第40話 過去#1

 何のあてもなくヴェルピアの街を歩く。

 戦線との停戦は2日目に突入し、住民たちは昨日と同じように、避難すべく街門に歩いている。

 不安げな表情を浮かべ、あるいはまた復興できると明るく振る舞い、彼らは街を出ていく。


「傭兵さん、頑張ってくれよ!」


 途中そんな声をかけられたが、シルビアは何と返したか分からなかった。


 3年前に一変した人生は、この数日でさらに変わった。

 元通りになればよかったが、元の形も分からないくらい、ぐちゃぐちゃになってしまった。もう直るとは思えない。


 この街は、あまりに因縁が多すぎる。


 もう二度と来たくない。

 彼女たちからも離れたい。

 1人で消えてしまいたい。


 それにはリエト軍との契約を切らねばならない。一度はルドヴィカにクビにされたシルビアだが、彼女の代理となったモニカによって、再び雇われたことになっているからだ。


 それには相応の理由が必要だ。同僚と喧嘩したからなどという理由では認めてもらえない。


 聖堂広場に出たシルビアは、そこでゆっくり言い訳を考えることにした。どうせ、時間はたっぷりあるのだ。


 広場に転がっていた死体はとっくに片付けられ、今はわずかに血の痕が残っているだけだ。2度目の避難に向けて準備する、大聖堂の避難民たちの姿もあった。


 ちなみに、その大聖堂の司教は戦線と内通した罪で捕らえられ、この戦争が終わり次第裁判にかけられる予定だ。どうせ死刑か、運がよくても一生監獄暮らしだろう。


 中央に設えられた噴水に腰を下ろす。

 何か契約を切るに相応しい理由はないかと考えるが、頭に浮かんでくるのはルドヴィやオリビアのことばかりだ。


 思考を切り替えようと頭を強めに掻いてみるが、消えない。

 いっそこのまま、噴水に飛び込んでしまおうかと思ったが、さすがに大勢がいる前でそんな奇行に走る度胸はなかった。


「ここで何してるの?」


 そんなシルビアの頭上から、声が降ってくる。


「……モニカ」


 見上げると、彼女がいつものように微笑んでいた。


「街を出たい」


 まだ理由なんて思いついていないが、シルビアはそう口にしていた。


 モニカの顔から微笑が消える。


「……ルドヴィカから聞いたのね」


 思えば、ルドヴィカが酒場に来たのは「モニカに言われたから」と言っていた。

 なら、どんな理由を並べても、結局はバレたということだ。


 シルビアは気づくには遅かった事実を知って、素直に認めた。


「あぁ、全部聞いた。何であたしが捨てられたのか」


 何故、シルビアには黙っていたのか。


「あなたは戦力外なんかじゃなかった。ルドヴィカが嘘をついただけよ」


 モニカだって、被害者の1人だ。

 シルビアを傷つけたと苦しみ、オリビアやルドヴィカと同じように、真実を言えぬまま3年も抱えてきた。


 その間、彼女の胸の内はどうだったのだろう。

 どんな思いでシルビアに接し、ルドヴィカを許せと言ったのだろう。


 想像するだけで、ますます自分自身が許せなくなった。


「本当に、街から出るつもり?」


「オリビアは連れていってくれ。問題なのはあたしなんだろ」


 リュミエールの不死鳥が分裂しかけたのはシルビアのせいで、オリビアはその巻き添えを食っただけだ。


「だから、あなたは1人で消えるつもりなのね」


「それが一番だろ」


 モニカは頷かない。


「いいえ、最悪よ。あのときのルドヴィカと同じじゃない」


 モニカは続ける。


「ルドヴィカも同じ選択をしたわ。1人で全部背負った結果、私たちはバラバラになった。あなたは辛い思いをしたでしょうけど、私たちだって同じだったのよ。私は、あんな思いはもう二度としたくない」


「バラバラにはならねぇよ。元に戻るだけだ」


「あなたがいないのに、元に戻るわけないでしょ!」


 叫んだモニカに、広場にいた人々が注目した。


 彼女はすぐに我に返って、シルビアの隣に座る。


「……今までがおかしかったんだ」


 独り言のように、シルビアは呟いた。


 オリビアの異能は有用だ。触るだけで出血を止め、ほとんどの傷を癒してしまう。

 言うなれば神の業だ。どんな傭兵団だって欲しがるだろう。


 ではシルビアは?


 触れただけで相手を出血させて、死に至らしめる。


 確かに強い。

 強いが、同時に恐ろしい。

 必要とされるかと言ったら、されないだろう。


 シルビア自身が異能を制御できず、誰彼構わず傷つけてしまうのだ。

 まともな傭兵団なら、扱いに困るからと受け入れない。


 だがルドヴィカは、ユリアのためとはいえシルビアを受け入れ、育て上げた。

 今まではそれが普通だと思っていたが、シルビアを恐れ、追い出した連中こそ普通なのだ。


 だから、これから先は1人で生きていく。

 1人でいれば、誰も傷つけることはないのだから。


 何故こんな大事な、簡単なことに気づけなかったのだろうと考えて、ルドヴィカたちが気づかせなかったのだと分かった。

 物心つく前から彼女に育てられ、他の連中にもよくしてもらい、それが普通だと思い込んだまま、今日まで生きてきてしまったのだ。


 感謝しかなかった。

 シルビアにこれが普通でないと気づかせなかったルドヴィカに。


 そして情けない。

 彼女を勘違いしていた自分が。

 気づけた今になっても、何も応えられない自分が。


「オリビアを帰すならあなたも帰ってきて。1人だけ消えるなんて、私は絶対に許さない。傭兵団には私から話すわ」


「やめろ」


 そうしてルドヴィカは苦しんだのだ。

 モニカにまで同じ苦しみを味わせるわけにはいかない。


「じゃあ、あなたはこれでいいの?」


「いいも何も、こうするしかねぇだろ」


 シルビアだって、出来るなら帰りたい。

 あの日常に戻りたい。


 しかし、それは許されないのだ。

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