episode.10



 新たな物語が始まるのはとても急に、それも唐突の事だった。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 俺と母が裏山を降りている帰り道、誰もいないと思っていた山の奥から、甲高い女性の叫び声がこだました。


「えっ⁉︎ なに⁉︎ 今の悲鳴! まさか幽霊⁉︎」


 そう言って慌てた様子で俺へとしがみ付く母。


「バカ言うな、そんな訳ないだろ。とりあえず行ってみよう!」

「えっ! 行くの⁉︎ 絶対無理! 私行かないよ!」

「じゃあ、母さんはここで待ってて。俺が確かめてくるから」

「そ、そんな! こんな暗い場所に母さんを放置するき! 幽霊と母さんどっちが大事なの!」


 そう言って駄々おこねる母をほって置く訳には行かず、俺は母の腕を引いて無理やりに連れていくのだった。



 叫び声が聞こえた方へと俺たちが向かうと、その行き先は、俺もよく知るあの祠がある場所へとつながっていた。


 嫌な予感がした。


 あの祠が関係していると言うことは、もしかして、タイムスリップに関係している事なのじゃないかと。

 俺たちは息を切らしながらに辿り着いたその場所はやはり祠であった。そして、その近くで誰かが倒れている事に気付き、駆け寄ってみると俺は驚きのあまり言葉を溢した。



「す、鈴華……」



  そこで意識を失って倒れていたのは見間違えるまでもなく俺の彼女、笹木鈴華だった。

 その鈴華は、ついこの前まで俺と過ごしていたもう一つの未来にいた鈴華ではなく、俺が中学の頃からずっと一緒に過ごしてきた、元の世界の鈴華だったのだ。


「どうして、鈴華がここに……」 

「……悟、この子の事、知ってるの?」


 そう声を掛けた母に俺は正気を取り戻し、目の前で倒れている鈴華を抱きかかえた。


「説明は後でするから、とりあえず母さんも一緒に来て! 多分大丈夫だとは思うけど、念のため、病院に連れて行くから」


 そう言って俺たちは山を降りたのだった。


 どうして鈴華までここに……。


 そんな事を一人考えていた俺は隣にいた母がどこか寂しそうにしていた事に気が付かなかった。





 昨晩のゴタゴタがあってから、俺と母は二人、鈴華が眠る病室で彼女が目を覚ますのを待っていた。


 時刻は朝の九時を回り、いつもの朝がきたかのように鈴華は目を覚ました。


「うぅぅん……。あれ……? ここは……」


 そう声を漏らし、まだ夢見心地でいた鈴華に俺は慌てて声を掛けた。


「よかった!気がついたんだな!」

「さと……ちゃん……」


 俺の事に気付いた鈴華は、驚きのあまり顔を強張らせたが、直ぐにその顔は崩れていき、くしゃくしゃな顔で目に涙を溜めると勢いよく俺へと抱きついた。


「さとちゃん! さとちゃんだよね。本当にさとちゃんだよね」

「……あぁ、俺だよ、鈴華」

「……良かった。本当に良かった……。生きてたよ。ちゃんと生きてた……」


 そう言って何度も俺を呼んぶ鈴華。


 俺はまだ状況をわかってはいないが、とりあえずは鈴華が落ち着くまでそのままにした。


 そんな俺たちの姿を横で呆然と見ていた母は、みるみる頬を風くらませて、不機嫌になっていっているのがわかった。



 しばらくすると、彼女も落ち着きを取り戻すした様だが、中々俺から離れようとしない。



「ちょっと……、いつまで抱きあってるつもり」



 そんな状況でいた俺たちに水を差したのは言うまでもなく母だった。


 その言葉を聞いたからか、鈴華は一度俺から離れるも、水を差した本人である母には目もくれず、俺へと話掛けた。


「さとちゃん、本当にどこいってたの! 二週間も行方知れずなんて……、どれだけ皆んなが心配したと思ってるの!」

「……ごめん、鈴華。でも、ちょっと落ち着いて」

「落ち着けるわけないでしょ! ちゃんと説明して! 今すぐ!」


 怒り喚く彼女の姿に俺は少しこの間まで一緒に過ごした鈴華の面影を重ねていた。

 そんな呑気な事を思っていると彼女は俺の首をわし掴み、俺を前後に揺さぶった。


「ちょっ⁉︎ 落ち着けって、鈴華! ちゃんと説明するから!」


 そんな俺の言葉が届いたのか、彼女はわし掴みしていた手を離すと、今度は細い目をして、俺を強く睨んでいた。


 そんな彼女の様子に何かと思っていると、鈴華は剣幕を立てながら俺の隣を指差したのだった。



「で、この子、誰?」



 ビシッと伸ばされたその指先にいたのは、仁王立ちで腕を組みながらに構える不機嫌な母の姿がそこにはあった。


 これに関しては、順を追って説明していきたい。


「ふんっ、随分と“私の”息子に馴れ馴れしいじゃない」



「……はぁ?」


 そう思った矢先、開口一番に奇問を口走る母。

 そんな母の言葉に不敵な笑みを浮かべて首を傾ける鈴華。


「私が誰かって……。教えてあげようじゃない。私はこの『内海悟』の母親よ! 初めまして、“カノジョ”さん!」


 どこか勝ち誇った顔を見せた母に俺は頭を抱えた。



 なんでこうも俺の思うように話を進められないんだ……。



 そんな俺に構う事なく、いきなり口を開いた中学二年、十四歳の母に鈴華は言葉を掛けた。


「さとちゃんの母親ぁ? 何いってんのこの子。あなた、どう見ても中学生じゃない。それにさとちゃんのお母さんは小さい時に亡くなっ……」


 そう言いかけたところで、鈴華は言葉を呑み込んだ。


「ちょっと、二人とも落ちつ……」

「中学生ですけど! だから? それで何? 私は正真正銘、悟と血の繋がった親子なんですけど!」


 俺の言葉を遮って、興奮気味に訴える母。


 ちょっと母さん、もうやめて! 鈴華の事は事前に俺説明したよね! これ以上は本当にやめてぇ!


「何バカなこと言ってるのこの子? 頭大丈夫?」

「うるさい、うるさい、うるさーーーい! もうあんた何なの⁉︎ こんなのが悟の彼女なんて私、認めない! 母さん絶対に認めないから!」


 今にも飛びかかりそうな母を必死に抑えた。



 もう勘弁してくれ……。なんで俺は母親と彼女の喧嘩を過去の世界で仲裁しなきゃいけないんだよ……。



「母さん、少し落ち着いてくれ。母さんがそんなだと、鈴華に状況の説明が出来ないよ」

「だって、だってあいつが……」

「鈴華も状況を理解してくれたら分かってくれるって。だから今は俺と鈴華を二人にさせてくれないか」

「私が邪魔って言いたいの⁉︎」

「違うって……。今は二人とも興奮してるから、俺だけでまずは話したいんだ」

「それはそうだけど……。二人っきりは絶対ダメ! あなた達だけにすると絶対イチャイチャと……」

「……え? イチャイチャ?」

「何でもない! とにかく二人っきりはダメ! 絶対にダメ!」


 頑なに俺と鈴華を二人にしてくれない母に、俺は少し考えてから彼女に提案をした。


「それじゃあ、少しの間だけ俺と鈴華を二人っきりにさせてくれたら、後で何でも母さんの言う事聞くよ。だからお願い! ね?」

「何なのよ、もう……。そんなに“カノジョ”の方がいいわけ……」


 そう小さく声を漏らした母は渋々、俺の提案を聞いて病室を出て行った。




 母が病室を出た後、静まり返った部屋で俺と鈴華二人っきりとなった。

鈴華にはもう動揺が全く感じられず、至って落ち着いている様子だった。


「それで、さとちゃんはこの二週間何処にいたのよ……。家には帰ってこないし、携帯は繋がらないし、警察にも捜索を依頼したんだから……。本当に心配したんだよ……」


 そう言った鈴華は俺のいなかった二週間を思い出したのか再び涙を溢した。


「ごめん、鈴華、心配させて……。でも、俺の事を話す前に一度確認したいことがあるんだ。鈴華、昨日は何で裏山で気を失ってたんだ?」

「……それは、さとちゃんが居なくなった二週間前から、私は毎日、裏山にさとちゃんを探しに行ってたの。昨日の晩はいつもと違って何か胸が騒つく感じがして、もしかしたら今、裏山に行けば、またさとちゃんに会える気がして家を飛び出したの。そしたら探している途中で思わず足を滑らせてその後は……、目の前にさとちゃんがいたの……」




 鈴華が言うには、二週間前の流星群を見に行ったあの日から俺が家に帰って来ないと、健三叔父さんから鈴華に連絡があったらしい。


 その日から町の人たち総出で俺を探し回ってくれたそうだ。


 一週間すると裏山も探し尽くしたみたいで、唯一見つかったのは俺の携帯だけ。後は何処を探しても見当たらないとの事で、そこで捜索を中断したとのことだった。


 それでも鈴華は俺を毎日探し続けてくれていたと言う。




 彼女の話からすると、俺の元いた世界は俺が過去で過ごした分だけ時間が進んでいるとのことだった。

 もう一つの未来で過ごした一年はどうやらカウントされていないらしい。そして、決定的に言えることは、鈴華も過去に、元いた世界から二十六年前のこの世界にタイムスリップしてしまったということだ。


 その事を俺はこれから鈴華に説明しなくてはいけない。

 うまく伝えられるだろうか。そんな不安が俺の顔に出ていたのか鈴華は、「大丈夫?」と心配して声を掛けてくれた。


 そんな心配そうに俺を見つめる彼女を見て、もう一つの未来で出会った鈴華の言葉を思い出した。



『違う未来にいる私を……、幸せにしてあげてね』



 そうだ。俺はあの時、鈴華に誓ったんだ。ここにいる鈴華を幸せにするっていう事を。

 たとえ鈴華がどう思ったとしても、俺が彼女を絶対に守る。



「大丈夫。心配しないで。俺が何があっても鈴華を守るから」



 そう伝えると、彼女は不思議そうな顔をした後、優しく微笑んだ。


 そして俺は、今まで俺に起きた事、そして鈴華に起こっている事を話した。



 時折、驚いたり、悲しい顔をしたりと、不安にもなったが、俺が話終わるまでは一生懸命理解しようと信じようとしてくれていた。

 その話の中ではもう一つの未来で過ごした事は伏せた。ここの説明は鈴華を更に混乱させてしまうと思ったから。


 そして一頻り話を終えると、鈴華の瞳は少し潤みがかっていたが、それを袖で拭った。


「そう……、だったんだね……」

「鈴華、俺は……」


 不安そうにしていた鈴華に俺が言葉を掛けようとしたが、それを遮って彼女は言葉を告げた。


「良かったよ。本当に良かった……。さとちゃんがちゃんと生きてて。過去でちゃんと生きてて……」


「鈴華……。信じてくれるのか?」


「……うん、信じるよ。ここが何処だろうと、今私の目の前にはさとちゃんがいる……。それだけで私は十分。それ以外は何もいらない」


 そう言って彼女は笑って見せた。何一つ疑わない彼女の姿はあの未来にいた鈴華と何も変わらなかった。

 やっぱり何処にいたって鈴華は鈴華だ。


  そう思い安心して微笑むと、そんな俺の様子を見た鈴華はいつも俺に見せていたおちょくった笑顔で言った。


「それに何があっても私の事、守ってくれるんだもんね?」


 それを聞いた俺はさっきの彼女に対して告げた臭いセリフを思い出して、一気に顔を赤くするも、「勿論! 鈴華は俺が守るよ」とそう答えたのだった。




 話もひと段落したところで、俺は鈴華に「改め紹介したい人がいる」と告げて鈴華のいる病室を後にした。

 病室を出た後、待合室で待っている母の元へと向かった。椅子に座る母を見つけ、駆け寄ると、相変わらず不機嫌でいた母は俺の方に顔を向く事なくポツリと呟いた。



「本当にカノジョ……、なんだ……」


「……ああ、そうだよ。信じてなかったの?」

「うるさい、バカ……。しかも、結構可愛いし……」

「ほんと、自分には勿体無いくらいだよ……。あ、全部話したから改めて母さんを紹介したいんだ。一緒に来てくれる?」


 そう俺が言うと、母は勢い良く立ち上がり俺に目もくれずに無言で俺のスネを蹴飛ばした。


「イタッ!」


 短い悲鳴を上げ悶絶する俺に母は構う事なくスタスタと鈴華の病室に向かって行った。



「一体なんなんだよ……」



 その言葉に母は気づいていたのかは分からないが、俺は歩いて行く母の後ろを少し遅れてついて行った。





「さっきは酷い事言ってごめんなさい! 私、本当にさとちゃんのお母さんだなんて思わなくて……」


 俺たちが部屋に入ったすぐの事、鈴華は母を確認すると真先に頭を下げた。そんな彼女にまだ不機嫌な状態なのか目をそらしたまま黙っている母。


「あの、改めまして私、笹木鈴華と言います。悟くんとは中学生の頃から四年間お付き合いさせて頂いてます。不束者ですがどうぞ宜しくお願いします、お母さん」


 礼儀正しく挨拶をした鈴華に、母はやっと顔を上げたかと思うと鋭い目付きで鈴華を睨んだ。


「……はぁ? 『お母さん』ですって? 私はあんたに『お母さん』なんて呼ばれる筋合いは無いんだけど!」


「⁉︎ ご、ごめんな……」

「それにいい子ぶってるみたいだけど、さり気無く四年間とか、私よりも悟といる時間長いですよアピールなんかして……、この性悪女! 泥棒猫! 女狐!」


 母は畳み掛ける様に鈴華に罵声を浴びせた。


 そんな母の姿に何かの糸がぷつりと切れたかの様に鈴華は顔を曇らせた。



「はぁぁ⁉︎ こっちはいくら中学生の子供でも将来私の大切な“カレシ”を産んでくれるお母様だと思ってこうして下に出て挨拶してるのにその態度は何なの! こっちはあたなより三つも歳上なんですけど!」



「はぁぁぁ⁉︎ そんなの知らないんですけど、頼んで無いんですけど! 大体、そっちはいつ別れるかわからない“恋人”でしょ? こちとら“親子”切っても切れない関係なんですけど! 私の大切な“息子”を何処ぞの腹黒ビッチになんかに渡すわけ無いんですけど!」



「子供の恋愛に口出しするなんて、本当に面倒くさい母親ですね! お母さんなんかに言われなくても、もう付き合ってるし、キスだってしたし、もっと色んな事だってしたんだから! 今更出しゃばらないでくれる!」

「い、い、色んな事⁉︎ この痴女! ビッチ! 私の悟を汚さないで! 後、お母さんって呼ぶな!」

「じゃあ何て呼べば良いんですか!」

「それは……、七海さんとか、ナナさんとか……。とにかくあんたなんかにお母さんなんて呼ばれたくない!」

「分かりました! じゃあナナさんにします! それとこっちだって呼び方変えるんだから、そっちも“あんた”じゃなくて鈴華さんって呼んでよ!」

「さん⁉︎ あんたなんてビッチで十分よ!」

「ビッ……! このチビ!」

「⁉︎ 痴女!」

「胸なし!」

「性悪女!」

「ちょっと、二人とも落ち着いて! 彼女と母親の罵り合いなんて、俺見たくねぇよ」

「だってこの女狐が!」

「だってこの親バカロリババアが!」


「もうやめてくれ二人とも! これからは協力しあって過ごして行かなくちゃいけないのに、初っ端から険悪なムードなのはダメだろ。鈴華もどんなに小さかろうとこの子は俺の母さんなんだ。あんまり悪く言わないでくれよ」


 俺がそう言うと、鈴華は分かりやすく肩を落とし、「ごめんなさい」と小さく呟いた。


「母さんも、元はと言えば真面目に挨拶してきた鈴華に最初に罵声を言ったのは母さんだよな。ちゃんと鈴華にごめんなさいしてくれ」

「こ、子供扱いしないでよ! 私はあなたの母親よ!」

「じゃあ、母親らしくちゃんと謝って!」

「くっ……、でも……」

「母さん!」


「……。わ、分かったわよ! ごめんなさいでした! これで良いんでしょ!」


 なし崩しに鈴華に頭を下げた母はまだ腑に落ちない様で不貞腐れていた。

 そんな母さんの態度に俺はもう少し言ってやろうと思ったが、それを鈴華が「もう大丈夫」と止めたのだった。




 何はともあれ、二人の紹介が終わった俺たちは、今後どうして行くのかを話し合う事となった。


「ねぇ、さとちゃん。未来への戻り方は知っているの?」


 鈴華は不安そうに、そう尋ねてきた。そんな彼女の問いかけに俺は迷う事なく答えた。


「ああ。大体はわかってる」


「⁉︎」


 その俺の発言に驚いたのは鈴鹿ではなく母だった。



「……悟、未来の戻り方を知ってるって……、なんで……。どうして! いつ気づいたの!」


 慌てて立ち上がった母は俺に勢いよく問いただしてきた。


 俺はまだ母に一度未来に帰った(正確には俺が元いた未来とは違う未来に行った)ことを話してはいない。その未来で俺はタイムスリップに必要な条件が何かを突き止めたんだ。


 慌てているというより焦っている母は直ぐに冷静になって、力なく肩を落とした。

 そんな母には気にせず、俺は鈴華に告げた。



「……でも、ごめん。まだ俺は未来に帰るわけには行かないんだ……」



「えっ……」


 俺の答えに驚きの言葉を漏らす母。

 そんな彼女の横で鈴華は少し悲しそうな顔をした後、直ぐにいつもの笑顔を見せた。


「分かった……。まあ帰る方法が分かってるなら、大丈夫。それにさとちゃんがいるなら私は平気」


 彼女の言葉に対して俺は、「ありがとう」と一言いうと、鈴華は笑って頷いた。

 その隣にいた母は少し安堵した様にホッと息をついていた。


「鈴華のこれからの居場所なんだけど……」


 その言葉と同時に俺は隣にいた母の方に顔を向ける。そんな俺の顔を見た母は俺が何を言うのかを直ぐに察したみたいで慌てて口を開いた。


「ダメよ! ダメ! 絶対ダメッ! お父ちゃんお母ちゃんが許したとしても、私は絶対に認めないんだから! 悟に悪影響を及ぼすこの女を一緒の屋根の下に住まわせるなんて絶対ダメ!」

「でもこの町には鈴華の両親はいないし、それにこんな過去に一人違う場所に追いやるなんてできないよ。ただでさえ、他の人との接触を避けなくちゃいけないのに……。そうするなら俺もあの家を出て鈴華と一緒にいる!」


「さとちゃん……」


 俺の発言に嬉しさから声を漏らす鈴華。その横には寂しそう表情をう浮かべる母が小さく「また鈴華、鈴華って……」と声を漏らした。


「母さん、頼むよ!」

「お願いします、ナナさん!」


 俺たちが息ピッタリに頭を下げると、母は苦しい表情と共にゆっくりと答えた。



「分かったわよ……。そこまで言うなら……」



 そんな母の言葉を聞いて、俺と鈴華は顔を合わせ二人喜んでいる中、隣にいた母だけがどこか遠くを見るような切ない眼差しを向けていた。


 こうして、なんとか鈴華の居場所も確保する事ができ、新しい生活の幕が上がったのだった。





 鈴華が病院で目覚めたその日、彼女は身体に異常がないことが分かると直ぐに退院となった。


 俺、鈴華、そして母さんの三人で家に向かう中、鈴華は過去の世界であるこの町並みを見ながら、「やっぱりここは過去の世界なんだ」と寂しそうに呟いた。


「確かに未来の町並みとは色々と違うよな。俺も最初は驚いたよ。でもあれ見てみろよ」


 そう言った俺はある方向を指差した。

 そこは俺たちが未来で通っていた中学校の校舎があった。


「あそこ俺たちの通ってた中学だぜ。昔もあんま変わってないだろ? そんで、次はあっちの公園! あのベンチ、未来じゃペンキが塗り変わってて綺麗だけど、あそこの位置は変わってない。中学の頃はあそこに座ってよく喋ったよな。覚えてるか?」


「勿論、忘れるわけ無いじゃない……。本当だ、何も変わってないね」


 俺の伝えたかった事に気付いたのか、鈴華はクスッと微笑むと「ありがとう」と小さく呟いた。


 そんな会話を鈴華としていると、不意に母の姿が近くにいない事に気が付いた。

 辺りを見回すと、俺たちの後ろ、少し離れた位置でトボトボと俯きながらに歩く母の姿を見つけた。


「どうしたんだよ、母さん。そんな後ろ歩いて。まだ怒ってんのか?」


 少し離れた位置にいる母にそう声を掛けた。

 そんな俺の言葉に反応して母は聞こえるか聞こえないかの声で、「別に……」とだけ返したのだった。


 その母の様子を見ていた鈴華は何かを感じたのか、少し苦い顔を浮かべていた。





 そうこうしていると、目的地であった、俺たちの家(相田商店)に到着した。

 鈴華を連れて俺は店のドアを開くとそこにはいつもの祖父の姿があった。


「いらっしゃい……、って、お前達か。ん? その子が電話で話してた子かい?」


 昨晩、病院に鈴華を連れて行った後、電話で祖父達に事情は話していたのだ。

 鈴華が『カノジョ』ということは面倒くさそうなので黙っておいた。

 そんな事もあり、俺たちはすんなりと居間へと向かった。



 しばらくして、家族全員が揃った所で改めて鈴華の紹介と事の経緯、これからの事を祖父母に話した。


「分かった! 嬢ちゃんもまとめて面倒見てやるよ! ゆっくりしていきな」

「まぁ、こんなべっぴんさんがウチに泊まってくれるなんて、バアバ緊張しちゃうわね。自分の家だと思ってゆっくりして行ってね」


 そんな祖父母の対応に鈴華は礼儀正しく頭を下げた。


 流石、俺の爺ちゃんと婆ちゃんだ。こうなる事は分かってたけど、本当に良いジジババだ。



「改めまして、笹木鈴華と言います。さとちゃんとは四年間お付き合いさせて頂いております。そんなさとちゃんのお爺様、お婆様にお会いできて本当に光栄です。不束者ですがどうぞ宜しくお願い致します」



 そう言って深々と頭を下げた鈴華の発言に祖父と祖母は目を丸くした。



「か……、カノジョ⁉︎」



 そんな鈴華の発言に驚いたのは二人だけではなく俺も同様だ。


 ちょっと待ってよ鈴華さん。別に良いんだけど、良いんだけどさ……、俺にも思春期心というか少し気恥ずかしいと思う気持ちがあるわけで、俺の中で勇気が出るまで二人には話したくなかったんだけども……。


 俺があれこれ思っている中、鈴華は御構い無しにニコニコと祖父母に愛想を振りまいていた。


 女ってすごいな……。いや、女ってよりかは鈴華さん、キモ座りすぎじゃありません?


「あらまあー、悟ちゃん彼女いたのね。いやー、これは今晩お赤飯炊かないとダメかしら」

「孫の顔だけじゃなく、孫の嫁の顔まで見ることが出来るなんて……。神様はなんて俺たちに優しいんだ……。婆さん赤飯なんて生ぬるい。寿司だ! 今晩は寿司を取るぞ!」


 孫の彼女を拝めた喜びから黄色い歓声が飛び交った。


 最初は恥ずかしい気持ちが大きかったが次第にそんなはしゃぐ二人の姿に満更でもない気持ちになっていた。




 家に来てから数時間もしない内に鈴華は俺の祖父母と意気投合していた。

 そんな彼女の姿に誇らしさもあり、少しばかり恐ろしさもあった。

 皆んなで鈴華をもてはやしている中、一人だけ部屋の隅で相変わらず仏頂面でいる母。




「私は認めないもん……」




 彼女のその小さい訴えはそこにいる誰にも届かなかった。






 その晩は爺ちゃんの宣言通りに、食卓には寿司と祖母と鈴華が作った料理が並べられていた。


「そう言えば、鈴華ちゃんの寝る場所どうしましょうか」


 食事中、祖母が唐突にそんな話題を出したのだ。

 確かに今現在、この家には空いている部屋が一つもない。

 普段客間にしていただであろう場所は現在俺が独占しているのだ。


「悟と一緒でいいだろ。将来どうせ嫁に来るんだし、今から予行練習って事で」


 そう言ってニヤニヤと笑みを浮かべる祖父。

 その隣に座ってた鈴華は赤くなり、顔を落としていた。


 おい、ジジイ。なに俺の彼女にセクハラじみた事してんだ! 鈴華もちょっと満更でもない感じ出すのやめて! 俺、家族の前で恥ずかしいから!


 そう心の中で思っていると、祖父の発言に慌てて母が立ち上がった。


「何言ってんのクソジジイ! そんなのダメに決まってるでしょ! 私はまだあんた……、鈴華の事認めてないんだから! ……それに、なんかあったら大変でしょ!」


 凄い剣幕で祖父を怒鳴り付ける母の姿に、祖父はまたニタっと悪そうな笑みを浮かべた。


「なんか……? なんかって何があるんだ。えぇ、七海さんよぅ?」

「⁉︎ うっさい! このエロオヤジ! ダメったらダメなの!」


 顔を真っ赤に染めながらに怒鳴り散らす母。


「あんた、およしよ。私もまだこの歳でひ孫なんて見たく無いよ」


 爺ちゃんも爺ちゃんなら、婆ちゃんも婆ちゃんだ。皆んなが何となく濁してたんだからそんなバッサリ言わんでくれよ……。



 それから色々と話し合った結果、鈴華は母の部屋で寝ることに決まった。

母は鈴華と寝ることを嫌々承諾してくれると、相変わらず不機嫌なまま、スタスタと一人自室に戻っていってしまったのだった。


 鈴華と会ってからといい、ずっと不機嫌で子供のように駄々をこねる母。

 俺はそんな母をどうにかする為、母を追いかけようとしたが、それを鈴華が引き止めた。


 鈴華は何か気付いているような面持ちで「任せて」と俺に耳打ちしたのだった。




 その夜の事。俺は母と鈴華が険悪な状態でいるまま、二人っきりにして大丈夫だろうかと心配し、母の自室に向かおうとする鈴華を引き止めた。


「なあ、鈴華。何かあったら言えよな。今日の母さん、なんか様子が変だからさ」

「……大丈夫だよ。それにさとちゃんが間に入ったら、余計ややこしくなっちゃうから……」


 その意味をよく分からないまま、母のいる部屋に入っていく鈴華を俺は見送ったのだった。

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