彼女が死んでから
高校二年の春。一年ほど付き合っていた恋人が死んでから、一年経った。彼女と過ごした時間と、彼女がいない時間が同じになった。
だが、私の胸中にはそれで特別に悲しくなるようなことは無かった。特別冷たいわけでは無いだろうと自分では思う。それに、全く思うところが無い訳では無い。ただ、自分は彼女がいなくても生きていけるんだなと思った。
付き合っている時は、お互いの存在がいなければ明日にでも死んでしまうという程入れ込んでいた。彼女が死んだと聞かされた時は食事も喉を通らず、このまま死んでしまうのではないかと思うほどであった。しかし、時が経つにつれ、その痛みを次第に鈍化していった。
後輩の少女に告白されたのは、そんな時期であった。真っ直ぐな告白であった。きっとこの子は良い子なのだなと思った。
私は、この告白の返事に迷っていた。
果たして、少女の返事に答えるか……。
考えたのは、死んだ恋人に対して不誠実では無いかということである。新たに恋人を作ると言うことを、了承できるだけの年月は経っているようにも思えるし、経っていないようにも思える。一体誰が許すのだという話であるが。
ベッドに寝転がり、天井を見る。そこには何だか分からないシミがあった。見慣れた天井のはずなのに、その日は妙にそのシミが気になった。
目の焦点をそのシミに合わせたまま、思考を散らす。考えることは、彼女の事と、少女の事。果たして、あの少女は、僕に恋人がいたこと、そして彼女が死んだことを知っているのだろうか……。
考えれば、考えるほどに答えが見つからないような気がした。憶測でしか、考えることの出来ない事であるから、考えようも無いのだろう。結局は、少女に聞くしか無いのだ。私は、心を決めると、目を閉じた。シミのことはすっかり忘れていた。
告白の翌日、少女を呼び出し、質問をした。
「僕には恋人がいて一年前に死んでしまった。そのことを君は知っているか」と。
答えはノウだった。疑念の余地は残るが、そんなことは考え出せばきりが無い。私は、その言葉を信じることに決めた。
その上で、私は矢張りもう少しまってくれるように頼んだ。勿論、君の方で心変わりをしたならば、何時でもそれを言ってくれてかまわないとも言った。
交際する相手に処女性を求めるのは、何も男に限らないと思ったからだ。それに、少女の方から、この話を無かったことにする事を僅かにだが望んでいた。
今の私には、少女の告白が苦痛になっているのかも知れない。悩みの為が一つ増えたからだ。自分の精神なのに、言い切れないのは、不誠実なのだろうが、灯台下暗しという言葉もある。
後輩の少女に呼び出されたのは更にその翌日だった。毎日交互に呼び出している。初心なカップルでもこんなに呼び出し合わないだろう。
「私の気持ちは変わりません」
というのが、少女の答えだった。
私は、少女が心変わりをしたのだとばかり思っていたので、その言葉には少なからず驚いた。
私は、その時初めて少女の目を見た。その目には命の輝きが灯っていた。
「君は、女々しいとは思わないのか?こんな男に」
「先輩はその人のことを忘れたくないのですね。でも、過去を大事にすることを、悪いことだとは、思えません」
私はその時初めて、僕は彼女のことを忘れたくなかったんだなと分かった。
「でも、忘れて行ってしまうんだ。どんなに願っても、どんなに思っても、今はあの時の悲しみの一割も思い出せない」
私は、ここしばらく考えていたことを口に出していた。この感情と現実の板挟みにこそ私は悩んでいたのだと、言いながら気付いた。
「それで、良いんじゃ無いですか。それはきっと先輩の思い出になっているんです。先輩の考えの、血肉になっているんです。忘れているのは、先輩がその思い出をそれだけ自分のものと出来たという証だと、思うんです」
私は、忘却をそれほど前向きに捉える事の出来る人間がいる事を、初めて知った。
「そうか……ありがとう……でももう少しだけ待ってくれ」
私は、少女にそう言った。
「あまり、待たせないでください」
少女はそう答えて、笑った。
おとぎばなし~不可思議寓話集~ 芥流水 @noname
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