episode.4
それから過去で過ごす時間はあっという間に過ぎて行った。
その間、母や祖母と買い物に行ったり、祖父の店を手伝ったり、三歳の健三叔父さんと遊んだりと、たわいも無い時間を家族で過ごした。
最初は物語の通りに過ごそうと努めていたが、そんなことも忘れ、家族でいる時間を心の底から楽しんでいたのだ。そうしたら、自然と物語と同じ出来事が起きたり、また少し違った出来事が起きたりと、沢山の経験をして行く中で、俺は今までに無い幸せを感じていたのだ。
一番に思い出深いのは、八月七日にあった、祖父母の結婚記念日だ。
この日は母と色々相談をして、プレゼントを買う事になったが、お金がいない俺は高校生らしからぬ『肩たたき券』をプレゼントしたのだった。その時は本当に恥ずかしくて、情けなく思っていたが、そんな素朴なプレゼントも、二人は泣いて喜んでくれた。その時の二人の喜ぶ顔は一生忘れられないだろう。過去にタイムスリップしなければ、こんな二人の顔を見る事はできなかったのだから。俺はつくづくここに来れた事を感謝した。
そんな事をしている間に気付けば過去に来てから十日という月日が流れていた。
八月十一日の朝、俺はいつもの様に健三叔父さんの腹ダイブによって強制的に起こされた。
「……叔父さん、おはよう。いつも言ってるけど、いきなり飛びついてくるのやめてな……」
「にいちゃんおきたー! きょうはまつりだぞ! まつり!」
「……祭り?」
無邪気にはしゃぐ叔父に俺はつい聞き返すが、その答えを教えてもらえず、叔父は嵐のように部屋を出て行ってしまった。
「祭りって何のことだ?」
お祭り、そんな夏の定番イベントを俺は知らない。
勿論、お祭りという行事を知らないわけでも、行ったことが無いわけでもない。
俺が知らないと言ったのは、そのイベントに関してはあの『未来のあなたへ』の物語には無かったことだったのだ。
それもそのはず、俺が見たあのノートに書かれていた物語の出来事は全てやり尽くしてしまっていたのだ。
ここからは俺が星に願った『物語の続きの出来事』なのだろう。
いよいよここからが本番というわけだ。
そんな事を考えていると妙に緊張してきてしまう。
今のこの生活も長くはないのかもしれない。そう思ってしまうのだ。
正直今は未来に帰りたくないとさえ思ってしまう程にこっちの生活は楽しくて、幸せで、何より生きている母がいる。そう思うと元の未来には帰りたくはなかった。
不安を抱いたまま、俺はいつもの様に居間へと降りた。すると、居間にはなにやら布を広げている祖母の姿があった。
「おはよう、婆ちゃん。何してるの?」
「あっ、おはよう。これね、ナナの浴衣なのよ。今日、隣町でお祭りだから浴衣着たいんですって。夜には花火大会もあるから、家族皆んなで行くわよ」
その言葉に健三叔父さんが朝からはしゃいでた意味を理解した。
祖母の言った『花火』というフレーズにはどこか引っかかる。
確かに昔、母から聞いた物語の中にも花火がどうとか言っていた気がする。
それに気づくと俺はまた不安になった。
このまま物語を進めても良いのだろうか……。このまま物語を進めてしまえば、あの母のいない未来に戻ってしまうのではないのか。もしも、あの物語とは違う事をしたら、もう少しここにいる事が出来るんじゃないかと、そう思ったのだった。
「俺……、祭り行くの遠慮しようかな……」
そんな気持ちから出た言葉に俺は少し後ずさりすると、背中に何かがぶつかった。
「何言ってるのよ。ダメに決まってるでしょ」
俺のすぐ後ろから聞こえたその声に振り返った。
「母さん……」
「ちょっとそこどいて。あっ! 私の浴衣! 良かったー、まだちゃんとあって。お母ちゃん大丈夫? 浴衣虫に食われてない?」
そう言って浴衣に飛びつきはしゃぐ母に祖母は、「大丈夫だから、そんなに強く抱きしめないで。シワができちゃう」と優しく諭していた。
「……ねえ、悟。あなたが何を思ったのか知らないけど、お母ちゃんが言った通り、『家族皆んな』で行くの。悟だけが来ないのは絶対ダメ。それに……」
「私の浴衣……、見たくないの?」
そんな母の言葉に一瞬言葉をつまらせた。
不覚にも今、ここにいる彼女を、実の母を女性として可愛いと思ってしまったのだ。
落ち着け、これは母さんだ。いくら歳が俺より下だからって感違いしちゃいけない。一回深呼吸でもしようか。…………。よし、落ち着いた。って、あれ? 俺は何を考えていたんだっけ?
そんな馬鹿な事を頭の中で思っていると、無言でいた俺に少し焦りを見せた母がまた声を掛けた。
「ちょっと、急に黙らないでよ! 息子の分際で母親に欲情するなんてバカじゃないの!」
「バ、バカは母さんだろうが! 誰が欲情なんかするかアホ! 祭りには行くけど、べ、別に母さんの浴衣が見たくて行くわけじゃねーからな! 絶対違うから! 母さんの浴衣姿なんて微塵も、これっぽっちも見たくはないっての!」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃない! バカ! じゃああんたは私がいる間、ずっと目をつぶってろ! 一生開けるな! 花火が上がっても音だけ楽しめ! このアンポンタン!」
怒った母は浴衣を持ったまま二階にある自室へと駆けて行った。
そんな様子を見ていた祖母は呆れてため息をつくと俺へと話してきた。
「親子喧嘩も良いけど、少しは女心も理解しなきゃダメよ、悟ちゃん。いくら母親だからって、ナナも一人の女の子なんだから」
女の子である前に母親だ。
少し言い過ぎた節はあるけど、母親にドキッとしてしまったなんて口が裂けても言えない。
俺はモヤモヤした気持ちの中、一人用意されていた朝食食べることにした。そうして一人で朝食を食べていると、先程母に掛けた言葉を思い返して反省をしたのだった。
朝食を平らげた俺は母の自室へと足を向けた。
「なに緊張してんだよ、俺……。たださっきの事謝るだけだろ。変に意識するな」
一人ブツブツと部屋の前で話す俺は意を決して、扉を開いた。
「母さん! さっきはごめん! つい言い過ぎ……」
開口一番、潔く謝罪を始めた俺だったが、直ぐに後悔する事になったのだ。
謝る事ばかり意識し過ぎて、扉をノックする事を完全に忘れていた。
そして、問題の俺の視界に映し出された光景は、一糸纏わぬ姿で、今から浴衣に腕を通そうとする、母、十四歳の姿がそこにはあったのだった。
「……な、な……、な……………⁉︎」
今にも盛大に叫び出しそうな勢いで声を漏らす母は顔を真っ赤に染めて、泣き出しそうな程に瞳を潤ませ、体をプルプルと震わせていた。
「母さん。叫び出したい気持ちは分かる。だが一つ、言わせてくれないか」
そう言った俺は一呼吸置いてから口を開いた。
「浴衣を着る時、下着を着けないのは迷信だぞ!」
「バカァァァァーーーーーーーーーーーーー! いいから早く出てけぇ! この変態! ケダモノ! 重度のマザコン!」
その叫びと共に母は近くにある物を無造作に放ってきた。俺はそれを回避するべく素早く扉を閉めて、その場で座り込む。
「……。安心したぜ……。俺、あんな姿見ても、何とも思わなかったよ……」
俺は母のあんな姿を目の当たりにしたが、欲情はおろか、トキメキすら感じなかった事に非常に安堵したのだった。
しばらく母の部屋の前で待機する俺。
その際も俺は扉越しに母に謝り続けた。何度も何度も謝り続けると、ようやく心折れたのか、扉越しに母からの声が聞こえた。
「もう、良いわよ……。許してあげる。だから入ってきて……」
そう言った母の言葉を信じ扉を開けた。
「どう……? 似合う……、かな?」
扉を開けたそこには浴衣を綺麗に着こなすいつもとは違う雰囲気の母の姿があった。
そんな母の姿に見惚れて何も言わずに黙ってしまった。
「……なんか言ってよ」
そう照れながらに言った母の姿はとても可愛く、今朝感じたのと同じ物を感じたのだった。
そう思った途端、咄嗟にそのそぶりを見せまいと俺は動揺を隠すため口を開いた。
「い、いいんじゃない。孫にも衣装って……」
そう言いかけた所で、俺は祖母からの言葉を思い出した。
『少しは女心も理解しなきゃダメよ、悟ちゃん。いくら母親だからって、ナナも一人の女の子なんだから』
そうして俺は今一度母の姿を確認すると、嘘偽りの無い笑顔で答えた。
「すっげえ可愛いよ。良く似合ってる……」
その言葉を受けた母は、これまで以上に顔を赤く染めて驚きの表情を浮かべていた。
しばらく固まってしまった母に、俺は「どうした? 大丈夫?」と声を掛けると、ようやく我に帰ったかの様に口を開いた。
「な、何言っちゃってんの! そ、そんな自分の息子に言われても全然嬉しく無いっての。バカ……」
連れない母の反応に俺は少しムッとた。
せっかく正直に感想を述べたのに、結局これかよ。
「はいはい、そうですか、そうですか。家出るのは夕方だから今から着てると浴衣、シワになっちゃうからなー」
ぶっきら棒にそれだけ言い残し、俺は母の部屋を後にした。
「そんな事、分かってるわよ……。バカ」
悟の出て行った扉に小声で呟く私。
今だに顔の熱が引いてくれない。
どうしてだろうか……。
『すっげえ可愛いよ。良く似合ってる……』
彼から告げられたその言葉がずっと頭から離れないでいた。
私は彼からの助言も聞かず、ベットに寝転がると枕に顔を埋めた。
「可愛いだって。似合ってるだって……」
そう一人で嬉しそうに呟いた。
どうしちゃったんだろ。たかが、息子に褒められただけの話じゃない。
それなのに何でこんなに胸が締め付けられるんだろう……。
なんでこんなに、体が熱くなるんだろう……。
私……、どうしちゃったのかな……。
そんな自分でも分からない感覚に陥っていた私は、その答えも導き出せず、時間だけが過ぎて行った。
時刻は夕方。祖父も今日は店を早仕舞いし、皆なが祭りに行く準備を整え居間に集合していると、残るは母を待つだけとなった。
しばらくすると先ほども見た浴衣を着こなした母が二階から降りてきた。
「遅いよ母さん。準備長過ぎ……って、まさかあれからずっと浴衣着てたのか⁉︎ あんなにシワになるって言ったじゃんか!」
母の浴衣を見ると、あれからずっと浴衣を羽織っていたのか、所々に折れた後やシワが見られた。
「……うるさいな。ほっときなさいよ……」
俺の言葉にそう冷たくあしらう母。
そんな母の態度に俺は少しイラッとすると、「あっそ」とだけ返したのだった。
家族皆んなが揃ったところで、俺たちはいよいよ祭りがある隣町へと向かった。
隣町へは電車を使って向かう。過去に来て始めたの電車だ。
そんな電車に少し興奮気味になって母に話し掛けるも、終始母はつれない態度を取っていた。
もしかして昼間の事、まだ怒ってるのかな? でも許してくれたんじゃなかったのか?
俺は母が今、何を原因に機嫌が悪いのか分からず、どうしていいか戸惑った。
「そういや、なんで悟は傘なんて持ってるんだよ? 今日は雨なんか降らないぞ?」
母の事を考えていた俺に、そう言葉をかける祖父。
どうして傘を持っていたのか、その理由は俺にも分からなかった。なぜか家を出る時に手にしていたのだ。
そんな事を祖父に伝えようとするも上手く言葉にできず、「さあ……」とだけ返すと、祖父も呆れてそれ以上は何も言ってこなかった。
電車が目的の駅に到着すると、ホームにはすでに人だかりができていた。
「さすが、ここえらでは一番大きな祭りだな。帰りは歩いて帰っても良いかもな」
「えー、健三もいるんだから帰りも電車で帰りましょ」
こんなに人が多いと、迷子になったら大変だな……。未来どころか、家にも帰れなそうだ。
そんな事思っていると、祖父が気を聞かせて、もし迷子になったら家に電話するかそのまま帰る事と、簡単に歩いて帰れる道筋を教えてくれた。
駅を出て、人の群れを掻き分けながらに歩いて行くと、夕暮れの中、縁日の屋台が見えてきた。
久しぶりに感じる祭りの雰囲気に再びテンションが上がって来たのを感じた。
だけど、俺の隣にはそんな祭りの雰囲気には似つかわしくない、何処か上の空でいた母の姿があった。
「なあ、母さん。そんなボーっとしてると本当に迷子になっちゃうよ?」
「うるさいな。子供扱いしないでよ……」
相変わらず機嫌が悪い母。
そんな彼女をほっておけるはずもなく、少し恥ずかしいと思ったが、俺は彼女の手を握った。
「⁉︎」
母の手に触れた瞬間、彼女はビクッと身体を震わし、勢いよく俺から手を振り解いた。
そんな母の顔は驚きの表情を浮べると同時に真っ赤に染めていた。
「あ、いや……、ごめん。でも、本当に迷子になりそうだったから……」
「よ、余計なお世話よ! 子供じゃある前し迷子になるわけないでしょ!」
そう言って母は更に不機嫌になりズカズカと俺の前にいた祖父たちの方に歩いて行った。
一体なんだっていうんだよ……。
相変わらずの母の不機嫌な状態に俺は頭を悩ませられた。
それからしばらくの間は、母の事を考えないようにしてただお祭りを楽しんだ。
屋台のたこ焼きを食べたり、射的をしたりと、幼かった頃によく遊んでいた事を思い出しながら。
屋台で思う存分楽しんだ俺たちは、少し早いが花火を見る会場へと向かおうとしたその時だった。
「あれ? 母さんは……?」
俺のその言葉に、祖父と祖母も辺りを見渡すと、二人して大きく溜め息をついた。
「ナナの奴……、迷子になりやがったな……」
祖父が言ったその直後、空から一粒の水滴が落ちてきた。
「雨……」
そう呟いたと同時に、次第にいくつもの雨粒が降りはじめ、大雨が降り注いだ。
周りにいた人達も雨を避けるため、一斉に移動し始めた。
俺たちも一旦、屋根がある所まで避難した。
この調子だと、花火も中止だろうと、周りの人達が口々に話す中、俺たちは母の探索会議を行っていた。
「お前らは一度電車で帰れ。俺がナナを見つけて連れて帰るから。周りの奴らも言うようにこの雨じゃどうせ花火も中止だろうしな。なんかあったら公衆電話から連絡するから」
そう言い残し、走り出そうとした祖父。その瞬間、俺は走り出す祖父の腕を掴み止めた。
どうして、止めてしまったのか、自分でもよく分からない。でも、何故だか母さんを探さなくちゃいけないのは俺の役目な気がした。
「爺ちゃん、母さんは俺が探すよ。傘持ってるし。爺ちゃんは婆ちゃん達に付いててあげて」
そう言った俺の言葉に何かを感じたのか、祖父は真直ぐに俺の目を見て言った。
「わかった。だけど無理はするなよ。遅くなっても連絡が無かったら俺も探しに戻るから。何かあったらすぐ連絡いれろ!」
「うん。絶対連れて帰るから」
俺は持っていた傘を広げて、人集りが無くなった縁日の通りを駆けていった。
母を探しはじめてどれくらいが経っただろうか。
俺は無我夢中で走り続けた。
雨は最初よりは小雨になってはいたがまだ降り続いている。
一通り縁日のある場所は探し尽くしたが、母の姿はどこにもなかった。
俺は不安で仕方なかった。ふと昔、母を亡くした時の事を思い出してしまう。
「どこにいるんだよ……」
不意にポケットに手を入れると、そこには母のお守りが入っていた。
そのお守りを眺めていると、突然、ある記憶が頭に浮かび上がってきたのだ。
それは物語を話す母の姿。
『河原で二人歩いて見た、その花火の輝きは今まで見た事がない程に綺麗な景色でした。悟、何でか分かる……?』
そこまでで、記憶は終わってしまった。
その記憶を手掛かりに、俺は近くにある河原を探した。
すぐそこにあった屋台のおっちゃんに尋ねると、河原への道を教えてくれるだけでなく、大きめのタオルを無償でくれたのだった。
しばらくして、河原に到着した俺は、辺りを見渡し母の姿を探した。
河原に沿って少し歩いて行くと、その先に見覚えのある浴衣を羽織る少女の姿が見えた。
彼女は雨が降る中、傘も差さず、雨に打たれたまま呆然と立ち尽くしていた。
せっかくの浴衣も雨に濡れ、セットしていた髪も台無しだ。
そんな彼女に近づき、傘を傾ける。
「だからいったじゃん。迷子になるって」
俺の声に気付いた彼女は振り返ると、その目には雨粒なのか涙なのか分からない何かを溜めていた。
「……ばか。遅いわよ……」
そう言って抱きついてきた彼女はとても冷たく、小刻みに震えていた。
そんな彼女を俺はそっと抱きしめ返した。
「迷子になる方が悪いんだろ。まったくしょーがねー母親だな」
「ふんっ。ばーか……。……ありがとう」
そう最後に小さく放たれた言葉は、ちゃんと俺へと届ていた。
全く、本当に世話のかかる母親だ。本当に息子は苦労するよ……。
ふと気付けば雨は既に止んでいたみたいで、それと同時に遠くの方から、『ドーン』と大きな爆発音がしたのに気付いた。
その音のする方に俺たち二人、目を向けると雨上がりの澄んだ夜空に、大きく花開く光の雨が無数に散らばっていた。
「花火……、結局やるんじゃん」
「……」
そうポツリと呟いた俺の隣で、母は完全に花火に目を奪われていた。
そんな彼女には申し訳ないと思うのだが、母の浴衣はビチョビチョで、本当は今すぐにでも着替えなければ風邪を引いてしまいそうだ。
「あの……、花火に見惚れているところ申し訳ないんだけど、早く帰らないと風邪ひくよ」
「……」
「なぁって……、俺の話、聞いてる?」
「……ねぇ、私、花火は今まで何度も見てるけど、今日見る花火、一番綺麗……」
「花火? あぁ……、そうだな、綺麗なんじゃない。でさ、早く帰らないと風邪を……」
「ねぇ、なんでかな?」
「……は?」
「何で、今日見る花火は特別綺麗に、こんなにも心に残るんだろう……」
彼女の疑問の意味を俺には考える暇もなかった。
とにかく今は急いで母を連れて帰らないと、そう思ったのだ。
俺は屋台のおっちゃんからもらったタオルを母の頭にかけ、問答無用に手を引いた。
さっきは手を繋いだら振りほどかれたが、今度は振りほどかれるどころか、強く握り返してきた。そこには何も違和感を感じなかった俺は、ズカズカと祖父から教えてもらった帰り道を歩く。
「ねぇ、悟はどう思う? ……花火、綺麗?」
「あ? ……あぁ、綺麗じゃねーの」
「本当? 私と同じように見えてる?」
「何言ってんだ? 見てる花火は一緒だろ」
「……そう。今一緒に見てるんだよ……。二人で……」
終始、噛み合わない会話を繰り広げてくる母に俺は何か違和感を感じていた。
しかし、とにかく今は早く帰って着替えさせてやろうと、俺は母の手を無理やり引くと、花火の光と音が段々と遠くなる事を感じながらにその場を離れるのだった。
帰り道、既に花火が見えない所まで歩いて来たが相変わらず、母はボーとしたままで、俺が何度か声を掛けても返事は返ってこなかった。
一時間ほど掛けて自宅に帰ると、先に帰っていた祖父と祖母は心配して飛び出して来た。
二人は逸れた母にどれだけ心配したかと叱って来たが、母は相変わらず上の空状態で二人に構う事なく一人風呂場へと向かって行ったのだった。
そんな母の様子に祖父と祖母は「どうしたのあの子?」と尋ねてきたが、俺自信も母の状況が理解できなく、首をかしげるのだった。
居間で様子のおかしい母が風呂から戻ってくるのを皆んなで待っていると、風呂から上がった母は居間に顔を出す事なく、そのまま自室へ向かおうとした。
そんな母に気づき、俺は居間から飛び出し、階段を上がる母を呼び止めた。
「ちょっと、母さん! 一体どうしたんだよ。皆んな心配してたんだぞ!」
「今日は疲れたから、一人にして……」
そう言って再び階段を上がる母。
そんな彼女を追おうとしたが、祖母が俺を呼び止めた。
俺は彼女が入った部屋のドアを心配に見つめることしか出来なかった。
『待ってるから……。悟……』
そう俺に呟いた母は悲しそうな顔をしていた。
そんな母の姿がどんどんと薄れていき、俺は見ていていた夢から目を覚ます。
「またこの夢か……」
最近、この昔の母の夢をよく見ている。だけど、今日見た夢はいつもと同じ夢のはずなのに、妙に母の悲しそな顔だけが、俺の頭に刻み込まれていた。
そう思うともう一つ妙な事に気が付いた。
「今日は健三叔父さん、起こしに来なかったな……」
そんな事を思いながら、居間に向かうと、祖母は洗濯物を片していて、その隣では健三叔父さんが遊んでいた。
「おはよう、悟ちゃん。朝ごはん用意してあるからチンして食べて」
「おはよう、婆ちゃん。爺ちゃんと母さんは?」
「お父ちゃんはもう仕事してるよ。ナナはご飯食べたら早々に出てっちゃった。健三が起こさなかったらこんな時間まで寝てるんだもん。しっかりしないとダメよ」
その言葉に俺は時計に目をやると、時間は既に昼の十一時を回っていた。
「え、もうお昼じゃん! 何で健三叔父さん、今日起こしに来なかったの?」
そう叔父に尋ねると、叔父は遊んでいた手を止めて、膨れっ面で答えた。
「だって、ねーちゃんがおこすなっておこるんだもん……」
「母さんが?」
そんな叔父の言葉に俺は不思議に思った。
昨日からまともに母と会話ができてない。
昨日の様子もおかしかったから心配をしていたが、今回の行動は更に意味不明であった。
とりあえず、母が帰ってきたら問い正そうと考えその日は叔父と遊ぶ事にしたのだった。
母を待ってから数時間が経ち、時刻は夜の七時半を回っていた。
普段よりも遅い母の帰りを祖父と祖母も心配していた。
そんな様子を見かねて俺が探しに行こうと玄関の扉に手を掛けた時だった。
目の前にあった玄関の扉が開き、俺たちが心配して待っていた母の姿が現れた。
目の前に俺がいた事に驚いているのか、母さんは目を見開いた。そんな彼女の顔を確認した瞬間に、俺は心配していた気持ちが一気に安堵に変わり、少し苛立った。
「おい、母さん、こんな時間までどこ行ってたんだよ。心配しただろ」
「う、うるさいな……。別に何処だっていいでしょ」
昨日と変わらず素っ気ない態度ではあったが、その態度とは裏腹に頬を赤く染める母。
「なんだよ、その態度。こっちは心配してたってのに……。大体昨日から変だぞ。俺、なんかしたか?」
「別に、無いけど……」
「無いなら何でそんなに冷たいんだよ! 昨日だって今日だってこんなに心配してるってのに、変な態度ばっかとりやがって……」
「べ、別に……、心配してほしいなんて言ってない……」
「はぁ?」
「だから、心配してなんて言ってないんですけど!」
「何だよそれ……。心配するに決まってんだろ! 家族なんだから。……母さんなんだから!」
俺のその言葉に何か引っかかったのか、母は悲しそうな顔をしながら怒鳴った。
「か、母さんなんかじゃない……。わたし……、私は、あんたなんか知らない! 知らないもん!」
「……は? な……、なんだよ……、それ……」
母から放たれたその言葉は俺の胸に深く突き刺さった。
この世界に来て、自分よりも幼い母と出会い、最初は戸惑いながらも、ようやく気兼ねない親子の距離感を取れていると感じていたのに……。そう感じていたのは自分だけだったのか……。
そう思うと、途端に寂しくなり、悲しくなり、どうしようもない気持ちにかられた。
「ああ……、そうかよ……」
やっとの思いで振り絞った言葉を吐き捨て、俺は気付くと家を飛び出していた。
「くそっ、なんだよ。なんだってんだよ!」
俺は一人宛もなく日が暮れた夜道を走り続けた。
何もかも忘れてしまいたい気分だった。しかし、走りながらに映る町並みを見て思い出されるのは、この世界に来て間もないにも関わらず、鮮明に色濃く残っている母と過した思い出ばかりだった。
ひたすら走り続け、最後に辿り着いたその場所は裏山だった。
昨夜、雨が降ったことから山道は泥濘んでいて足場が悪い。
そんな道に足を取られながらも、俺はいつかの開けた場所までたどり着いた。
既に日は沈み、月明かりだけが俺の視界を照らしていた。
そんな中、俺は一人夜空を眺めた。未来にいる時と、何も変わらない星空。
その時、ふと流星群を見ている時のことを思い出した。
『こういうのは誰と一緒に見るかが大事なの』
これは俺の彼女の鈴華が言った言葉だった。
その時はよく理解していなかったが、今は少し思うことがあった。
「母さんと一緒に見たかったな……」
素直に付いたその言葉。
その言葉を自分の口から聞いた時、さっきまでのぐちゃぐちゃになっていた気持ちが一気に楽になったのを感じたのだった。
その瞬間、星が流れた。それを見た俺は過去に来る直前に見た流れ星を思い出していた。
願い事、最初は馬鹿馬鹿しいと思ってたけど、本当に願いが叶うなら……。
そうして俺は今一番にしたい事を一つ願うのだった。
「はー、俺はいい歳して何やってんだろ……」
親と喧嘩して、家を飛び出し、宛ても無く走り続ける。しまいには一人星を眺めて願い事をするなんて、そんな自分の姿に少し笑えた。
「よし、帰るか」
さっきはあんな事を言われたけど、ここ数日の母さんは確かに自分の母さんだった。
年齢なんて、時代なんて関係ない。俺たちは確かに親子なんだ。
今不機嫌な理由はわからないけど、きっとまた上手く行く。
そう思うと、俺は重い腰を持ち上げ、母のいるあの家へ帰るのだった。
家に帰るため山を降りている途中、どこか少し遠くの方から声が聞こえた。
「悟ー! どこー。ここにいるんでしょー!」
それは紛れも無く母の呼ぶ声だった。
母さん、探しに来てくれたんだ……。やっぱり、願い事しといてよかった。
そう思うと少し嬉しくなって、母の呼ぶ声に早く応えようとした。その時だった。
「うわっ!!!」
昨晩降った雨の影響で地盤が緩んでいたのか、俺は足を取られ、あの時の様にまた同じ崖から転げ落ちてしまったのだった。
「悟っ!」
母の呼ぶ声が聞こえたと同時に、俺は頭に強い衝撃を感じて意識を失ってしまったのだった。
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