第16話 確執#1

 目が覚めると、染みの目立つ天井があった。

 シルビアは寝台ベッドに寝かされていて、負った傷には丁寧な処置がされている。


 首だけ動かして周りを見回す。

 いくつかの寝台ベッドが整然と並ぶ、広い部屋だった。リエト軍の正規兵がシルビアと同じように休んでいる。


「よかった、目を覚ましたのですね!」


 声に振り返ると、オリビアが歩いてきていた。


「あぁ、お前は無事だったのか?」


「えぇ、何もされませんでしたから。こっちを見てください」


 群青の瞳で、瞳を覗き込まれる。


「どこかおかしなところはありませんか? 痺れがあるとか……」


「平気だ。あたし、そんなにヤバかったのか?」


 軽傷だと思っていたが、オリビアの様子からはそう思えない。


「確かに傷は浅いですが、頭を打ったのですよ。何かおかしいと感じたら、すぐに言ってください」


 彼女は一安心したように息をついた。


「どこだ、ここ」


「リエト軍の宿舎です。私たちは、モニカに助けられたのです。覚えていますか?」


「……あぁ」


 唇を噛む。

 記憶はあるが、夢だと思いたかった。

 たとえ彼女だろうと、こんな時に借りなど作りたくなかった。


「今、どこにいる?」


「下で待っています。あなたと話したいそうです」


 あの涙が脳裏に浮かぶ。

 捨てられた日、モニカは泣いてシルビアに詫びた。

 だからまったく恨んでいないわけではないが、殺したいとも思わない。


「呼んでくれ」


 彼女への思いは曖昧だが、だからといって逃げているわけにもいかない。

 それに、訊きたいことだって山ほどある。


 頷いたオリビアが部屋を出ていってから、しばらくして兜を携えた女騎士が入ってきた。



 肩で揃った純白の髪。


 血に汚れた、しかし艶やかな黒鎧。


 男に劣らぬ長身と、女も惚れる美貌。



 3年前から変わっていない。

 何もかも、記憶のままだ。


「モニカ」


 リュミエールの不死鳥の1人で、ルドヴィカの相棒。

 その名前を、シルビアは自分でも意外なほど冷静に呼べた。


「久しぶりね、シルビア」


 モニカは3年の空白を感じさせない気軽さで挨拶してくる。


「オリビアは?」


「外してもらったわ。あなたとは2人きりで話したかったから」


 そう言って彼女は、隣の寝台ベッドに腰を下ろした。鎧の重みで寝台ベッドが軋み、短い悲鳴を上げる。


「大きくなったわね。その夜会服ドレスもまだ着てくれてるんだ」


 シルビアが身につけているそれを指して、モニカは頬を緩ませる。

 その言葉が不意に胸に刺さって、シルビアは慌てて返事を探した。


「変える理由もねぇしな」


 シルビアの成長に合わせて、オリビアが裾に黒い布を足して、丈を伸ばしてくれていた。


「ふぅん?」


 モニカは赤い眼でシルビアを見つめてくる。心を読まれているような気がした。


「それに赤はいい。血の色が目立たなくて済む」


 適当な答えを重ねると、モニカはまぁいいか、といった感じで見つめるのをやめた。


「それで、話って?」


 この話題は何となく嫌で、シルビアは本題を促す。


「戦線がヴェルピアに到着したわ」


「早ぇな」


 街の門番は明日だと言っていた。


「強行軍だったんでしょうね」


「じゃあ、もう始まってるのか?」


「戦は明日からよ。もう陽が暮れるもの」


 モニカにつられて窓の外を見ると、すでに陽は傾いて、西が赤く染まっていた。

 思ったより長い時間、眠っていたらしい。


「戦線は、街の北側に夜営を張ったわ」


「数は?」


「およそ1000だそうよ」


 耳を疑った。


 対して、こっちは2000人いる。しかも籠城している側だ。

 ヴェルピアの街は大きいし、防壁だって堅牢だ。リエトでさえ、黒竜戦争の際にはこの街を攻め落とすためだけに7000人を投入したのだ。

 たった1000人では陥落どころか、侵入すら叶わないだろう。連中はどうやって攻めるつもりなのか。


 そこまで考えて、シルビアは思考を断ち切った。


 自分はルドヴィカにクビにされたのだ。

 契約が消えた今、この街がどうなろうが関係ない。


「あの女はどうなった?」


 それよりも、シルビアが気にすべきはこっちの件だ。


「逃げられたわ。彼女以外は全員死んだから、話も聞けなかった」


「そうか」


「あら、言うことはそれだけ?」


「助太刀どうも」


 苛立ちを添えて、彼女の望む言葉を送ってやる。


「だいたい、何であそこに来たんだよ」


 狭い路地で、目立つ場所でもなかったはずだ。


「あなたと話がしたかったから、追いかけてきたのよ。そうしたら、あの騒ぎが聞こえたから。本当はルドヴィカも連れてくればよかったんだけど……あの後じゃ、ね」


 閲兵式での一件を指して、モニカは笑った。子供の可愛らしいイタズラを見たときのような反応だった。


「シルビアも、彼女を追ってヴェルピアに来たの?」


 頷こうとして、モニカの言葉に引っかかった。


「も、って何だよ。あたし以外に誰が追ってんだ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る