scene 6 精鋭たちの好奇の目
自己PR課題が始まってから、時計の長針が半周しようとしていた。
昨年度も本科生だったレッスン生と基礎科二年目で進級したレッスン生の発表が終わり、残すは基礎科一年目で進級したレッスン生数人となっていた。
彼らの中には早口であったり、つっかえたりする者もいたが、さすがは進級審査をクリアし本科進級を果たした精鋭だ。時間切れになる者は多少いるが、話す内容が頭から飛んでしまい黙り込んでしまう者はいない。
美優はまだ名を呼ばれていない。だけど誰かの発表が終わるたび、次に呼ばれてもすんなり立ち上がれるように用意だけはしていた。
いつ呼ばれるか。
呼ばれたらすんなり立つことができるだろうか。
教室の真ん中まで行って、うまく発表できるだろうか。
だけど肝心なとことでミスはできない。
本科で一番初めのレッスンだから、しっかりと決めたい。
第一あの人――森永響にかっこ悪いところは見せたくない。
いろんな気持ちや感情が混ざり合って、落ち着かない中、美優はふと、森永響を横目で伺った。見たくはなかったけど、目線が勝手にそっちへ行ってしまった。
森永響は指の上で器用にペンを回しながらレッスン生の発表を聞いていたかと思ったら、うんうん頷いてメモを取ったりしている。
森永響の手前では、高崎マネージャーも手元の紙に何かを書いていた。
そういえば、昨年度の所属が基礎科だったレッスン生の発表に入ったあたりから、ふたりがメモを取る頻度は格段と増えた気がする。
「――将来は、主演をたっくさん演じてアーティスト活動もできる人気アイドル声優を目指しています。よろしくお願いいたします」
ふわふわとしたツインテールを揺らしながら甘やかな声でスピーチを終え、ぺこりとお辞儀をしたのは基礎科一年目で進級を果たした女子。
ピンクやベージュで統一された長袖カットソーやジャージは、彼女によく似合っていた。
自分と年齢も大して変わらないレッスン生の、愛らしさと自信に満ちた余裕あふれる発表。美優とは系統は違うが、野心が表情に溢れていて圧倒される。
ホワイトボードの前に立っている酒井講師も、満足げに喉を鳴らして早坂さんへのダメ出しに入る。
「自分のキャラクターを押し出した、早坂らしい自己PRで印象に残りやすいと思う」
「ありがとうございますっ」
講師からのお褒めの言葉に、早坂さんは笑顔でぴょんと小さく跳ねた。よく言えば可愛らしい、悪く言えばあざといお礼に、酒井講師が一瞬微かにたじろいだ。しかし、すぐ咳払いをしてダメ出しを続ける。
「強いて言えば、情報量を詰め込み過ぎて早口になっていたから、本当に伝えたいことを選ぶこと。それと、話している間はしっかり立つこと。次、
「はいっ。ありがとうございましたっ」
酒井講師のダメに早坂さんはニコニコしてお礼を言うと、ぴょこぴょこと自分の位置に戻っていった。
入れ替わり立ち上がったのは、短髪の青年――十時さん。
真っ白なTシャツに、黒いジャージ。彼のような人を『精悍』とか『硬派』というのだろう。
切れ長の目が印象的で、真一文字に口を結んだ彼は立ち位置に着くと、綺麗な所作で正面を向いた。
「十時昴です」
十時さんは表情を崩すことなくしっかりと名乗ると、癖がなく清涼感のある声はレッスン室に響き渡った。
「用意、アクション!」
酒井講師の掛け声と手拍子が響き、十時さんはすっと息を吸う。
「十時昴、19歳大学2年、埼玉県出身在住、昨年度は基礎科1年目でした。俺は――」
体育大学に所属し競技大会にも出たことがあるという彼は、競技大会を通じて培った精神力をアピールする。それでもアスリートでも体育科の教師でもなく、声優という道を選んだ理由も明確に伝えた。
「――『この役は十時昴以外ありえない』と制作側から直々にオファーを頂けるような、人気と実力を兼ね備えた表現者を目指しています。よろしくお願いいたします」
最後のお辞儀もぴっと九十度。この丁寧な所作は意識していなければ身につかない。そんな十時さんの発表が終わり、室内の注目は酒井講師に移る。
酒井講師は腕組みを解くと、
「堅実で明確な自己PRは安心して聞いていられた。だが少し面白みに欠ける。まぁ、性格なのだろうけど、遊びがあると思われた方がいい時もある。次、
と、次のレッスン生の名を呼び、十時さんの番を終わらせた。
「はい、ありがとうございました」
性格という根本的理由のダメも何のその。十時さんはきれいなお辞儀をして集団に戻っていった。隙のない一連の動作に思わず見惚れたのは、言うまでもなく。
十時さんに代わって酒井講師に呼ばれて立ち上がったのは、厚い前髪に眼鏡をかけた痩身の青年。
彼は「はい」と柔らかく返事をし、立ち位置に着くと綺麗な所作で正面を向いた。
「最上葉遠です」
表情も名乗る声も柔らかで、少しざらついた声質がふわりと室内に漂う中、彼――最上さんの名を聞くなり一部のレッスン生が小さく声を上げる。
え、なに? どうしたの? 何この空気。
「用意、アクション!」
美優の疑問を置き去りに酒井講師の手が打たれ、彼はふわりと人懐っこく笑んだ。
「最上葉遠、19歳大学2年、長野県出身、神奈川県在住。昨年度は基礎科1年目でした。芸歴としては二年ほど前から、雑誌のモデルとして芸能活動をしておりますが、事務所は未所属です。僕は――」
あの小さな声は、この人知ってる。の声だったのか。
ファッションに精通して雑誌なども購読していたら、モデルという存在は目に入はいるもの。それに、モデルであれ俳優であれ、芸歴があるだけで拍が付くし、それだけ舞台慣れや現場慣れをしているということ。
活動すれば活動しただけ、度胸もついているということだ。
その上、声質も話し方も独特で、柔和な表情も相まって聞くものを魅了する。
最上さんは、自分が声優になりたいと思ったきっかけを触り程度に交え。
「――主役でも脇役でも観た人の心に棘を残す。僕が演じたいそんなのはそんな役どころであり、そんな役者を目指します。以上、よろしくお願いします」
お辞儀で微かにずれた眼鏡を直す。そんな所作さえ絵になる。
酒井講師も腕を組み唸りながらダメを探している様子だったが、見つけることが難しかったのか。しばらく唸って言葉を絞り出した。
「……個性が強すぎると嫌味になる場合が多いが、それが嫌味にならないのは、たぶん才能なのだろうな。ま、あえてダメを出すというなら、厚い前髪と眼鏡で表情がわかりにくくなってる点だが。よかったぞ」
「では前髪は上げます。ありがとうございました」
酒井講師のダメ出しに最上さんは早速改善点を提示し、一礼した。その礼にかぶって、酒井講師が次のレッスン生を指名する。
「次、藍沢美優」
呼ばれた。
「あ、はいっ」
美優は体と声を跳ね上がらせて立ち上がると、レッスン室の真ん中まで進み出た。
次第に心臓はドキドキと早鐘を打つ。誰も知り合いのいないレッスン室内で発表することに緊張しているのだ。
まさか発表がこんなに後の方だとは思わなかった。
もっと前に呼ばれるんだと思ってた。
だけど考える時間はいっぱいあった。
いい発表になるようにと他の人の発表の良かった所を取り入れながら、自己PRの内容を何度も頭の中で作り直したつもりだ。
だがその試行錯誤の末に出来上がった自己PRの良し悪しは、目の前の三人が決めること。
だけど一番『話したい事』はゆるぎなかった。
美優はくるりと正面を向いた。向かって左のホワイトボードの前で酒井講師が腕組みして仁王立ち。
森永響と高崎マネージャーは椅子に座している。
「藍沢美優です!」
甲高くやや鼻にかかった勇ましい名乗りがレッスン室中に響くと、酒井講師の手が胸の前で開かれる。あとはその手が打たれるのを待つばかり。
だが、ここに立って初めて知り得たことがあった。
無表情の十数人分の瞳は、思ったよりも冷たく光ることを。
森永響と高崎マネージャーが会議机の天板に広げているのは、三月の入所手続きの時に提出した、学籍簿をコピーしたものであることを。
そして皆、ここに立って初めて知るのだろう。
これはただの授業見学じゃない――模擬オーディションだということを。
目の前のクラスメイトたちは、この緊張感の中で自分らしさを出し切ったのか。
さすが、本科だ。
そう認識すればするほど、美優の中の緊張の糸はピンと張り詰める。
これ、絶対に失敗できない。
本当のオーディションなら、つっかえたり、頭が真っ白になって自己PR発表が止まってしまったら、落とされる。
選んでもらえない。
そう思えば思うほど、脚は震え、頬の筋肉が重くなる。
……いや、ここは笑うとこ。笑えなくても、微笑むとこ。
リラックスしなきゃ。
これは模擬オーディションなんだから。
美優は口角を上げてみるが、心臓の音はなかなか静まらない。
ああ、ジュニアコースだったらこんなに緊張はしなかったのに。
「用意、アクション!」
酒井講師の掠れた声と不意に打たれた手拍子の破裂音に、美優はすぐ反応してみせた。
「藍沢美優」
名乗れば、あとは口の動くままに――。
「十五歳、高校一年、千葉県出身在住、昨年度はジュニアコースでした。私は――っ」
ここまで喋ったにもかかわらず、美優は思わず言葉を飲み込んでしまった。
美優の放ったある言葉が、レッスン室内の空気を一瞬にして変えてしまったからだ。
――十五歳、高校一年、昨年のクラスはジュニアコース――。
通例であればジュニアコースは基礎科に進級するのが定石である。即ち、十五歳の高校一年で本科所属は、入所審査で本科合格を果たす以外に道はないと考えられていた。
しかもそれは、そんじょそこらの十五歳の高校一年生がたやすく入所できるほど、本科試験は甘くない。
それはジュニアコースからの進級でも同じだった。
だがレッスン生たちの目の前には、ジュニアコース程度のレッスンで基礎科を飛び級し、本科に所属した十五歳のレッスン生がいる。
美優を無表情で見ていた十数人の眼差しが、一気に表情を露わにしたのだ。
好奇心。
嫉妬心。
敵視。
美優は思わず言葉を呑み込んでしまった。
再び心を立て直そうとするが、無数の目線はまるで、自分を責めているように感じた。
ジュニア上りがどうして本科に入れたの?
まさか、裏特待?
基礎科を飛ばした実力、とくと拝見しようじゃないか。
実際に声は聞こえない。誰も口を開いていない。
だけど皆がそう言ってるように感じた。
カッと頭に血が上がる気配と頬が火照る感覚がすべてを支配する。
そのあとに来るのは、霧のような、雲のような、吹雪のような、真っ白な何か。
得体のしれないソレは、美優の頭の中の言葉や考え思いのすべてを、さぁっと掻き消していった。
あれ。
あたしは何を話そうとしてた?
なにか、言わなきゃ……!
だめだ、呑まれる……!
こんなところで立ちすくんでちゃ、だめ……!
このままでは本科初めての発表は、黙って立ち尽くしたまま終わってしまう。
自分の無力感にさいなまれながら、美優はぎゅっと目を瞑った。
ここは本科のレッスン室。
レッスン室の真ん中に一人で立ったなら、プロンプを出してくれる味方はいない。
酒井講師も、同じクラスのレッスン生も、じっと美優を見ているだけだった。
このピンチをどう切り抜けるのか。
あるいは、戸惑ったまま発表時間を浪費するのか。
これは見物だと見ているだけ。
だったら余計に、何かひねり出さなきゃ……!
瞑った目に力をさらにぎゅっと力を入れて、頭の中の白い霧が消えてくれることを願った。
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