scene 6 駅のプラットホームにて
「藍沢さん。南柏を通過しましたよ」
声をかけられて、美優ははっと目を覚ました。
自分で強引に決めた将来の話をしていたのに。
アフレコ見学の緊張が解けた上に疲労と寝不足が祟り、列車の揺れと左側の暖かさも相まって眠ってしまったのだ。
起きて美優ははっと手の甲で口元を拭うが、口元が濡れていたと言うことはなかった。
よかった。垂らしていない。
かすかな安堵の息を吐く美優を、森永さんがチラと伺う。
「大丈夫ですか?」
「は、はい。すみません寝ちゃって……」
「いえ。大丈夫ですよ。今日は色々あって、お疲れですよね」
そう言いながら森永さんは、操作していたスマートフォンを一旦パーカーのポケットにしまった。
車内アナウンスが柏駅への到着を告げると、森永さんと美優は荷物を手に席から立ち上がった。そして、出口前に立つと、あとはプラットホームへの到着を待つ。
列車が駅に近づき、かかるブレーキ。重力に持っていかれないように手すりにつかなりながら、駅への到着を待つ。やがて列車はゆっくりと止まり、到着駅のアナウンスとともに扉が開いた。
美優と森永さんは列車からホームへと移ると、混雑を避けるためしばし人並みから外れる。やがてプラットホームのガヤガヤとした賑やかさも、列車が次の駅へと出発してしまえば、急に静かになる。
静かになったホームに響くのは次の列車の案内と、駅の外から聞こえる遠い喧騒。
森永さんは最後尾の人が階段を上がり始めたタイミングで、美優を見下ろし尋ねる。
「藍沢さん、お家の方に迎えにきていただくことて可能ですか?」
ホームの天井から吊り下げられた時計は、九時も半をまわっている。
こうも遅くなっては女子高生の一人歩きは短時間でもリスクがある。
それに、両親にはアフレコスタジオ見学の件と帰宅時間も遅くなることは伝えてあるが、ここまで遅くなるとは伝えていない。
「多分大丈夫だと思いますけど……」
美優はそう答えながら、家の状況を思い起こした。
この時間だと多分、お母さんは弟と妹の寝かしつけを終えたところ。
お父さんは会社から帰ってきたか否かは微妙なところ。
おばあちゃんは、やっと静かになった夜を楽しもうとくつろいでいるところか。
美優は立ち止まると、森永さんも一緒に止まった。
「ちょっと母に連絡してみますね」
美優はスマートフォンを取り出しながら森永さんから少し距離をとると、通話履歴からお母さんの携帯番号を呼び出した。通話ボタンをタップして耳に当てると、コール3回で繋がった。
『美優? どうしたの。遅かったね』
心配そうなお母さんの声に被せ気味で、美優は喋り出す。
「連絡できなくてごめん。ちょっと見学時間が伸びちゃって」
『そうだったの。で、どうだった? 楽しかった?』
お母さんは、アフレコ収録見学は楽しかった? と尋ねているのだろう。
「……うん」
打った相槌は、少しだけ苦くて。
アニメに出演させてもらえたことは、あとで話そう。
『そっか。よかったわね。で、今どこにいるの? 迎えにいく?』
「うん。今柏駅にいてね……」
そう場所を告げて、美優はチラと森永さんを見た。彼は自分のスマートフォンを操作していて、時折、何か考えながら文字を入力していた。
せっかくここまで送ってもらったのだ。相手はお母さんだし、森永さんに送ってもらったのを伝えてもいいかもしれない。
そう考え、思いきって現状を伝えることにする。
「見学の終了時間が押しちゃった関係で、現役の声優さんに駅まで送ってもらったの」
すると、今まで落ち着いたトーンで話していたお母さんの声が急に高くなる。
『え!? ホントに!? ど、どなた!?』
音漏れを起こしたようで、森永さんが美優をチラと見た。
「……っ声大きいよ……!!」
声を顰めて諌めるが、お母さんのテンションは上がっていく。
『だって、声優さんったら芸能人じゃない!! 美優どうすんのよ!!』
「お母さん声優さん詳しくないでしょ……!? それにどうしょうもないって!!」
美優の慌てっぷりに、いよいよ森永さんがスマートフォンをジーンズのポケットにしまうと、こちらへと向かってくる。
だがお母さんの勢いは止まらない。
『いやでも、何かお礼した方が良いかしら? 何がいい? ちょっと聞いてくれる?』
「いやだ、でしゃばらないで……!! そういうの良いから……!! 迎えにきてくれるだけでいいから……!!」
自分の母ながら、なんてテンションの上がりようだ。と慌てる美優の手からスマートフォンが抜き取られた。
森永さんだ。
「ちょっと失礼しますね」
森永さんはそう呟くと、美優のスマートフォンを耳に当てた。
「美優さんのお母さまですか? 初めまして。本日、美優さんとご一緒させていただきました、森永と申します」
声優さんだから元々の声もすごく良いのだが、電話対応特有のかなりいい声で森永さんの声の輝きは5割マシだ。
『へ、あ、美優の母です……。すごいイケボ……! すみませんこんなところまで送っていただいて……!』
突然電話口に現れたイケメンボイスの青年に、お母さんの声はさらに高くなり、名乗りとお礼と感想が入り混じって、大変なことになり出した。
対して森永さんは落ち着いている。
「こちらこそ遅くなってしまって申し訳ありません。あの、この夜分に申し上げにくいのですが、私がお宅まで送り届けることが流石に憚られますので、美優さんのお迎えに来て頂くことは可能でしょうか?」
とても丁寧な申し出に、さすがのお母さんも相槌を打ちながら徐々に落ち着きを取り戻したようで、
『ご丁寧にありがとうございます。駅まで迎えに参ります』
と、声のトーンが落ち着き出した。
だけど音漏れしているのは、お母さんの声がよく通るからだ。
「申し訳ありません、お願いします」
『いえいえ。こちらこそ駅まで送り届けていただいて……では、家のことを少し片付けてから参りますので、その間、美優のことをよろしくお願いいたします』
「わかりました。お忙しい時に申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
そしてお互いに失礼しますと言い合って森永さんは終話ボタンを押すと、美優にスマートフォンを返し、改札階へ登る階段へと歩き出した。
「藍沢さんって……雰囲気とかはお母さん似ですか?」
美優も森永さんについて歩き出しながら、「いや、まぁ」と口を開く。
「否定はしませんけど……」
「でも、声はちょっと違いましたね。なんかお母様は落ち着いた感じ?」
「あー、あたしの声は突然変異なので。お父さんも低いんですよ。あ、でもおばあちゃんは高いかな」
「そうなんですねぇ」
などと会話をしながら階段に差し掛かると、二人ともエスカレータではなく、自然と階段を登り始めた。声優は体力仕事。よほど疲れていないかぎりは美優はもっぱら階段を使う。
二人は改札回へ上がると各々交通系カードを取り出して、まだ少しだけ賑やかな改札の外へと向かった。
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