火と如来

 遭難してから幾日経ったであろうか……。この数えきれぬ程の歳月の流れの内に、私は救助を期待する思いは完全に失われた。

 何時からか、私が拠点にしている洞穴の中央で、私は焚火を炊いて、体を温めたり、捕らえた動物を焼いたりすることが日常となっていた。この洞穴は、雨風がしのげるほど大きく、その壁面にはいくつもの正の字が彫られていた。最初の頃はこうやって日にちを数えていたのだが、いつの頃からか、これを行わなくなっていた。

 その日も、私は火をおこして、体を温めながら、この火をボゥ……と見ていた。

 やがて、火の陽炎の具合が一つの絵に見えてきた。

 オヤ……これはおかしな事だ……。

 そう思いながら、尚もジィ……と見つめていると、それが次第にはっきりと見えてくるではないか……。


 ……それは、私の両親であった。

 私はアッ……と思うと共に、その光景に見入った。

 彼らの後ろにある仏壇……あれは私のものではないか……。観音開きの扉のその中に、私の顔がハッキリと映っている。

 その時の恐ろしさと言ったら……私は此所に生きている。生きているのだ。しかし、両親は私の存在を過去のものとし、もはや死んでしまったものと諦めているのだ。この恐ろしい相違……。私は火に当たっているというのに、身震いを抑えられなかった。


 やがて、炎は新たな光景を映し出した……。

 始めはボンヤリとした焦点の合わない映像だったのだが、それが次第にハッキリしてくると同時に、私はまたしてもそれに驚かざるを得なくなった。

 そこに映し出されたのは、私の恋人であった。

 ああ……それもあろう事か……私の知らない男と歩いているのだ……これ以上にないくらいの幸せそうな顔をして……。

 私は、この光景に激しく身を悶えさせた。

 ああ……神様……。

 それは怒りの感情であったのだろう。嫉妬も多分に含まれていたようにも思われる。

 他人には決して分からぬであろうこの苦しみ……。

 ああ……それでも彼女は悪くないのである。両親の光景を見るに、私が現世で、どのような扱いであるかは、分かろうというものだ。しかし……。

 私は声にならない叫び声を上げながら、そこら中を叩きまくった。

 オレは生きているぞ……此所に生きているんだ……。

 その叫び声を誰かに聞いて欲しかった。しかし……。

 此所には、私以外誰もいない。たった一人きりである。

 この時の私の胸の内を何と語ったら良いであろうか。

 遭難した時も……助けが一切来ないことを悟った時も……このような苦しみは感じたことがなかった。

 私は己の運命を呪わずにはいられなかった。

 ああ……。

 私の意識は深い深い絶望の内に沈んでいった……。


 やがて……炎が新たな像を結び始めた。

 止めてくれ……オレにこれ以上の苦しみを味合わせないでくれ……。

 私の嘆願も虚しく、新たな像が浮かび上がった。

 それは、私のまったく思い描いていなかったものであった。


 ……如来だ……。

 慈悲に満ちた微笑みをその顔に浮かべた……。

 万物を救済すると言われている……。

 火の中に現れたのは、如来像そのものだったのだ。

 如来は手を差し伸べた。

 私は幸福であった……。

 全ての苦しみから解き放たれていた……。

 涙が止めどなく溢れてきた……。

 私は幸福に包まれたまま、如来に触れようとした……途端に如来の姿はかき消えた。

 それと同時に火も消え、私は暗闇の中にただ一人取り残された。

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