第31話 夜襲#1

 軍の宿舎を出てしばらく経った頃、大通りの方がにわかに騒がしくなった。

 リエト軍の本隊が、戦線と衝突したのだ。


「始まったわね」


 シルビアとともに先頭を行くモニカが音の方角を見やって、緊張を孕んだ声で言った。


 彼らが戦っている間に、自分たちは戦線の本陣である大聖堂を攻撃する。

 斥候によると、聖堂広場には負傷兵が集められていて、動ける兵は100から150程度だろうという話だった。オリビアらしき姿は見えなかったというが、きっと大聖堂にいるのだろう。

 対して、こっちは40人。それもルドヴィカを守るために宿舎に5人残してきたから、実際は35人しかいない。

 戦力差は数倍。いくら不意を突くつもりとはいえ、心許ない人数だ。


 だが、リュミエールの不死鳥は最高の士気を保っていた。

 我らが団長を助けるため、という目的もあるが、何より、彼らが彼ら自身の強さを疑っていないのだ。


 己の剣と腕のみを信じろ。


 それがルドヴィカの信条で、シルビアも含めてこの場にいる全員が忠実に守っている。

 そんな彼らの、シルビアに対する感情は二分されていた。


 好意と敵意。


 前者はシルビアが幼い頃から知っている、古参の傭兵たち。

 後者はシルビアが名前すら知らないような、新参の傭兵たちだ。


 この差は信頼の差だと思えた。


 3年前からシルビアは復讐を誓い、ルドヴィカを殺そうとしている。今日の閲兵式では実際に事を起こした。

 それだけのことをしたのだから、受け入れるしかない。


 ――それに、どうせ組むのは今夜限りだ。


 そう思うと、向けられる視線も気にならなくなった。


「ねぇ、シルビア」


 隣のモニカが口を開いた。


「あの夜を覚えてる? あなたが森で迷って、一晩いなくなった夜。あの日も、こんな夜空だったわよね」


「覚えてるよ。忘れるわけがねぇ」



 あれは確か、シルビアが8歳とか、それくらいの頃だ。


 森で野営していたとき、シルビアは勝手に出歩いて迷った。何故出歩いたのかは忘れた。

 夜の森は何度か経験しており慣れていた。だが、それはルドヴィカがいたからだ。

 それを当時の自分は、1人でも歩けると思いあがった。

 あちこち歩いているうちに、今の自分がどこにいるかも分からなくなった。


 風が枝葉を揺らし、獣が遠吠えを上げる。


 暗闇と孤独を前に、そのとき持っていた剣への信頼は簡単に崩れた。

 胸を潰さんばかりの恐怖を感じながら、子供ながらに死を覚悟した。涙すら出なかった。


 気づいたら夜が明けていて、目の前にモニカが立っていた。あれ以上の安堵を味わうことは二度とないだろう。


 野営地に戻るなり、シルビアはルドヴィカに殴り飛ばされて、怒鳴りつけられた。

 今まで、彼女には散々殴られたが、あのときが最も激しかった。


 そして、最後には抱きしめられた。


 シルビアは、自分の頬に自分のではない涙が流れるのを感じた。

 あの温かさは今でも覚えている。


 あの頃は、確かに愛されていたのだ。


 今になって振り返ってみると、自分でもどうしようもないクソガキだったと思うが、ルドヴィカは決して見捨てなかった。


 彼女はいつから変わってしまったのだろう。

 あんな性格だから、愛情やらを表に出すような性質タチでないのは知っている。

 だからこそ、あの一件で愛されていると実感できたのだ。

 あるいはそうだと分かっていたからこそ、彼女の変化に気づけなかったのかもしれない。


 そこで、はたと気づいた。


 ――何で、あたしはこんなこと考えてるんだ?


 ルドヴィカは自分たちを捨てた。


 だから憎い。

 だから殺す。


 彼女がいつ変わったかなど関係ない。

 それなのに、こんな疑問を抱くのは何故だ?


 これではまるで……。


「シルビア? 聞いてる?」


 モニカの声で、シルビアは現実に引き戻された。


「あ、あぁ。それで?」


「あなたが怒るのは当然よ。でも、ルドヴィカはあなたを愛してるわ。もちろん、オリビアのこともね」


「愛してた、だ。今は違う。あたしが役立たずと分かったときからな」


「そんなこと」


「じゃあ何で、あいつはあたしらを捨てたんだ」


 愛しているなら。

 情があったなら。


 何故、役立たずというだけで捨てた?

 何故、恨まれるからと捨てた?


「それは……」


 モニカは言葉を詰まらせる。

 それを見て、シルビアは鼻を鳴らした。


「これが片づいてヒルダが死んだら、ルドヴィカを殺す」


 モニカとは戦いたくない。

 だが、リュミエールの不死鳥として、ルドヴィカの相棒として、彼女がシルビアの復讐を黙って見過ごすはずがない。


 そうなったら、互いに望まぬ殺し合いが起きる。

 そんな結末は嫌だ。シルビアだって、出来れば避けたい。


 だが、それ以上にあの女が許せなくなった。

 シルビアを戦力外として捨てたのは、まだ理解できる。

 だが、オリビアには何の非もないではないか。

 あったのは、ルドヴィカの身勝手な都合だけだ。


「あなたには殺せない」


 モニカは、いやに自信たっぷりに言った。

 シルビアは反論しようとして、聖堂広場が見えて一度黙った。


「あたしが勝てないから、殺せないってのか?」


 声を潜め、改めて口を開く。

 悔しいが、それは認めざるを得なかった。


「そうじゃないわ。たとえあなたの方が強くても、あなたはルドヴィカを殺せない」


 モニカも同じように、小声で断言してきた。


「何でそう思う?」


「見れば分かるわ。あなたは気づいていないでしょうけど」


 そう言って、彼女は優しく微笑んだ。

 意味が分からないと首を振り、広場の様子を観察する。

 松明が所々に灯され、斥候の情報通りに負傷兵が横たわっている。その治療に、動ける連中が行き来している。


「皆、準備はいい?」


 そう問うたモニカに、全員が頷いた。

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