美しい彫刻

 私は友人から、或る美しい彫刻を譲り受けた事がある。

 彫刻は女の像であった。薄衣を纏った女性が悩ましげに右手を頬に当てて、首をかしげている。その妙に艶めかしい……愛らしい……妖しい……麗しい……ありとあらゆる女性の美しさを凝縮したようなその姿に、私は一目でその彫刻を気に入った。

 この像は、友人もよほど大切にしていたのだろう、目立った欠けは無かった……ただ一点を除いては……。

 それは彫刻の喉にあった。鋭いナイフで何度も抉られた跡が、彼女の肌に付けられた唯一の傷であった。夕日を浴びた日には、彼女は赤く輝き、まるでその傷口から血を流しているように見えた。その姿が、なお一層私の心を捉えたのであった。

 この傷の由縁を、私は一度聞いたことが或る。友人が酔った時にぽつりぽつりと断片的に話したのである。それはこんな話だった……。


 友人は妻を持っていた。それは、私もかねてより知っていた。大層な美人であった。しかし、彼らの元には子供が産まれなかった。妻は次第にそのことで悩み出した。友人は不能というわけでは無かった。しかし、自分との行為中にも何処か上の空であるという事を、彼女は見抜いていた。

 そして、ある日、彼女は彫刻と、それを恍惚と見つめている自分の夫の姿を不幸にも発見してしまった。自分と夫との間に子供が出来ないのは、その彫刻の所為だと彼女は思った。或いはそれは正しかったのかも知れない。そして、思い詰めた彼女は、彫刻に刃を向け……喉を執拗に刺した……何度も……何度も……。

 友人はその光景をまるで見ていたかのように語った。或いは、実際に見ていたのかも知れない。己の妻が、己の愛する彫刻を一心不乱に刺し貫いている光景を……。

 これは、友人がこの彫刻を私に預ける原因にもなった。友人は、彼女を妻の手から守るために、私に渡したのだ……友人はそこまで語らなかったが、私はこの話を聞いた途端にそう悟った。


 聞くところによると、友人は妻と、とうとう別れたらしい。しかし、彫刻は帰さないつもりだ。

 彼女はもう、私のものなのだから……。

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