第5話 『春の雪』

 月の夜。

 城の庭に悲しげな溜息があった。


「ああ、降る時をあやまった。春じゃというのに、雪なんぞ誰が喜ぼう」


 雪のなげきは深かった。

 池のふちの枯れた桜の上で、白く冷たい我が身をうれえていた。


時季じきわきまえずに、ああ情けない」

「のう、これ」


 すぐそばで呼ぶものがあった。

 桜の声だと気付いた雪は恐縮きょうしゅくした。


「明日の昼までご辛抱しんぼうくだされ。日差しに解けて消え失せますゆえ」

「いや、昼過ぎても残ってくれんかの」


 殿がお見えになる、と桜は続けた。


「この通りの枯れ木じゃで、花なんぞ咲かす元気はない。

お前様が枝に残ってくれれば、はなやいだ昔の姿を殿が思い返して下さるやもしれん」

「ですが、御身おんみこごえてしまいます」

「気遣いは無用。でな、明日の日暮れにはり倒される身じゃ」


 絶句した雪は、しかし思った。

 この時のために降ったおのれかもしれない、と。



 かねて親しんだこの桜をしのび、後に城主が歌を手向たむけた。


 時ならぬ 雪おもしろき 庭桜 昔ながらの 花盛りかな

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