第11話 聖なる姉#3

 大聖堂の中は、本来あるべき静謐さは欠片もなかった。

 老若男女が身を寄せ合って、怯え、悲しみ、苦しんでいる。会話はほとんどなく、彼らを励まし、慰める声がするだけだ。

 堂内の熱気には血の臭いや腐臭が混じっていて、戦場の野戦病院を思わせた。

 

 入口の正面奥には噴水に飾ってあったのと同じ女神像が祀られた祭壇があって、そこまで一直線に、長い赤の絨毯が敷かれている。

 普通はその左右に、教徒が礼拝に来たときに座る長椅子か何かがあるものだが、避難民の受け入れに邪魔となるせいか、今は撤去されているようだった。


「では、こちらの方からお願いします」


 後は任せたと言わんばかりに薬と治療具を渡した修道女は、さっさと自分の仕事に戻っていってしまった。


 最初の患者は青年だ。左腕の包帯は自分で巻いたのか不格好で、血が滲んでいる。

 オリビアは慣れた手つきで準備を進める傍ら、青年を気遣い、寄り添うような優しい言葉をかけている。こうして、患者との信頼を短時間で築いていくらしい。


「――では、その刺青タトゥーは奥様とお揃いで入れたのですか? 素敵ですね」


 青年の手の甲には、彼に似合わぬ花を象った刺青タトゥーがあった。


「これは違うよ。大聖堂の印章だ。彫ったんじゃなくて、判子で押されたんだ」


 そう言われてシルビアが堂内を探してみると、所々に同じ花の印章があった。


「何でそんなもん」


「それは、言いにくいんだが……」


 シルビアの疑問に、青年は周囲を気にして声を潜める。


「言いにくいんだが、大聖堂は布施の多い教区の住民しか受け入れていないそうだ。布施をしていなかった人たちには、麺麭パン1つ渡さないらしい」


「ひでぇ話だな」


 聖職者は神だの信仰だのと言うが、結局は金ということか。


 だから信じる気にならないのだと、シルビアは鼻を鳴らす。

 それに、傭兵が信じるべきは神ではなく剣――ルドヴィカからも、そう教えられて育った。


 オリビアも同じだ。

 見た目こそ尼僧だが、信仰心は欠片もない。傷病人を救うのは神ではなく医者だと考えているからだ。


「シルビア」


 青年の傷口の膿を取り除いていたオリビアが、顔を上げずに呼んだ。

 応えると、彼女は生唾を飲み込んで、黙って彼の傷を示した。


 オリビアの肩越しに傷口を見る。


「――こいつは」


 目にした途端、シルビアは硬直した。



「いや……ありえねぇだろ……」



 皮膚が破れて、穴が空いたようになっている。



 まるで、そこから何かが飛び出したような。




 例えば、血が。



 

「誰に触られた?」


「え?」


「この傷をつけたのは誰だ? お前は誰と戦ったんだ?」


 問い詰められた青年は、慌てて両手を振った。


「た、戦ってなんかいないよ。戦線の女に触られたんだ。ちょうど君くらいの歳だった。そうしたら、いきなり血が噴き出したんだ。突然だったから、何が何だか」


「こいつはあったか?」


 シルビアは右腕にある、炎模様の痣を見せた。


「鎧で隠れていたから分からない。何だよ、僕の傷はそんなに酷いのか?」


 シルビアたちが態度を一変させたせいで、青年は怯えたように訊いてきた。


 シルビアは答えず、ただ傷を見つめる。


 決して見間違いなどではない。



 これは、シルビアが異能を使ったときに出来る傷だ。



 この手で同じ傷を何度も負わせてきた。間違いない。

 だからこそ、意味が分からなかった。 



 シルビアは青年を襲っていないのだから。


 

 まさか、戦線の言う【魔女】は本当に……。


 ――まだ、そうと決まったわけじゃねぇだろ。


 もしかしたら、変わった武器でも使ったのかもしれない。


「僕は、治るんだよね?」


「もちろんです、安心してください。ただの傷です。……えぇ、ただの傷です」


 自らにそう言い聞かせるオリビアは、左手で傷に触れる。


 傷口は一瞬で塞がって、痕だけを残して消えていく。

 シルビアにとっては見慣れた光景だ。


 しかし、ここにいる避難民たちは違う。


「その手……噂で聞いたことがあるぞ。もしかして君が【聖女】か?」


「一部の人は、そう呼んでいるそうですね」


 オリビアは静かな声で、どこか他人事のように言い放つ。


 

 その言葉は暗く静まり返った大聖堂に光をもたらし、沸き立たせた。

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