第34話 愛憎#2

 決定的なその一言は、シルビアの胸に突き刺さって、深く抉った。


「……何言ってんだ、お前」


 辛うじて、否定することだけはできた。


 昨晩、消し去ったはずの思いが蘇る。

 

 何故、ルドヴィカを案じるのか。

 何故、彼女が変わったと思ったのか。


 それは、まだルドヴィカに情が残っているから。


「あの女はクズだ」


 それをはねのけようと、シルビアは吐き捨てた。


「だいたい、何でお前は腹が立たねぇんだ。あいつの保身のために捨てられたんだぞ」


 シルビア以上に残酷な理由だった。


 身勝手で理不尽な理由を聞かされて、本人はどう思ったのだろう。

 怒鳴ったのは聞こえたが、その後は頭に血が上っていて分からなかった。


「……ルドヴィカがそう決めたなら、私は従うまでです」


「おい、勘弁しろ」


 オリビアが何を思っているのかは知らないが、その答えだけは間違っている。


「それよりもあなたです。実際、ルドヴィカのことをどう思っているのですか?」


「だから言ってるだろうが、あいつは殺す。何度も言わせんな」


 しつこく訊いてくる彼女に、改めて恨みを口にする。


「えぇ、そう思っているのは本当でしょう。殺すという言葉も本気だと思います。ですがそれ以上に、あなたはルドヴィカを愛しています。少なくとも、私の目にはそう映っていますよ」


 それっきり、オリビアは黙った。


 消し去った答えは蘇ったままだ。

 それが面白くなくて、舌を打つ。


 まだルドヴィカに、情が――愛情が残っている。

 だから必死になった。

 だから彼女が変わった理由を考えた。


 だが、受け入れるわけにはいかない。

 こんな甘い感情は、さっさと捨てなければいけないのだ。


 彼女とは何もかも終わった。

 育ててくれたことには恩を感じているが、もう他人だ。すべて過去のことだ。



 卓子テーブルを見つめる、そんなシルビアの視界が翳った。

 見上げると、今は会いたくない女がいた。


「捜したわよ。ここにいたのね」


 療養しているはずが、何故か完全武装のルドヴィカは2人を交互に見やる。

 シルビアは心を揺さぶられたが、悟られぬよう必死に押し隠した。


「何の用だ」


 つい語気が強まる。


「礼を言いに来たのよ。あんたたちのおかげで私は生き延びた。ありがと」


「どういたしまして。まだ安静にと言ったはずですが」


 ルドヴィカの鎧姿を見て、オリビアが言った。


「戦争が終わってないのに、いつまでもケガ人じゃいられないでしょ。それに、働きたくともモニカが許してくれないしね。あんたの許可がないとダメだって」


「まだ許可は出せません。しばらくは大人しくしていてください」


 オリビアに笑顔で拒まれたルドヴィカは「だと思った」と返して、シルビアを見やった。


「モニカから聞いたわ。あんたが戦線の拠点を突き止めたそうね。お手柄だったわね。本当、よくやったわ」


「……別に、仕事しただけだ」


 いそいそと席を立つ。


「どこへ行くのですか?」


 オリビアには答えず、シルビアはさっさと酒場を出た。

 そうしたのは、ルドヴィカに褒められて、喜んだ自分がいたからだ。


 仇敵であるはずの女から。


「クソ!」


 苛立ちの原因ははっきりしている。


 ルドヴィカへの愛だ。


 母親としての彼女を愛し、欲している。必要とされたがっている。

 シルビアはそんな感情に蓋をして、心の底へと押し込んだ。


 だがすぐに、隙間ができて、蓋が開いて、胸に広がってしまう。


「何で消えねぇんだよ……」


 何度も蓋をしては開きを繰り返しているうちに、うんざりしてきた。

 いくら潰しても湧いてくる虫と戦っている気分だった。

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