第19話 望まぬ一夜#1
夜の酒場は、1日の間で最も賑わう。
仕事を終えた人々が集い、飯を食い、酒を飲み、話に花を咲かす。
そうやって今日を労い、明日に備えるのだ。
特に今夜は、ヴェルピアの住民に加えて傭兵もいる。戦争が始まれば好きに酒など飲めないので、戦を明日に控えしばしの別れを告げているのだろう。
そんな騒がしい空間へ、シルビアは静かに足を踏み入れた。
焼けた肉の匂いや煙草の煙、乾杯の音に歓談の声。
3年前に見た祝勝会のような光景が、目の前には広がっている。
あのときより客は多く、騒がしさも増している。何より当時はいなかった給仕が、今はせわしなく動き回っている。
「おーい、追加で
喧噪に負けぬよう、怒号に近い声で注文が飛んでいる。
こうした酒場の雰囲気は、どんな街でも変わらないものだ。
満員の店内をざっと見回す。
多くの客がひしめく中でも、シルビアにはすぐにルドヴィカを見つけられる自信があった。
どんなに恨めしくても、やはりあの女は自分たちの親代わりなのだ。
「……あそこか」
店の最奥にその姿を認めて、後ろのオリビアに視線を送る。
通路は椅子で塞がれていて通るのがやっとだ。ほとんどすり抜けるように隙間を塗っていく。下げている剣が客にぶつかって「おい」と文句を付けられた。
しかし、シルビアはそんな彼には見向きもしなかった。
見つめる先にはただ1人。
ルドヴィカの背中が近づくにつれて、自然と拳が握られる。
理由は彼女への怒り、それに……。
――それに、何だ?
そこでシルビアは、自分が怒り以外の感情を抱いていることに気づいた。
腹の底から取り出して確かめてみると、それは恐れという名前だった。
怖かった。
また認めてもらえないことが。
閲兵式で向けられたあの失望が。
――しっかりしろ。
自分の太腿を拳で叩く。
何を恐れている。
リュミエールの不死鳥には戻らないのだから、ルドヴィカにどう思われようが関係ない。
自信を持て。
堂々と胸を張れ。
顔を上げて、前を見据える。
ルドヴィカたちは、店の最奥の席ほとんどに陣取っていた。
知った顔があちこちに見えるので、恐らく傭兵団の全員が参加しているのだろう。
彼らもシルビアの存在に気づいていて、隣の席へ耳打ちし、さらに隣へと続き、ルドヴィカのそばまで来た頃には、全員の注目を浴びていた。
会話は止んでいて、張りつめた空気が漂っている。周囲が賑やかな分、余計にそう感じた。
「あんたはクビにしたはずだけど?」
「あたしも、お前の下でなんか働きたくねぇよ」
「あっそ。じゃ何でまだいんの?」
「お前を殺すために決まってんだろ」
そう言った瞬間、半数ほどが椅子を倒して立ち上がった。そのうちの数人は剣を抜きかけている。
周囲の客たちは、そこで初めてこの異変に気づいたようだった。
酒場が、沈黙と緊張に包まれる。
にわかに視線が集まる。
傭兵には荒くれ者が多い。シルビアもその1人だ。
そんな奴らが集まって、しかも酒まで入れば、喧嘩など起きない方が珍しい。
周囲は巻き込まれないよう、予兆を敏感に感じ取り、自分の身を守ろうとする。
といっても、普通はここまで緊張しない。自身が巻き込まれない限りは、どんな喧嘩も娯楽でしかないからだ。だからこそ周囲は酒を片手に煽り、囃し立てる。
今夜そうならないのは、シルビアとルドヴィカだからだ。2人には確執がある。
リエト傭兵の間では周知の事実だし、今日の閲兵式では事を起こしている。
その事情を知らぬヴェルピアの住民たちも、ただならぬ雰囲気に固唾を呑んで様子を見守っている。
ルドヴィカはたっぷりと間を置いてから、殺気立つ部下たちを座らせた。
「モニカから聞いたわ。傷の具合はどう?」
「おかげさまで、この通り掠り傷で済んだ」
両手を広げて、シルビアはおどけて笑った。
そうでもしないと、剣を抜いてしまいそうだった。
「そ。ならよかったわ」
言葉とは裏腹に、どうでもよさそうな口調だった。
「今夜はその件で来た」
ルドヴィカがこのまま、無難に話を終わらせようとしているように見えて、シルビアはさっさと本題に入ることにした。
「あの女が何者か教えろ」
「女?」
「あたしらを襲った傭兵だ。モニカから聞いてんだろ」
ルドヴィカの金色の瞳が、あぁ、というように動いた。
「あんたには関係ないわ」
「でも、約束には関係あるんだろ?」
ルドヴィカは、隣に座っていたモニカを睨む。
「それも話したの?」
「えぇ、知りたがっていたから」
ルドヴィカの苛立ちを、モニカは涼しい顔で受け流す。
その態度に溜息をついたルドヴィカは、シルビアに視線を戻した。
「そうよ。私は約束を果たさなきゃなんないの」
「そいつは何だよ。誰とした約束だ?」
「それこそ、あんたには関係ないことよ」
これ以上話すことなどないと言わんばかりに、ルドヴィカは
「あなたが何を隠していようと、私たちが彼女を見つければ、すべて明らかになりますよ」
それまで黙っていたオリビアが口を開くと、ルドヴィカは
「で、知ってどうすんのよ。殺すの?」
「それ以外にあるか? あたしらも、商売がやりにくくなっちゃ困るんだよ」
ルドヴィカは鼻で笑った。
「あんたに
嘲りに、頭の芯が火を付けられたように熱くなった。
咄嗟に腰の剣に手を伸ばすと、後ろから誰かに掴まれた。
振り返ると、オリビアは落ち着けと首を横に振ってくる。
彼女の言う通りだ。
我慢しろ。
堪えろ。
ここでキレたら、ルドヴィカの言葉を認めたことになる。
「安心しなさい。あんたが
その言葉が、何だか気に食わなかった。
「偽者のあたしに、そこまでの価値があんのかよ」
「あいつに価値はないけど、約束にはあんのよ」
ルドヴィカは
「もう消えなさい。これ以上は関わらない方がお互いのためよ」
「ちょっと、ルドヴィカ」
モニカが非難めいた声を上げるが、彼女は意に介さない。
このまま引き下がっても、教えてはくれないだろう。
今夜は諦めた方がよさそうだ。
オリビアに「帰るぞ」と言って踵を返すが、彼女はついて来なかった。
「おい――」
「シルビアに、私が去った理由を話してください」
突然、オリビアはそんなことを言った。
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