桜の木

 ガタンゴトンと電車に揺られている。

 複線なんて、当たり前に存在しない風景。桜には若干早く、緑色に染め上げられた山々に閉じ込められた風景。高層建築なんて、一切見当たらない風景。何もかも、昔のままだった。

 私は、故郷に十年ぶりに帰ってきたのである。


 ガタガタ、と立て付けの実に悪い扉を開き、生家に足を踏み入れる。祖母が亡くなって、間もないとはいえ、生活に必要最低限の空間しか掃除されておらず、私と両親を含めた三人でしばらく生活するのには、それに必要な場所を掃除をしなければならず。

 どうやら、今日は掃除だけで消費されそうだった。


 ついこの間まで、私は高校三年生で、受験勉強の真っ最中であった。そのため、祖母の葬式ももう少し早かったら参加できなかったかもしれない。

 田舎の葬式のため、都会のものより長期間のものにならざるを得ないが、ここにいる期間は長くない。僅か一週間である。私自身も漸く長かった受験勉強を終え、ゆっくりしたいというのが、本音であったので、正直にこの一週間の何にも無い期間はありがたかった。

 それに、確かめたいことも一つあった。


 その日は予想通り、掃除でつぶれ、翌日。

 私は、胸ポケットに栞を入れ、この村の神社に足を運んでいた。

 確か、この神社の裏には大きな桜の木があったはずだ……。

 手水場は枯れていた。

賽銭を入れ、柏手を打つ。

「さて」

 私は参道を外れ、ぐるりと境内を回る。

 しかし……。

 それらしいものは見かけなかった。もう一度、回る。

 他の木々に紛れて、分からないだけだろうか。いや、あの桜の木は一際大きかった。開花にはまだ時間があるが、分からないはずが無い。

 その時、丁度散歩中と思わしき老人が神社に入ってきた。私は好機とみて、老人に話しかけた。


「ほう……あの坊主がこんなに大きくなりおって……ホンに時は経つものじゃのう……」

 ひとしきり感心している老人に、私ははあ、と相槌を打った。狭い村だ。住民皆顔見知りのような所はある。しかし、私にとっては十年前の、記憶すらおぼろげになっている昔のことだ。自分の知らない自分を引き合いに出されるのは、違和感を覚える。

「それで……この神社に桜の木がありませんでしたか」

「桜?ああ、あれか。あれはなあ……去年の秋の台風で根こそぎやられた」

「根こそぎ……?」

「ああ。あれを運ぶ時は苦労したぞ……村の青年会総出でな……最後は業者が持ってったが……」

「そうですか……」

 私は、老人に礼を言い、別れた。


 十年前、少女と約束したのだ。また、この桜の木の下で会おうと。

 しかし、その桜の木が無くなってしまった。何だか、二度とその少女に出会えないような気がした。

 ポケットに入れていた、栞を取り出す。

 桜の花びらをあしらった、栞。

 十年前に、少女から貰ったものだ。私を忘れないように、と。


「何をしてるの。しょんぼりして」

 声が、聞こえた。

 振り返ると、少女がいた。少しだけ、桜色の混じった髪の毛。洋風と和風の混ざったような服装。全てが十年前のままだった。

「き……君は……」

「久しぶりだね。十年ぶりか……」

 少女は、桜のように、儚げに笑った。

「そうだな。会えるとは、思えなかった」

「ふふ。それは、私もだよ……あっ」

 少女は、私の手元の栞をみて、声を上げた。

「それ、持っててくれたんだ。嬉しい……」

「ああ。忘れちゃ、だめだからな」

「そう……本当に嬉しい。あ、ねえねえ。この十年何してたの?聞きたい」


「へぇ……君も苦労したんだね」

「ああ……君のほうは、どうなんだ?」

「私は……変わりない、かな。去年は、一寸大変だったけどね……それで」

 君にお別れを言わなきゃいけないんだ。

 少女は、そう言った。


「は……?」

 私はその言葉を信じられなかった。

「引っ越しするって事か?それなら連絡先とか、電話番号とか……」

 彼女のことを十年間忘れたことは無かった。十年間恋い焦がれたのだ。此所で、また離れ離れになるのは嫌だった。

「ううん。君は知っているはずだよ、私は一年前にもう死んでるんだから……」

 その時、桜吹雪が舞い、視界を覆った。

 それが晴れた時、彼女の姿は無く……私はたった一人で境内に立ち尽くしていた。

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