scene 7 覚悟に釣り合う提案

「こっちです」

 と美優が西口の方へ方向を転換すると森永さんもそれに倣う。そしてしばらく進んだ先で、森永さんはふと足を止めると神妙な面持ちで美優を呼び止めた。


「……あの、藍沢さん」

「はい?」


 美優も足を止めると、森永さんは少し躊躇い気味に壁際へと寄った。


「お母様がくるまでの間、大事なお話しの続きをしても良いですか?」


 かすかに言い淀む声に、美優も返事をしつつ壁際に寄りながら、少し真剣な表情になってしまう。そんな美優の様子を察してか森永さんは「車内でした話の続きですが……」と話し始めた。


「……元は俺のせいで君があんな目標を掲げなきゃいけなくなったんですから、俺にも責任があります。一個提案させてください」

「……提案、ですか?」


 聞き返すと、森永さんは「はい」と相槌を打って。

「土曜の午前中って、何かされてますか?」

 と続けた。


 なんの誘いだろうかと思いながら、美優は予定の入り具合を思い出しながら答える。


「土曜の午前は今の所、何もないです」

「学校の部活とかは?」

「部活はまだ。ゆくゆくはどこか入りますけど、やるとしても軽く参加できる部活にします」


 やはり、この一年間の自分の時間は、声優になるために捧げたい。


 美優の返答に、森永さんは頷く。


「そうですか……。では習い事も?」

「習い事は、小学生の時から弓道はやってますけど、練習は週一の平日夜なので」


 美優の口から出た思わぬ習い事は森永さんの興味を誘ったようで、

「弓道をやられているんですか! ちょっと意外……」

 と驚いている。


「はい。小学生から続けてます。おじいちゃんが弓道をやっていたので……って、森永さん話逸れてます……!」


 美優も弓道の話を続けそうになってしまったが、今この話をしている場合ではない。森永さんも美優に指摘されてハッと我にかえる。


「そうですね、失礼しました。ちょっと意外だったもので」

 と呟いて続ける。


「で、本題なんですけど。土曜の午前中、レッスンに行く前の一時間程度。演技の基礎を勉強できるワークショップに参加しませんか?」


 突然もたらされた思いがけない誘いに、美優は小さく驚きの声を上げた。


 足りない基礎を補えるの?

 なら参加したい。


 だが、美優の前に立ちはだかるのは、金銭面の問題だ。


「……あの、ありがたいお話ですけど、そのワークショップってもちろん有料ですよね? あたしまだ、一五歳なのでバイトが出来ないんです。養成所だって、働き始めたら費用全額返す約束で通ってるんです」


 決して安くはない受講料を払って養成所に通わせてもらっているのに、その上ワークショップに通いたいからお金を貸してほしいだなんて、そんな無理が言えるわけがない。

 だけど、通えるなら今すぐ通いたい。


 自分が信念を貫くにあたり、なるべく誰かに負担をかけないようにするにはどうしたら良いんだろう。

 難しい表情で悩み始めた美優に、森永さんはもう一つ尋ねる。


「藍沢さんって誕生日、すごく遅い方だったりします?」


 その問いに、美優はぱっと顔を上げる。


「いえ、あと二ヶ月で一六になります」


 美優の答えに「なら」と言い、ジーンズのポケットに入れていた財布を取り出す森永さん。

 財布を開き、中から取り出したのは、一枚の名刺だった。


「その次の月から、土曜のワークショップ前とレッスン後。この喫茶店のバイトをして頂くのはどうでしょう」


 その名刺に書かれていたのは、初めて見るカフェの名前だった。


 ミュージックカフェ・ドリームメイカー。


 所在地は養成所の最寄駅で、名刺に記載された簡易的な地図を見れば、養成所がある大通りから二つほど筋を違えた路地裏に星の印がついている。


 この名刺は受け取って良いのだろうか。


 美優は上目で森永さんを伺うと、森永さんは柔らかな笑みで受け取るようにと答えてくれる。 

 ありがたく受け取れば、名刺に施された香りなのだろうか。コーヒーのほのかな香りが美優の鼻腔をくすぐった。

 

「そこは俺の叔父夫婦が経営している喫茶店なんですが、叔父が元ミュージシャンで。スタッフの半分はインディーズで音楽やってたり、俳優を目指したりしている人たち。俺も声優仕事がない日はここで働いてます」

「えっ!」


 美優は驚きのあまり思わず声をあげてしまった。

 それって、森永さんと同じカフェでバイトをするってこと……? と密かに胸を高鳴らせる美優をよそに、森永さんは続ける。 


「君が寝ている間に、叔父とメッセージで話したんですが。君さえ良かったらですが、この喫茶店でバイトしませんか?」


 こう問われたら美優の返事はひとつだ。


「ぜ、ぜひ!」


 とにかくバイトさえできれば、ワークショップの費用も賄える。こんな有難い話は滅多に降ってこない。

 森永さんは美優の軽快な返事に、口角を上げた。


「決まりですね。では、六月になったら改めて叔父と面接していただくということで」


 そう言うと森永さんは「懸念も無くなりましたし本題ですが」と続ける。

「ワークショップはその喫茶店の三階にある、レッスン室で行います」


「え、喫茶店の上にレッスン室があるんですか?」


 すごい構造だなと思ったが、森永さんの言い分を聞いて納得する。


「はい。叔父が元ミュージシャンで、家のビルのフロアを丸ごとレッスン室や防音室にしてるんです。そこを俺たちスタッフは、自主練習で借りることができるんです」


 そう言うことなら、俳優やミュージシャンのたまごたちも、心置きなくバイトで生活費を稼ぎつつ、思いっきり練習もできる。

 森永さんの叔父さん、すごく良い人なんだなぁと感心している美優にもたらされたのは、意外な一言だった。


「藍沢さんのワークショップはそこで行います」


 ちょっと待って、今なんて言った?

 藍沢さんのワークショップ?

 なんで名指し?


 考えて、これは、もしかしてと行き着いた仮説に、美優は否と思う。

 いやだって。少女漫画じゃあるまいし、そんな都合のいい話があるわけない。

 そう自分の勘を否定する美優だったが、もしそうであればすごく嬉しいとも思う。


「あ、あの、森永さん。そのワークショップの受講生って、あたしだけ……?」

「その想定ですが」

「で、講師ってどなたになるんですかこの場合……」


 おずおずと伺ってみると、目の前の森永さんはキョトンとした表情でサラリと言ってくれた。


「俺ですけど?」

「えっ!」


 やっぱりな返答に美優は思わず声を上げてしまった。


「ワークショップの受講生は君だけで、講師は俺です。本来基礎科でやることをすっ飛ばして本科所属してしまった君に俺が基礎的なことを叩き込んで、君の力の底上げをしたいと考えてます」


 森永さんが考えているプランに思わず美優の胸が高鳴る。

 憧れの推し声優に基礎を教えてもらえるなんて、こんな嬉しいことはない。


「もちろん、北原さんたちレッスン生同士で練習したいって言う日はそちら優先してもらって構いません。俺も土曜に声優の仕事が入った場合は休講という形になります」

「はいっ」

「で、喫茶店のバイトを七月に始めた場合、お給料は八月になってしまいますが……その間の月謝は、今日の迷惑料ということで……」

「あ、それはダメですっ」


 金銭面の説明で、思わず美優は森永さんの言葉を遮った。急に否の声を上げた美優に驚いているが、ここははっきりさせておかなければならない。


「森永さんが培われた技術は森永さんが何年もかけてつけてきた技術です。それを迷惑料だからなんてタダで教えてもらうわけにはいきません。そこはちゃんとお支払いしますっ」


 飲み物の奢りじゃないんですから。と、思いつつ、自分でもすごい剣幕だなとは思う。

 案の定森永さんも、美優の剣幕に破顔した。


「はは、律儀ですね……。では、八月にいただくお給料の出世払いで大丈夫ですか?」

「はい。それでお願いします」


 美優がハキハキと返事をしたその時、美優のスマートフォンがメッセージを受信する。

 コーヒーの香りが漂う名刺を鞄の隙間に忍ばせる代わりにスマートフォンを取り出して画面を確認すれば、お母さんが駅の入り口に着いたらしい通知が目に飛び込んだ。


「森永さん。すみません、母が着いたみたいです」

「そうですか。では向かいましょう。詳細は追ってメッセージでお送りしますね」

「はい、お願いします」


 そう言って、二人は西口を目指す。


 駅直結型の百貨店は閉店の時間で、大きなガラス扉を守るようにシャッターが次々と降りていて、人通りもまばら。

 目の前には、地上一階へと降りるエレベーターも姿を現した。


 あのエレベーターに乗って、一階について、車に乗ったら、森永さんと直接こうして話ができるのは、いつになるかわからない。


「あの、森永さん」


 美優は彼の顔を見上げながら、思い切って声をかけた。

 森永さんは呼びかけに対し、美優を見下ろし答える。


「なんですか?」


 前進する足は止まらないし、時間も止まらない。

 美優は何も考えぬまま口を開いた。


「今週末のオフィーリア、今日演ったことを思い出して、頑張ります」

「演技は、相手のアクションを受けて返しての繰り返しですから、自分のオフィーリアを作り上げて、しっかりハムレットと演技のすり合わせをしてくださいね。応援してます」

 

 森永さんはこうしてアドバイスをくれる。

 それが本当に嬉しい。


 あぁ、あたしたち。打ち解けられてよかった。


「はい、ありがとうございます」

 返事をして、美優は間髪入れずに続ける。


「あの、うまく言えないんですけど……演技のことやレッスンのこと、そのほかのことで悩んだり話したくなったら……土曜日以外も、メッセージとかで、そ、相談してもいいですかっ!?」


 たったこれだけのことを言うだけなのに、すごく大それたことを言っている気がして、気恥ずかしくて。美優は頬を赤らめて森永さんから目を逸らした。


 相手は八つも年上だし、大人だし、芸能人だし、これから先生になってくれる人だし。

 あたしは八つも下の高校生で、子どもで、養成所生で、これから生徒になる。


 でも、いつでも繋がれるという約束が欲しかった。


 森永さんは急に顔を赤くして俯いた美優に対し、やはり微かに微笑むと。


「君と俺は、同じ目標を目指す『バディ』です。なのでいつでも連絡してください」

 と言ってくれた。


 その言葉に美優は顔をあげ、森永さんを見上げるにあたり、思わず浮かれて跳ね上がってしまう。


「本当ですか!? ありがとうございます! でもお忙しいときは、無理に返事しなくても大丈夫ですからっ」


 そう言う間にたどり着いたエレベーター前で、一階へと降りるかごはもうすぐそこにいて。下ボタンを押せば無機質な音を立てて扉は開く。 


 まず美優がかごに乗り、次に森永さんが乗り込んだ。

 後ろに人は居ない。

 森永さんが閉まるボタンを押すと、扉はまた無機質な音を立てて閉まり、かごは降下していく。


 このかごが目的階についたら、森永さんと別れなければならない。

 名残惜しくて、美優はふと森永さんを見上げたその表情に、想像できてしまった。


 部屋の隅で膝を抱いて思い悩むこの人の姿が、ありありと。


「あの、……森永さんも、あたしに聴いてほしいことがあったら言ってくださいね」


 急にこんなことを言われ、森永さんはちらと美優を見たけど。


「……気が向いたら……」


 そう言って「いや」と小さく頭を振った。


「……必ずお送りしますね」

「はいっ」


 森永さんの微笑みに美優が笑顔を返したそのとき、かごはゆっくりと降下をとめた。


 ふたりだけの時間の終わり。


 扉がゆっくり開くと、目の前には見知った車が止まっていた。

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