episode.5





「ちょっと、大丈夫⁉︎ ねぇってば!」





 意識が朦朧とする中、耳元で聞きなれた声がするのを感じていた。

 その言葉に返事することなく、俺は再び意識を失ってしまったのだった。




 目を覚ますと、そこは自分の寝室の天井ではなく、見慣れない天井が俺の視界に映っていた。




「ここは……」




 そんな俺の言葉に気づき、隣にいたナース姿のお姉さんが声を掛けてきた。


「あっ、良かった! 気がつきましたか」


「……あの、ここは……、俺は一体……」


 そうナースさんに訪ねると、事の経緯を説明してくれた。


 今朝方、裏山で倒れていた俺を通りかかった人が救急車を呼んでくれて、町で一番大きな病院に運ばれたのだという。


 それを聞いた俺は昨日の出来事を思い出した。

 

 昨日は母さんと喧嘩して、裏山に行った帰り道、足を滑らせて……。


「まだ少し混乱してるかしら……。あなた、身分を証明できるものが何一つ持っていなかったから、色々と聞きたいのだけれど……」


 その言葉に俺はハッと気付いた。

 

 そうだ、俺はこの時代での身分を証明できる物を何一つ所持していない。


「俺の名前は内海悟です。あの……、町にある『相田商店」というラーメン屋に連絡を取ってもらえますか? そしたら自分の事をわかる人がいますので……」


 そう言った俺にナースさんは、「分かりました。直ぐにご連絡しますね」と言って病室から出て行ってしまった。



 一人になった俺は、昨晩崖から落ちた時の事を思い出す。


「あの時、母さんの声が聞こえたんだけど……。母さんは大丈夫だったかな?」


 確かに落ちる直前に母の声を聞いた。そんな母が今ここにいないのは少し不安に思えた。

 そう思っていると、再び病室の扉が開き、俺の言った通りに連絡を入れてくれたと思われるナースさんが戻ってきた。


「内海さん……。あの、先ほどお教え頂いたラーメン屋さんには連絡が着きました。今から来られるそうです。で……、内海さんのお名前なのですが、内海悟さんでお間違え無かったでしょうか……」

「……はい、自分の名前は内海悟であってますけど……」


「そ、そうですよね……」


 苦い顔をするナースさんに俺は何か不安に感じたが、それ以上は何も話さず、彼女は淡々と自分の仕事を済ませると俺のいた病室を後にした。




 それから一時間ほどが経過し、俺の病室の扉をノックする音が響いた。

 俺がその呼びかけに「どうぞ」と答えると、ゆっくりと扉が開き、少し大柄な男性が入ってきた。






「健三……、叔父さん……?」






 俺の前に姿を表したのは、俺のよく知る大人の健三叔父さんだった。

 そんな彼の姿に動揺したが、直ぐに自分の置かれている状況を理解するのだった。




「そっか……。戻って来ちゃったんだ……」





 なんで……、なんでこのタイミングで……。


 何も出来ず、何も伝えられていないままに未来に戻ってきてしまった事に、悔しい気持ちと後悔の念に俺は苛まれた。


 俺がそんな気持ちでいる中、ドアの前で佇んでいた叔父が静かに口を開いた。


「僕をここに呼んだのは君だよね? 内海……悟くん……、だったかな」


 なんとも違和感のあるその問いかけに俺は叔父の顔を伺うと、叔父は動揺した面持ちで佇んでいた。



「……そ、そうだよ。叔父さん……」



 俺の言葉を聞いた叔父は、変わらずの様子で言葉を選ぶようにぎこちなく話始めた。




「……どうして僕を呼んだんだい? それに叔父さんって……。自分は君と会うのは初めてだと思うんだけど……」




 叔父のその言葉に、俺は全身から鳥肌が立つのを感じた。


「叔父さん、変な冗談はやめてくれよ……。小学校三年生の時に母さんを亡くして、一人ぼっちになった俺を引き取ってここまで育ててくれたじゃないか! ラーメン屋だって手伝ってたし、美咲の世話だってしてた悟だよ!」


 俺は気が動転して、必死に訴えかけた。

 そんな俺の様子に不審に思いながらも叔父は俺に少し落ち着くように諭した。

 そんな叔父の言葉を聞いても俺はまだ気の動転が治らない。

 そんな俺をに対して、叔父は少し冷静になってベットの横に置いてあった椅子に腰掛けると、俺を刺激しない様にと静かに話し始めた。




「すまないが、結論から言うと僕は君を知らない。確かに三歳の娘の名前を知っていることには驚いたが、君の言った出来事に関して、俺は全く身に覚えが無いんだよ」




 俺は気が狂いそうだった。だったというよりもう既に狂っていた。


 過去にタイムスリップして、そこで実の母親と再会し、歪だけど平和に過去の時間を過ごしていた。それなのに、いきなり未来にまた戻って、そしたらずっと側で育ててくれた叔父が俺のことを知らないとか……。もう何が何だか分からなかった。

 

 俺はこの状況を呑み込めず、顔面蒼白のままベットで頭を抱えた。


「すまない、少し言葉に語弊があった。俺は確かに君を知らないし、会ったことも俺は知らない。いや、覚えてないと言うのが正しいのかもしれない……」


 そんな叔父の言葉に俺が顔を向けると、叔父は徐ろにポケットから何かを見せるように俺に差し出したのだった。



「これって……」



 叔父が差し出したのは、古びてボロボロの日焼けした一枚の紙切れだった。

 その紙切れはついこの間、結婚記念日である祖父と祖母に俺から上げた『肩たたき券』だった。そこには『内海悟』の文字が刻まれていた。


「俺は君を知らない……。だけど『内海悟』という人物は知っているんだ。だから俺はここに来た」


 その力強い眼差しで俺を見る叔父。


「これは俺の親父とお袋の仏壇にずっとお供えしてて、死ぬ時まで片時も手放さなかった。二人にとっても大切な物なんだと思う……」


 俺は叔父からその「肩たたき券」を受け取ると、強く握りしめ涙が溢れ出そうな所を必死にのみ込んだ。


「内海くん。いや……、悟くん。自分はこの券の意味をよくは聞いていないんだ。よかったら教えてくれないだろうか。君の事を……」


 優しく語り掛ける叔父に、俺はもう不信感などはなかった。

そんな叔父だからこそ、俺は今まであった全てのことを話すと決意したのだった。



「俺は……、内海悟。父は自分が幼い時からいなくて、母に小学三年生の時まで育ててもらいました。その母の名前は、『内海七海』。旧姓『相田七海』」


「……ね、姉さん」



 俺の言葉に驚く叔父。


「そう……。俺は健三叔父さんの姉、相田七海の息子です。母は俺が八歳の時に交通事故で亡くなりました……。その後、身寄りがなかった俺を引き取ってくれたのは健三叔父さん、あなたでした。叔父さんは俺を本当の子供のように育ててくれて、高校二年、つまり今の自分になるまで面倒を見てくれたんです」


 そこまで言い終わると、叔父は驚きとともに、口を押さえながら言葉を発した。


「にわかに信じられない……。だって姉さんは……」


 叔父はそこまで言ったところで、その後の言葉が上手く見つからず、黙り込んでしまった。

 俺はそんな叔父の様子に気付いたが、話の続きを語った。


「ここからはこの『券』に関係する話です。俺は高校二年の夏休み七月三十日の夜、裏山に天体観測に出かけたんです。その日は何十年に一度の流星群が見えると聞いて」


「流星群……。この間の……」


 どうやら、叔父は流星群のことは知っているようだ。


「その流星群を見た帰り道、俺は足を滑らせ崖から落ちてしまいました。そして気がつくと、そこは二十六年前の八月一日。俺は過去へタイムスリップをしたんです。そして、そこで出会ったのは十四歳の母、相田七海。俺は彼女に連れられ当時三歳の健三叔父さんと祖父、光雄と祖母、咲子との再会を果たしました。俺は未来から来たことを説明し、当時の相田商店である母の実家で暮らすことになったんです。この『肩たたき券』は俺がその時、祖父と祖母の結婚記念日のお祝いとしてプレゼントしたものです」


 そこまで話した俺だったが、そこでようやく叔父の反応を伺った。


 俺の話を聞いた叔父は何とも言えない顔をしていたが、その顔は話に対して疑いを持っているわけではなく、ただ俺の話に困惑しているという感じであった。


「向こうの世界にも馴染んできた俺は、八月十二日の晩に母と喧嘩して裏山に行ったんです。そしてその帰り道に過去にタイムスリップした時と同じ様に足を滑らせ崖から落ちてしまいました。そして目が醒めると今の病室にいて、今に至ると言う事です……」


 俺が事の経緯を話し終わると、叔父は少し考てから口を開いた。


「にわかに信じられない話だ……」


「そう……、ですよね……」


 わかっていた。こんな話信じてくれと言う方が難しい。

 俺はそんな叔父の反応にどうしようもなくやるせないままでいた。



「信じられない……、けど、何故だか、話を聞いているうちに思い出したことがある……」



「えっ……」



「記憶は薄っすらとしているが、確かに俺が小さい頃、知らない兄ちゃんが俺の家に泊まってよく遊んでくれた事があったような……」


「そうです! それが俺です! 思い出してくれたんですね!」


「ちょっと待ってくれ、おぼろげにしか思い出せていない……。それに悟くんの話でずっと引っかかっている所があるんだ……」


 そう慌てて口を挟んだ叔父は続けて話した。




「君の言う母。つまりは僕の姉さんなんだが……。死んでるんだ……。君の言う時期じゃなく、二十六年前の今日、八月十三日に……」




「……え?」




 叔父が何を言ってるのかわからなかった。


「俺の姉、七海は、当時十四歳の時に、あの裏山で事故にあって死んだんだ……」


 何を言ってるんだ……。母さんが死んだのは俺が八歳の時、つまり今から九年前。

 俺が小学校行ってる間に交通事故で死んだはず……。

 それに、二十六年前の八月十三日に裏山でって……。


「悟くんの話は自分なりに理解したつもりなんだが、どう考えても最初に話してくれた君の生い立ちに辻褄が合わないんだよ……」


 俺は何も言葉にできなくなった。




 それから俺がなにも動かなくなって一時間程が経過した。


「そろそろ、僕も戻らないといけない。理由はどうあれ、ここで出会ったのもきっと何かの縁だ。病院の手続きやらは僕が何とかしておくから、悟くんは退院したらとにかくウチに来なさい。今後の話はそれからでもお遅くはないと思うから」


 そう言い残して、叔父は病室を出て行った。

 

 一人になった俺は何が何だかんだ分からず、布団を被り夢なのか何なのか分からない感覚のまま身を動かさず布団に包まった。


 一体何なんだよ。急に未来に帰ってきたら、育ててくれた健三叔父さんは俺の事を覚えてないし、それに母さんが十四歳の時に死だって……。




 あれから何分何時間が経過した事だろうか。

 窓からはもう明かりも差してこないほどに日は落ちていた。

 俺は相変わらずの状態で、今起きている事を夢だっと思い目を強くつぶっていた。

 そんな時、晩御飯を運んできであろうナースさんが自分の病室へと入ってきた。


「具合はいかがですか、内海さん」

「……」


 そんな彼女の問いかけにも反応出来ないほどに俺は今の現実を受け止められないでいた。


「そういえば、内海さんの身分を確認する際に唯一持ってらっしゃいましいた、こちらお返ししますね。何か手がかりになると思って中を開けてしまったのですが……」


 彼女の言葉に俺は振り向くと、彼女が持っていたのは、どんな時も肩見離さず持ち歩いていた『母のお守り』だった。


「食事が終わった所で食器の回収に伺うので、ちゃんと食べてくださいね」


 そう言った彼女は病室から出て行った。

 彼女が出た後、改めてお守りに目をやると、そのお守りは今までと違って、結ばれていた紐が緩んでいた。


 今まで一度もお守りの中身を確認したことは無かった。だが、一度解かれたその御守りを俺は無意識のままにその緩んだ紐に手を掛けて、初めて中身を確認した。

 そのお守りの中を覗くと、そこには一枚の紙切れが入っている事に気付いた。

 それを取り出してみると、その紙切れは大分時間が経っているからか、かなりボロボロで、お守りに入るくらい小さく折りたたまれていたのだ。

 

 俺はその紙切れを破らない様に、慎重に開いていった。

 何回も折られるその紙を開き終わると、そこには何か短い言葉が書かれている事に気付いた。その文字は、















『愛してる』















 その短く薄れた言葉は誰に当てられたものかは分からない。だけど、何故だかそれは自分に対して母が残した、たった一つのメッセージだった様に感じたのだった。


 短く書かれたそのメッセージは、今自分に置かれた状況で俺を泣かせるには十分だった。


 たった五文字のその言葉を何度も読み返した。何度も、何度も……。


 気付けば一人病室で声を上げながらボロボロと涙を流していたのだった。


 そのメッセージとともに、俺は過去で母と過ごした時間を思い出していた。




『私は七海。十四歳。中二だよ。山降りた直ぐの所にある学校に通っているの』

『ちょちょっと待って! 私、母さん? え、何? どういう事?』

『じゃあ、今の私から告げるわ。『母さん』呼びはやめて! 『七海さん』呼びに変えなさい! これは母さん命令です』

『バカな事言わないで! あんたに危険な事させるわけないでしょ!』

『悟―! 早く来ないと、私の料理、もう食べさせてあげないよー』

『……ねえ、悟。あなたが何を思ったのか知らないけど、お母ちゃんが言った通り、『家族皆んな』で行くの。悟だけが来ないのは絶対ダメ』

『どう……? 似合う……、かな?』

『ふんっ。ばーか……。……ありがとう』

『……そう。今一緒に見てるんだよ……。二人で……』





 嫌だ……、これで終わりなんて絶対に嫌だ……。俺はまだ母さんに何も伝えられてない。何も成し遂げられてない。これで物語が終わりなんて、こんな終わりだなんて絶対に嫌だ!






「戻りたい……。過去に……、帰りたいよ……」





 俺はお守りを強く抱きしめ、そう強く願っのだった。

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