第36話 傷#2
酒場にとって夜は最も客が入る時間帯だが、それも更ければ閑散とする。
特に今は、ヴェルピアの住民が避難を始めているせいで街に人がいない。
だから、今いるのは夜番の兵士くらいだ。奥の
この酒場は戦線の襲撃を免れた。店主はどこかの酒場が1軒くらい開いていないと困る人がいるだろうと、停戦が終わるギリギリまで店を開けるつもりだという。
商魂がたくましいのか、それとも純粋に人を思っているのか。どっちにしろ、ルドヴィカのような人間にとってはありがたい。
明日、シルビアがすべてを知る。
今までルドヴィカが隠し、墓場まで持っていくつもりだった真実を、オリビアが明かそうとしているのだ。
彼女が言った「話す」という言葉が嘘とは思わない。
シルビアはその気がなくとも殺すと喚くが、オリビアは本人が言った通り、言ったことはすべて実行する。
明日話すことをわざわざ伝えてきたのは、ルドヴィカ自身の口から告げてほしいからだ。
「……できるわけないでしょ」
シルビアは、どうにもならない理由で居場所を失った。
オリビアは、そんな彼女を追いかけて同じ道を辿った。
こんな事実を、どうして伝えられよう。
「まだ起きてたの?」
天井から吊るされている燭台の灯が翳って、ルドヴィカは声の主を見上げた。
「そりゃこっちの台詞よ。何でここにいんの」
「今のヴェルピアで飲める場所はここしかないって聞いたから。こんなの、飲まなきゃやってられないわ」
モニカは、珍しく疲れた様子だった。
「あなたの代わりがいかに大変か、この1日で身に染みたわ」
それが傭兵隊長の仕事だと分かって、ルドヴィカは詫びた。
傭兵を仕切る役目は、意外と書類仕事も多かったりするのだ。
それにモニカは今回、正規兵までまとめ上げている。労力は半端ではないだろう。
「悪いと思うなら早く寝てくれる? あなたは療養中なのよ。お酒まで飲んで」
モニカは、ルドヴィカの持つ
「眠れないのよ」
向かいに座った彼女は、
「明日、オリビアが全部話すそうよ。3年前のことを」
そう告げても、モニカはこれといった反応も見せず、表情にも出さなかった。
「それで、あなたはどうするの?」
「来てくれって言われたけど、行けるわけないでしょ」
行って、どんな顔で話せばいいのだろう。
「まだ自分を責めてるのね」
「まさか、あの2人の存在が、ここまで大きくなるとはね」
託された当時を振り返り、ルドヴィカは懐かしむ。
17年前、ルドヴィカは親友から産まれたばかりの双子を託された。
子供が欲しいとは思っていなかったし、それは今でも変わらない。
それでも面倒を見ることにしたのは、ユリアとの友情に応えてのことだった。
ただそれだけ。
最低限の愛情を注ぐつもりでいた。
だが、2人が育っていくにつれて、愛情も深くなっていった。
知らず知らずのうちに、双子を気にかけるようになっていった。
「昔、シルビアが森で消えたことがあったでしょ」
それを聞いて、ルドヴィカは感じたことのない不安に駆られた。
どこへ行ったのか。
無事でいるのか。
怖い思いをしてはいないか。
彼女の身を思うだけで、心が苦しくなった。
自分が自分でなくなったような気がした。
「えぇ。私が連れ帰ったとき、あなたはものすごい剣幕で怒鳴り散らしたわよね」
それだけ心配だったのだ。
ルドヴィカの怒り具合に周りは驚いたが、一番驚いたのはルドヴィカ自身だった。
あのとき、双子への愛情の深さに気づいた。
それに戸惑い、悩み、そして封じた。
傭兵にとって、戦争において、愛情は最も邪魔な感情だからだ。
誰かに情を抱けば、判断を狂わせることになりかねない。
それは傭兵団長として、あってはならないことだ。
ルドヴィカはその考えを貫こうとした。
貫こうとして、できなかった。
「誰に何と言わようが、私は雛を捨てた親鳥なのよ」
「でなきゃ私たちは片翼を失ってた。あなたは手を尽くしたわ」
傭兵団に持ち上がった問題を解決しようと、ルドヴィカはあらゆる策を講じた。
だが、ダメだった。
――本当に、手を尽くした?
その疑問は口に出ていたようで、モニカが先を促してきた。
「不死鳥が、何で不死なのか知ってるでしょ」
不死身だからではない。
不死鳥は死期を悟ると、自らの身体に火をつける。
そして、燃え尽きた灰から復活するのだ。
「私たちも同じことをすればよかったって、思わなくもないのよ」
自分らしかぬ言葉に、ルドヴィカは苦笑する。
片翼を捨て、火をつけ、復活する。
それは取ってはいけない、紛れもなく最悪の手段。
「でも、あなたはそうしなかった。もう考えるのはやめたら?」
「やめられたら、どんなに楽かしらね」
追加の
「まだ飲む気? それで何杯目?」
「何よ、酒は薬って言うでしょ」
「過ぎた薬は毒よ」
「オリビアみたいなこと言うわね」
ルドヴィカは新しい
オリビアは性格か職業柄か、ルドヴィカたちの生活習慣にも口を出してきた。
深酒する男どもは、オリビアに注意されると決まって「これは薬だ」と言い訳したものだ。
それを聞いた彼女が「薬も過ぎれば毒です」と容赦なく酒瓶ごと取り上げるのが、毎度の光景だった。
「……あの頃に戻りたい」
「無理よ。分かってるでしょ」
「そうね、ごめんなさい。私ったら……」
モニカは、いつものように微笑んだ。
「それで、明日はどうするの?」
「行かないわよ。オリビアが話して、シルビアが知って、あとは2人次第でしょ」
わざわざルドヴィカが出向いて、お互いの傷を抉る必要はない。
オリビアはシルビアをよく知っていて、細やかな気配りや配慮もできる。
自分より彼女の方が適任だ。
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