第37話 傷#3

「本当にいいの?」


 そう尋ねてきたモニカは、責めているのではなく心配しているようだった。

 こんな彼女を、どこかで見た記憶があった。


「……いいのよ」


 どこだったかという疑問を、黄金の酒とともに喉へ流す。


「あの時と同じね」


 今度は非難めいた口調だ。


「あの日、言ったことと同じよ」


「何が?」


「今の答え。シルビアを捨てたあの日、私は本当に言わなくていいのかって訊いた。覚えてるわよね? 忘れたなんて言わせないから」


 だから記憶があったのか、とルドヴィカは納得した。


「今度も言わないつもり? ならいつ言うのよ」


「明日よ。オリビアが話すっつったでしょうが。話聞いてた?」


 わざとずれた答えを返す。

 モニカは噛みついてこず、呆れて溜息をつくだけだ。


「また逃げるのね」


「逃げるって、何からよ?」


「色々よ。傷って言えばいいのかしらね」


 モニカは酒杯グラスを、音を立てて置いた。彼女にしては乱暴な手つきだった。


「あなたは傷を見るのが怖いのよ。シルビアを捨てた罪悪感、捨てなきゃよかったっていう後悔。傷を見たら、あなたは自分がやったことを自覚しなきゃならなくなるから」


「他人事だからって、好き勝手言えるあんたが羨ましいわ」


 モニカが向けてきた言の刃から身を守ろうと、ルドヴィカは皮肉で反撃した。


「だから、自分は傭兵団長としてやるべきことやったって言い聞かせてる。傷が見えそうになるたびに、これからもあなたは鏡に向かって言い続けるんでしょうね」



 一言一句が、ルドヴィカを刺していく。



「……言い続けたのはあんたでしょうが!」



 その痛みに耐えられなくなって、ルドヴィカは怒鳴った。



「あなたは手を尽くした、仕方なかったって! 私がそう言ったら、今度は責めるわけ!?」



「私が責めるのはあなたが逃げるからよ! あなたは言わなかったじゃない! 何でシルビアがあんなことになったのか! そのせいで、あの子は私たちを恨もうとしてるのよ!」



 最後の言葉が引っ掛かって、ルドヴィカの怒りは急速に戸惑いに変わった。


「あの子は未だに、私があげた夜会服ドレスを着て、あなたがあげた剣を使ってる。どっちも大した価値なんてないのに」


 それが何を意味するかも分からないのか、とモニカは赤い瞳で睨みつけてきた。


「……そのシルビアは、オリビアが抜けた理由も知らないのよ」


 ルドヴィカは静かに言った。

 負けを認めたように、力の抜けた声で。


「言ったら、きっとシルビアは自分を責めるわ」


「きっと平気よ」


 モニカは優しい声だった。


「あの子は大きくなったわ。オリビアと2人きりで、こんな世界を生き抜いてるのよ。私たちに捨てられても、自分たちだけで立ち上がった。だから平気よ。シルビアは立ち上がれる」


「何で分かんのよ」


「私にも経験があるから、かしらね」


 自身の古い、古い傷を誤魔化すようにモニカは笑う。


「あいつはあんたじゃないわよ」


「ダメだったら、私が立ち上がらせるわ。かつて、あなたが私を立ち上がらせてくれたように」


 それが自分の役目だと、彼女は言った。


「だから話してきて。あなたが今でも、あの子たちの母親代わりだと思っているならね」



 20年来の相棒はそう言って、いつもと同じ微笑を浮かべた。

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