第42話 過去#3
「私が小さい頃、父に連れられて帝都に行ったとき、近衛騎士団の行進を見たわ。すごくかっこよかった。私はそれがきっかけで、騎士を目指すことにしたの。少ない伝手を辿って、私はある騎士の元で、見習いとして働き出したのよ」
騎士に叙任されるには、別の騎士からの推薦が必要だと聞く。
大抵は親が子を推薦するのだが、それが叶わない場合は、誰かの元で見習いとして修業を積み、推薦を受けるらしい。
「私は16で叙任を受けた。当時は最年少だったのよ。武芸大会では何度も優勝したし、皇帝陛下から直々にお言葉を賜ったこともあるんだから」
そう語るモニカの顔は、誇らしげに見えた。
「そんなとき、近衛騎士団の1人が私を目にかけてくれて、推薦状を書いてくれることになったの」
近衛騎士というのは皇帝など皇族を護衛する騎士のことで、叙任には厳しい審査を通らなければならないらしい。
「18のとき、私はアルカハルとの戦争で傭兵軍を率いることになった。ルドヴィカと出会ったのはそのときよ。もう近衛騎士になることは決まっていて、あとは箔が必要だったの。審査に通ったと知って、父はすごく喜んでくれて、昔から私を知ってる領民も、皆で祝福してくれたわ」
それまで明るかったモニカの顔は、何故か一気に暗くなった。
「私たちは戦に勝った。……けど、他の場所は負けたみたいで」
モニカは言葉を詰まらせた。
「私の故郷――家の領地が、ひどい略奪に遭ったの。何もかも失ったわ。父も領民も皆殺しにされて、家も畑も全部焼かれた。残ったのは私の剣と鎧だけ。お金も人も足りないから、復興もできなかった」
そうなった貴族の末路はただ1つ。
没落だ。
「だから、騎士をやめたのか」
単純に金の問題だ。
金がなければ、馬も飼えないし武具の手入れもできない。
「領地と爵位は返上したわ。小さな家だから頼れる人もいなかった。それで路頭に迷った私を、ルドヴィカが誘ってくれたのよ。そのときの言葉は今でも忘れない」
傭兵になる方が、剣を振るえなくなるよりマシでしょ――。
ルドヴィカはそう言って、モニカを誘ったという。
そして爵位を失ったことで使えなくなった、家の紋章が描かれた鎧を黒く塗りつぶし、モニカは傭兵となった。
「ルドヴィカの言う通りだったし、生きるためだから仕方なかったけど、傭兵になるなんて本当に嫌だったわ。野蛮で下劣で、自分のお金と命の為なら何でもするって思ってたから。だから最初は、ルドヴィカのことも嫌いだった」
シルビアには想像もつかない過去を振り返って、モニカは苦笑する。
「けど今は、これでいいって思ってる。騎士をやってたらルドヴィカともそれっきりだったでしょうし、あなたやオリビアにも出会えなかったもの。もちろん、それでもいいことはあったでしょうけど、そんなの気にしたって仕方ないでしょう?」
過去に、もしもはない。
別の道を選んだ自分が、どうなっているかは分からない。
だからこそ人は、自分が持っているもの、これから手に入るものだけで満足しなければならない。
何を取りこぼしたか、知る術などないのだから。
「人生は単純じゃないわ、シルビア。この3年は、あなたがリュミエールの不死鳥にいたら経験できなかったことよ。あなただって、毎日の何もかもが不満だったわけじゃないでしょう?」
「……あぁ」
確かにこの3年はルドヴィカを恨んでいたが、それだけがすべてではなかった。
嬉しいことも、幸せなこともあった。
「オリビアだって、嫌々あなたについていったんじゃないわ」
モニカは空を見上げる。
「あの戦が始まる前、ルドヴィカはあなたを捨てることをオリビアに言った。そうしたらあの子は、一晩中ルドヴィカを責めた。シルビアがどんな思いをするのか分かってるのかって」
当然、シルビアはそんなことは知らない。
「ルドヴィカの意思が変わらないと分かると、オリビアは自分も抜けると言ったの。私たちは止めたけど、シルビアを見捨てられないって聞かなかった」
穏やかに笑うモニカの陰では、当時への複雑な思いが蠢いているように見えた。
「もう1度訊くわ。あなたは、本当にこの街を出たい?」
「あたしは……」
言葉が続かない。
オリビアは姉妹のしがらみで抜けたわけはない。
シルビアという個人を案じて、同じ道を選んだ。
――でも、あいつは戻るべきだ。
あの左手は、リュミエールの不死鳥にいた方が活かす機会も多い。
彼女の信念である、より多くの命を救うことにも繋がる。
――それでも、戻ってほしくねぇ。
相棒として、姉として、自分の隣にいてほしい。
そんな矛盾した思いを抱えているから、シルビアは答えられずにいた。
「シルビア」
葛藤するシルビアは、モニカの呼び声で我に返った。
街の鐘が鳴っている。
激しく脈打つ心臓のように。
戦線に奇襲された夜のように。
モニカが走り出す。
シルビアも、苦悩を捨てて後を追った。
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