心中

 或る女性と心中することになった。

 私と彼女は所謂恋仲では無かったのだが、互いに愛していた。これを語ると少々ややこしくなるので、割愛させていただきたい。

 心中のことである。

 最初に、彼女が死のうと言った。そして私が、死のうかと答えた。それだけで、心中することが決まった。

 私たちはその日のうちにスッカリ準備を終え、明くる朝には、海辺の町に着いていた。

 有名な観光地らしいが、寂しい町であった。季節を外れるとこんなものかと思った。

 シャッターの閉まった店が目立つ通りに、古い旅館がポツポツと混じっている。そこを通り過ぎると、眼前が開け、海が待っていた。

 私は、彼女と手首を紐でシッカリと結び、互いに指を絡め、浜辺に立った。

 辺りに人の姿は見えず、海は冷たい色を湛えながら、静かに波を打ち寄せていた。

 私たちはゆっくり、ゆっくり、海に向かって歩いて行った。

 足下が波に濡れた。

 次に足首まで濡れた。

 膝、腿、臍、胸、肩。

 次第々々に海に沈んでいった。

 到頭(とうとう)、頭まで水に濡れ始めた。

 そして、水面は頭上にまで到達した。


 その時、急に足下が深くなった。水面は、遙かに遠ざかった。

 私は急に恐怖にとらわれた。此所で死ぬのかと思った。死ぬと言うことが急に近くに来た気がして、ゾッとした。


 気がつくと私は水面に向かって浮かぼうと手足をジタバタと動かしていた。しかし、水面は遠ざかる一方である。

 右手に繋がっている女が邪魔なのである。

 女は私の行動を邪魔するように、手をグイグイと引っ張ってくる。私は離せと女を追いやる。頭をつかんで、向こうにやろうとした時、女と目が合った。

 その目は鬼のようであった。生への執着があった。私の裏切りに対する非難があった。死への渇望があった。

 死の間際の人間の、様々な感情がその目に宿っていた。

 私はその時、それまで死に向けられていた恐怖がその女へと方向を変えたのを感じた。私は女から逃げようと、手足を一層ばたつかせると共に、女の頭をグイグイと向こうに押しやった。

 女は自由な手で、私の腕をつかむとグイグイ引っ張ってきた。

 そこに、心中を選んだ時の、静かな美しさは無かった。ただただ、二匹の獣が、醜く争っている光景があるだけであった。


 気がついた時には、病院の寝台(ベッド)の上に寝かされていた。

 そこで、女は死んだと聞かされた。


 私は、生きている。

 女は、死んだ。


 なんて残酷なものだ、いっその事死んでしまった方が良かったとさえ、私は思った。

 そして浮かぶのは海中の出来事であった。

 私があそこで、恐怖にとりつかれさえしなければ、二人とも死んでしまえたのだ。私は、こんな生き恥を曝さずに済んだのだ。

 私は、ワッと叫び出したい衝動に駆られながら、そうせずに、女の名前を呼びながら、めそめそと泣いていた。

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