星使い
僕がその少女について語れることは、僅かしか無い。彼女とのふれあいは一年にも満たず、また、最後まで少女のことを理解したとは言えなかったからだ。それでも、此所にこれを記すのは、誰かに知っておいて欲しいからだ。あの少女のことを。恐らくこれを知るのは僕だけなのだから。
最初に出会った時、その少女は星使いと名乗った。
「何だよそれ、意味が分からない」と僕が言うと、
「星使いはね、人の運命の星を操るんだよ」と更に意味が分からない答えを返してきた。
「例えば?具体例を頼む」
僕の言葉に、少女はえへんと胸を張り、答えた。
「うんとね、例えば、君があそこの溝にはまる運命だったとする。運命は、どんなに注意を払っていても、変えられない。目の前を虫が横切ったり、何処かで大きな音が鳴ったりして、注意がそれる。そして君は溝にはまる。でもね、星使いはその運命を変えられる。理屈だとか、理由だとか、原因だとか、そういうのを一切無視して、運命を、結果を変える」
「ますます意味が分からん」
「私だって誰かに説明したこと無いから、仕方ないよ」
「でも、そんな凄い能力なら、色々有効活用できるんじゃないか?」
「そんな便利なものでも無いよ。基本的に、運命―その人の星なんてものは大雑把なことしか決められないから、例えば、目の前の人が殴られるのを止めることは出来ないよ。あくまで、不確定要素のある程度の固定しか出来ないんだよ」
「ふむ……しかし、何で僕にそんな凄いことが出来るって言うんだ?黙っていた方が良い様な気がするんだけど……」
僕はふとわき出た疑問を少女に投げかけた。少女は笑い、答えた。
「それは……好きだから、だよ」
「はあ?」
思わぬ言葉に呆気にとられる。『好き』?
「愛の告白、というやつだね。何か照れるよ」
「まてまて、理由が繋がらん」
「うん?だって、好きな人には隠し事とかしたくないじゃん?そーいう事」
「そーいう事、か」
分かったような、分からないような言葉だった。しかし、腑に落ちるとも思った。それよりも、僕は少女の言葉よりも、少女が最後に見せた笑顔の方が気になった。無邪気な笑みであった。純粋な笑みであった。無垢な笑みであった。何だか、その顔が頭から放れそうに無かった。
クラスメイトが転落死したのは、翌月のことだった。学級委員の真面目な女の子だった。
少女が自分の仕業だと告白したのは、更にその翌月のことである。
「だって、邪魔だったもん」
少女はそう言った。
「邪魔?」
「うん。邪魔。だって、二人の世界によそ者はいらないじゃない?」
何を言わんとしているのか、僕には分からなかった。彼女は良い人で、人畜無害を絵に描いたような優しい人物だった。誰かの邪魔になるなんて事は、無いはずである。ましてや、この引きこもりの少女とは。
「だって、私の所に来るのを、止めさせようとしたんでしょう?引きこもりの相手は、学級委員である私の仕事だって。だから」
「だからって……そんなの僕の星を操れば済む話だろう?」
星を操れば、僕が少女の元に通うことを止めさせないことは容易であろう。
しかし、僕の言葉に、少女は笑って首を振った。
「それは、してないよ」
「何で?」
「運命と、心は別だから。一緒にいてくれるだけじゃだめ。私のことを……」
そう言って、はにかむ少女に僕は初めて恐怖を覚えた。
終わりは、満天の星空の下だった。
「こういう日は、何だか気分が良いんだよね」
少女が住むマンションの屋上で、僕と少女は二人、眼下の町を見下ろしていた。
「何の用だよ。こんな所まで……」
「うーんとね、そろそろだと思うから」
「そろそろ?何がだ」
「あ……あそこ」
少女の指が示す方向を見ると、炎が一軒家を包んでいた。
「ね……美しいでしょ?」
少女は、邪気の無い笑みで笑った。
「美しって……火事じゃないか……早く百十番を」
「だめだよ」
少女は携帯に手を掛けようとした僕を止める。
「だめって……」
「だって、これは必要なことなんだから」
「必要……?」
何を言っているんだ?
「そう、ちゃんと不安要素は消しておかなくちゃ、いけないからね」
「不安要素……?」
脳が、理解が、追いつかない。オウムの様に、相手の言葉を繰り返してしまう。
「うん。私達の将来に対する不安要素。私はね、怖いんだ。君が何処かに行っちゃうんじゃ無いかって。だから、私は……」
もう、だめだった。
この少女は、きっとこれからも人を殺すのだろう。それも少なくない数を。
僕の責任でもある。僕が、少女と出会わなければ……いや、あの時だ。最初の死人が出た時に、少女の元から去れば良かったのだ。それを、僕はなあなあで済ませて、少女と一緒にいたのがいけなかったのだ。
少女はあれからも人を殺していた。星を操り、運命のままに、誰にも気付かれることの無い殺人劇を繰り広げていた。
ここが、少女を止める最後のチャンスなのだろう。少女が、これからも数え切れない程の人を殺す事を悟った今を逃せば、僕はこの先ずっと動けないままだろう。そうして、幸せに、何も見ないふりをして少女と生きていくのだろう。
その想像は甘美なものであった。しかし、その楽園は血塗られた土台の上に立っているのだ。
ポケットに入れた彫刻刀に、手が触れた。今日、学校で使ったものをポケットに入れたままにしていたのだ。これも、運命だろうか。これが、僕の星が導いた結果なのだろうか。
僕は少女に歩み寄ると、彼女を抱きしめるように、左手を、首元へ回した。少女は一切抵抗をしなかった。私は、少女の胸元へ、彫刻刀を突き立てた。
少女は小さく震えただけだった。そうして、僕をぎゅうと抱きしめた。彫刻刀が、更に深く刺さった。
僕は思わず彼女を見た。彼女も僕を見ていた。視線が合った。彼女の目には、純粋な光があった。無邪気な光があった。無垢な光があった。その純粋さのままに僕を許していた。その無邪気さのままに僕に謝っていた。その無垢なままに僕に愛を伝えていた。
その光に貫かれた途端、僕は自分のしでかした事を、ひどく後悔した。
この純粋な存在を殺してしまったことが、取り返しの付かない事に思えた。
この世からこれほどにまで無邪気な存在を失わせてしまった事に、吐き気を覚えた。
これほどまでに無垢な愛に答えられなかったことが、途轍もなく恥ずかしかった。
僕は、動かなくなった少女を抱きしめたまま、何時までもそこから動けないでいた。
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