいない間昔のことを思い出している。カメラはさすがに思考の中まで関与していないのでそこは視聴者各々の考え方に任されることにはなるが、彼女はカメラの前で不自然にも独白パートを持たせることにし、その回想シーンを限定的に現実で表現したのだ。それはおそらく私との印象的なシーンであり、幼少期の彼女が不健康的な関係を私ととるようになった感情的なきっかけだろう。それを改めて視聴者の前で説明することでこの番組の主たる目的である少女同士の恋愛関係を覗くという成果を達成するために、必要となる物語を構成することに成功したのだ。
当然そのような物語の帰結として、私と一之瀬舞の関係は劇的なアクションを持ってひとまず定義されることになる。不健全な共依存の関係であれば、それは物語の意義によっては修正されるべきであるが、この島の掟はそうではなく、むしろ不健全さを推し進めていくうちに不健全さの根本的問題が解決していくというのが本当のところだ。
柔らかいくちびるが私のくちびるに触れた。かつて体験したことのないような柔らかいものと柔らかいものが触れる感触。海が近いが故の独特の塩気とザラザラ感。それらが私の主観的な記憶の中に取り込まれていき、新しい自分を作り替えた。私は舞ちゃんの体をそれによって引き寄せ、新しく私達の関係を定義づけるキスをした。それは私によって積極的になされたということに大きな意味を持ち、視聴者に対して新鮮な展開を提供することになる。一之瀬舞が泣き始める。私も泣き始める。日はもう沈んでいた。
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