第35話 傷#1

「話す気はないのですか?」


 シルビアが出て行ってから、ルドヴィカはオリビアにそう訊かれた。


「何をよ?」


 何のことかは分かっている。それでもとぼけた。

 その話はしたくないという意味を込めて。



「シルビアを捨てた、本当の理由です」



 オリビアは空になった器にスプーンを置いて、言った。


 運ばれてきた、焼きたての肉を無言で切り分ける。

 特に食べたいわけではないが、オリビアは曰く肉は血の源なのだそうだ。


「そろそろ、仲直りしたらどうですか」


 無視という手段に出たルドヴィカに、オリビアは話し続ける。

 何が何でも、この話題を続けるつもりらしい。


「直す仲なんかないわよ」


「私は真面目に話しています」


 珍しく怒った顔で言われたので、仕方なく付き合うことにした。


「で、私はどうすればいいの?」


「シルビアに、捨てた本当の理由を話してください。私が何故、リュミエールの不死鳥から去ったのかも。そこから始めないかぎり、和解など不可能です」


「嫌よ」


 即答した。


「今更言うつもりはないわ。言えば、シルビアは苦しむ。産まれてきたことを後悔するでしょうね」


 この喩えは大げさではない。

 実際、それくらい大きな問題が迫ったからこそ、彼女を追放しなければならなくなったのだ。


「弱いから必要ないとあなたは言いましたが、シルビアは本当に弱いのですか?」


「ハッ、まさか。歳を考えれば、あいつは十分腕が立つわ。傭兵としても、私は捨てたくなかった」


 これからもっと実力を伸ばすだろう。

 その成長をそばで見ていたかった。


 だが、捨ててしまった。


 ユリアとの約束も反故にして、自らの夢を優先させた。


「ならせめて、そう言ってあげてください。シルビアは未だに、戦力外だから捨てられたと思っていますよ」


「そう思わせとけばいいのよ。真実を知るより何倍もマシだわ」


「だから、あなたは恨まれ役を続けるのですか」


「そうよ。それが一番だから」


 その答えに、オリビアは何故か笑った。


「あなたは恨まれていると思っているようですが、シルビアは未だにあなたを愛していますよ。本人は認めようとしませんが」


「……そこは、お互い様ってわけね」


 かくして隠した傷が見えそうになって、ルドヴィカは必死に目を背けた。


「それでも、よ。世の中には知らなくていいこともあんの」


「そうでしょうが、これは違います」


 オリビアに睨まれる。


「あんたには似合わないわよ。そんな目つき」


 そう言っても、彼女は睨むのをやめなかった。


「明日、同じ時間にシルビアをここに連れてきます。ですから話してください」


「じゃ、明日はモニカの所にでもいるわ」


「どうぞ。私が話しますから」


 前触れもなく放たれた言葉に、ルドヴィカは思わず肉叉フォークを持つ手を止めた。


「本気で言ってんの?」


 理解できなかった。

 言葉の意味ではなく、オリビアの考えていることが。


「シルビアが全部知るってことは、あんたが抜けた理由も知るってことよ」


 オリビアのことは捨てたのではない。

 

 彼女は自分から傭兵団を抜けたのだ。

 追放されることになった妹を心配し、追いかけるために。


 シルビアが知れば、自分のせいでオリビアは居場所を失ったと考えるだろう。


 そして自分を責める

 責めて、責めて、責めて――その先どうなるかは、見当もつかない。


「彼女なら大丈夫ですよ」


 だからこそ、オリビアの見立ては無責任に聞こえた。


「あんたはシルビアに、どれだけ想われてるか分かってないから、そんなことが言えんのよ。昨日、何があったか忘れた?」


 酒場で、ルドヴィカは保身のためにオリビアを捨てたと仄めかした。


 その結果、シルビアは怒り狂った。


「あいつが本気で私を殺そうとしたのは、あれが初めてよ。三年前も閲兵式も、あいつは右手を使わなかったもの」


 喧嘩は初めてではない。

 シルビアは気が荒いし、ルドヴィカも別に温厚ではない。

 だから口論は当然、手が出たことだって何度もある。彼女には喧嘩も教えたようなものだ。

 しかし、どんな喧嘩だろうと、シルビアは決して異能を使わなかった。


「それに、目を見れば分かるわ」


 喧嘩相手のそれではない。

 ある意味ルドヴィカが最も慣れ親しんだ目。

 あの夜、シルビアの目に映っていたのは、殺意だった。


「シルビアは自分のためじゃなくて、あんたのためにあそこまでキレたのよ」


 真実を知れば、今度はその怒りが、彼女自身に向くことになる。


「では、その私はどうなのですか」


 唐突な質問に、ルドヴィカは改めてオリビアを見た。


「あなたはシルビアを苦しめまいとして話さずにいるのでしょう? では、私のことはどう思っているのですか?」


 虚を突かれた。

 それでも答えようとして、しかし答えがないことに、口を開いてから気づいた。


「……あんたには感謝してるわ。この3年、よく黙っていてくれたわね」



「いい加減にしてください!」



 卓子テーブルが激しく叩かれる。

 酒場中に響いたその音は、オリビアの激情が発露した音だった。


「あなたを憎むシルビアを見るたびに、恨み言を聞かされるたびに、私がどれだけ苦しんだと思っているのですか! 本当は違うと言いたくなって、何度我慢したと思っているのです!」


 彼女の目からは雫が飛んでいた。


「話せばシルビアが苦しむと言いましたね。ですが、話さなければ私が苦しみます。だからすべて話します。もうこれ以上、意味もなくいがみ合うあなたたちを見ていられません」


「やめなさい、オリビア」


「嫌です。もう昔とは違います。あなたの言うことは聞きません」


 すぐに落ち着きを取り戻したオリビアは、冷ややかに言った。


「明日の正午、彼女をここに連れてきます。あなたが来なければ、私が話します」


「そんな残酷な真似、あんたには出来ないでしょ」


 ルドヴィカが睨んでも、オリビアは眉一つ動かさない。


「私が口だけの女でないことは、あなたも知っているでしょう」


 オリビアは席を立ち、酒場を出ていく。



 1人残されたルドヴィカは、皿の肉が冷めていくのを、ただ黙って見つめていた。

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