第29話 神がいない街#2

「ヒルダ」


 そこに男がやってくる。


「たった今、本隊がリエト人と接敵したと報告があった」


 それを聞いた彼女は、オリビアに不敵に笑ってみせた。


「私もすぐに行く。動ける兵士たちを集めろ。――お前はジェラルドが来るまで、ここで【聖女】を見張っていろ。くれぐれも傷をつけるなよ」


 ヒルダが急いで出ていくと、部屋にはオリビアと、ここまで同行してきた男だけが残った。過去にオリビアに治されたという話をしていた彼だ。


「ジェラルドとは誰ですか?」


 彼なら答えてくれるかもと、オリビアは問う。


「ヒルダと何かの研究をしてる奴だ」


「どんな研究ですか?」


「さぁな。たまに聞かされるが、何言ってんだかさっぱりだ」


 肩を竦めた男は、オリビアを改めて見つめた。


「そういや、あんたに聞きたいと思ってたんだ。何でここにいる?」


「あなたたちに連れてこられたからです」


 男は椅子を取って「そうじゃねぇよ」と目の前に座った。


「俺はあんたに治されたのは8年前、ヴァルタの街でだ。その時の俺は避難民で、背中をリエト兵に斬られてた」


 オリビアは記憶を探ったが、出てこない。

 それを詫びると、男は「無理もねぇよ」と鷹揚に笑った。


「とにかく、そこに偶然、あんたが通りかかった。あんたは何も事情を訊かず、俺の背中を触って治した。そして立ち去った。金も、何の礼も求めずに」


「私は医者ですから。当然のことをしたまでです」


 いつものようにそう返すと、男は「分からねぇのはそこだ」と言った。


「金儲けしないなら、何で傭兵なんかやってる? あの頃はリュミエールの不死鳥にいたらしいが、今は独立したって聞いた。ただ人助けがしたいなら、町医者にでもなった方が安全だろ。どうして戦場を離れない?」


 いくら前線に出ないとはいえ、彼の言うように戦場は危険な場所だ。


「それとも、妹のためか?」


「はい、それも理由の1つです」


 オリビアが戦場にいるのは、ある信念があるからだ。


「私は戦争が嫌いです」


 傭兵という商売とは矛盾した本心を、オリビアは吐いた。


「戦争はこの世で最も残酷な行為です。今すぐにでも無くなるべきです」


 誰も争わない、血が流れない世界。

 恐らくそれは、誰もが望んでいる世界だろう。


「私は、リュミエールの不死鳥で育ちました。彼らと戦場を巡るうちに、いかに世の中に戦争が溢れているかを思い知らされました」


 当時、まだ幼かったオリビアはそんな世界を拒み、呪った。

 シルビアは傭兵になる運命を受け入れていたが、自分には無理だった。


「やがて私は、人間は戦争をやめられないと悟りました。本当の平和など永遠に訪れず、これからも犠牲が生まれ続けると」


 だからと諦めなかった。


「私には、その犠牲を少しでも減らす力があります。だから戦場にいるのです」


 オリビアにとっては、戦死者を1人でも減らすことこそが、戦争に抗う唯一の手段なのだ。


「……なるほどな。あんたは本物の【聖女】ってわけか」


「あなたこそ、何故ここにいるのですか? 本当にアルカハルを再興できると、ヒルダのように信じているのですか?」


 男はまさかと首を横に振った。祖国や愛国心というものに微塵も執着を感じない、軽々しい動作だった。


「俺がここにいるのは復讐のためだ。リエト人は俺の家族を殺し、住んでいた村を焼き払った。故郷を失うことがどういうことか、傭兵団で育ったあんたには分からねぇだろ」


「確かに、理解できません。ですが命を捨ててまで為すことなど、この世にはありませんよ」


「仇を討つのは違う。いざ死ぬときはリエトの連中を1人でも多く道連れにするつもりだ」


 男の目には、今までにも見たことのある意志があった。

 負傷を押して、戦に復帰しようとする兵士の目だ。

 

 何としても戦う。

 決して屈しない。


 男の目に宿っていたのは、そういう光だった。



 彼にかける言葉を探していると、いきなり部屋の扉が開いた。

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