第30話 神がいない街#3
「君がオリビアか! 会えてうれしいよ!」
いきなり現れた見知らぬ男は、歓迎するように両手を広げる。
「あぁ失礼、すまないが少し外してくれないか?」
「もちろん、ごゆっくり」
それまで話していた男は外に出ていって、見知らぬ男と2人きりになる。
歳は40くらいだ。中肉中背で、黒髪と髭はよく整えられている。身体つきや身のこなしは、戦闘職のそれからは程遠い。
黒の燕尾服をきっちりと着こなしている様は貴族のようだし、実際にそうなのかもしれない。
「もしかして、あなたがジェラルドですか?」
「そうだ。初めまして、オリビア。自分の娘にこんな挨拶をするとは何とも妙だな」
ジェラルドは笑みを浮かべながら、自然な動作で手を差し出してくる。
娘という言葉が引っ掛かったオリビアだが、彼の友好的な雰囲気に呑まれて、思わず握手を交わしてしまった。
「娘、というのは?」
「そのままの意味だ。私は、君とシルビアの実の父親だよ」
それを信じられず、オリビアは驚くよりも困惑する。
その反応は表に出ていたのか、ジェラルドは苦笑した。
「信じられないのはお互い様だよ。私も、ユリアはとっくに覚悟を決めていたものだと思っていたからね」
ジェラルドは愛おしそうに、オリビアの頬をそっと撫でた。
「君は分からないだろうが、この顔……。彼女にそっくりだ」
「ということは、そのユリアという女性が、私たちの――」
「そう、母親だ。彼女は亡くなった」
次に彼女の行方を訊こうとしたが、その前に答えを言われた。
「では訊きたいのですが、異能とは一体何なのですか? ヒルダの話からするに、私たちを欲しがっている仲間というのはあなたのことでしょう? それは何故ですか?」
「1つずつ話そう。そもそも異能とは何のことだ?」
「この力です」
オリビアは左の袖をまくって、炎模様の痣を見せた。
「なるほど、君たちはそう呼んでいるのか。まず最初に言っておきたいのは、その異能は自然に生まれたのものではない。私とユリアが開発したものだ」
やはり、異能は人為的に作られたものだった。
予想していた答えを、オリビアは冷静に、しかし重く受け止める。
「何故です? ユリアが亡くなったことも関係が?」
オリビアは溢れ出る疑問を次々に尋ねた。
長年求めていた答えを、目の前の男が握っている。
そう思うと、我慢などできるはずもなかった。
「……もう20年近く前になるが、私とユリアはリエト軍で、ある研究をしていた。その過程で、異能を偶然発見したんだ」
膝に肘をついて、両の指を絡ませて、ジェラルドは落ち着いた口調で語り出した。
「それを知ったリエト皇帝は実用化の勅令を極秘に出した。難航したが、背けば命はない。我々は必死だった。ユリアに至っては、ついに自分自身を実験台にするほどだったよ。私は止めたんだがね」
ジェラルドは当時を懐かしむように笑った。
「狂っていると思うだろう? あの頃は追い詰められていたせいもあるが、何より興奮していたんだ。未知の概念を形にして世に送り出せるなら、命をも投げ出す覚悟だった。そうして、異能は完成した」
完成したなら何故、未だに研究しているのか。
その疑問は口にしなかった。
ジェラルドの顔に暗雲がかかってきたからだ。
「異能はとてつもない威力を秘めていた。触れた人間は血煙と化し、死人が蘇ったんだ」
「死人が、ですか?」
彼の誇張だと思いたかった。
自然の摂理に反している。
手を離れた物が地面に落ちるように、死んだ生物は二度と息をしない。
それを覆したなら、もう人の業ではない。神の御業だ。
「ユリアはこの力が世界を滅ぼすと考え、葬ろうと言った。私は反対したよ。勅令に逆らうことになるし、期待していたんだ。この力がもたらす可能性にね。我々は世界を変える力を手にしたんだ」
ジェラルドの声には、だんだんと熱がこもってきた。
「金やら名声などどうでもよかった。私の目的は未来だ。異能がもたらす変革だ」
「その未来のために、ユリアを殺したのですか」
オリビアは怒りに突き動かされそうになったが、何とか踏みとどまった。
「いいや、殺してはいない。彼女は自分ごと研究所を焼き払ったんだ。君たちを授かったと知ったのは、その直前だった。だから一緒に焼けたものだと、私はずっと思っていたんだ」
彼の目には一転して、悲しみが浮かんでいる。
それは彼女を失ったせいか、未来を失ったせいか。オリビアには分かりかねた。
「ユリア亡き後、私は研究の再開を命じられた。研究所が焼けて資料も記録も失われたから、実際はやり直しだよ。やがて黒竜戦争が終わり、リエトは財政難に陥った。成果が上がらない私の研究は真っ先に切られてしまった」
「それでも研究を続けたかったのは分かりますが、何故戦線にいるのですか?」
「研究には資金が必要だ。彼らはその金を出すと言った。代わりに成果をよこせ、ともね。それだけの関係だ。私は、彼らの思想にはまったく興味がない」
「別の出資者はいなかったのですか?」
金が要るにしても、もっとマシな相手がいただろう。
「こんな怪しい研究に金を出す者などいないよ」
ジェラルドは自嘲の笑みを浮かべた。
「ではヒルダがいるにも関わらず、私たちを必要とする理由は何ですか?」
ヒルダが異能を手にしているということは、それは研究が完成しているということではないのか。しかも、彼女は自分たちよりもさらに強力な異能を持っている。
それでもなお、自分たち双子を欲するのはなぜか?
父親としての情、という答えを、オリビアはわずかに期待して尋ねた。
「研究は1000回実験したら、1000回成功しなければ完成とは言えない。ヒルダは1000分の1の成功を、運よく引き当てただけだ。正直言うと、今の研究は行き詰まっていてね。だから
話は終わったと、ジェラルドは立ち上がった。
「これからの安全は保障する。奴隷のような扱いはしないし、戦線にもさせない。それは約束しよう。では、私の研究所に行こうか」
部屋を出ると、外で待っていた男が後ろに続いた。
「そうだ、オリビア。君は確か医者だとか」
「はい、そうです」
「なら、きっと私とも話が合うはずだ。戦線の連中はいい奴らばかりだが、いかんせん学がなくてね。話が合わずに寂しい思いをしているんだ」
男に振り返ると、彼は言った通りだろ、と目で応えてきた。
「1つ尋ねてもいいですか?」
大聖堂から広場に出たところで、オリビアに好奇心からの疑問が湧きあがった。
「あなたは、とある研究の過程で偶然、異能を見つけたと言いましたね?」
「そうだ」
「では、元々は何の研究をしていたのですか?」
世界を変える力を見つけた彼らは、本来は別の研究をしていた。
それは、いったい何だったのだろう?
「私は――」
ジェラルドの答えをかき消すように、広場を揺らすほどの雄叫びが響いた。
「敵襲だ!」
誰かが叫ぶと同時に、あちこちで戦闘が繰り広げられる。
オリビアはそちらに気を取られた男の足を払い、剣を奪った。
「クソッ」
男はすぐに立ち上がるが、その前にオリビアは剣を向けている。
「まさか、あんたが人を斬るわけないよな?」
「いいえ、私は傭兵ですよ」
戦場で平和主義が通用しないことくらい、オリビアにも分かっている。
「ですが、あなたのことは斬りたくありません。今すぐ逃げてください」
だが少しでも平和に解決できる可能性があるなら、迷わず賭ける。
男はジェラルドとオリビアを交互に見て、踵を返して走り去っていった。
「待て、オリビア!」
オリビアも去ろうとして、ジェラルドが手を伸ばしてきた。
「頼むから、私と来てくれ! 研究次第では、その異能をもっと強化することもできるんだぞ!」
「あなたこそ、私と来てください」
オリビアは振り返って言った。
「私は研究に協力します。ですが、戦線の元でではありません」
研究が完成すれば、もっと多くの命が救われるだろう。
しかし戦線の元では、そんな未来は絶対に訪れない。
「戦線を去れと言うのか? そんなことをしたら、研究を続けられなくなってしまう」
「お金の問題はきっと解決できます。一緒に出資者を探しましょう」
ジェラルドは動かない。
「……来る気にはなれませんか」
オリビアは動かねばならない。
「分かってくれ、オリビア。戦線から去れば、研究は潰れてしまう。金を出してくれるのは彼らしかいないんだ」
彼の目には、再び研究を失う恐怖だけが浮かんでいた。
その恐怖を拭ってやる時間は、今のオリビアにはない。
「……また会いましょう、ジェラルド」
彼への思いを振り切って、オリビアは目の前の戦場へ飛び込んだ。
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