第6話 星空の下#3

「もうモニカから聞いたよ」


 これ以上説教は勘弁だと、シルビアは適当に答える。


「聞いた?」


 ルドヴィカが詰め寄ってくる。


「モニカから何を聞いたの」


「だから悪かったよ。次からは気をつける」


「何を言われたの」


 頑なにそう訊いてくるルドヴィカは、どこか必死な様子だった。


「何って……あたしは無謀で、近いうちに死ぬって。それを言いに来たんだろ?」


 戸惑いながらも答えると、何故か彼女は面食らった顔をした。


「はぁ? それだけ?」


「あ、あぁ」


 一体、シルビアが何を言われたと思ったのだろう。


「それで、何だよ?」


「は?」


「話があるから、あたしを呼んだんじゃねぇのかよ」


 こっちが尋ねると、ルドヴィカは困ったように視線を彷徨わせる。


「まぁ、そうね……。表で話すわよ」


 ルドヴィカが麦酒ビールを汲んでくるのを待って、2人で外に出る。

 通りは相変わらず無人で、酒場から漏れる喧噪を除けば静かなものだった。


「今夜はいい空ね」


 ルドヴィカが言った。


「うわぁ……」


 見上げると、思わず声が漏れた。

 星々が白く輝き、それらが黒い夜空を川のように流れている。


「モニカが何を言いたかったか、あんたにも分かるでしょ」


「……あぁ」


 あのとき、2人が来てくれなければ、シルビアは死んでいた。


「ありがとよ、来てくれて」


 それを思えば、礼を言うのは当然だった。


「右手だけを当てに戦うのはやめなさい。いくら強くたって無敵じゃないんだから」


 シルビアの右手は、肌に触れるだけで相手を出血させることができる。

 しかし触れられなければ、たとえ布1枚でも間にあれば、ただの右手だ。


「もっと冷静になって周りを見ることね。あんたは功を焦ってる。別に戦に負けたって、生きてりゃそれでいいのよ」


 放たれたルドヴィカの無責任な台詞に、シルビアは「いいわけねぇだろ」と言いかけて、口を噤んだ。


 だが、何を言おうとしたのかは見抜かれたようで、ルドヴィカは優しく笑った。


「気持ちは分かるけど、勝つたびに死にかけてりゃ商売にならないでしょ」


 ルドヴィカの言うことは分かる。

 それでも、どこか引っかかってしまう。


「あんたはまだ若いのよ。私もモニカも、昔はそうだった。すべての戦に勝って、手柄を立てなきゃいけない――そんなことを考えてた頃があったわ」


 恥ずかしい過去だと、ルドヴィカは苦笑する。


「だけど何度も負けて、死にかけて……。やっと負けてもいいって気づいたのよ」


 信じられなかった。


 シルビアにとってルドヴィカは、リュミエールの不死鳥は最強なのだ。

 いつも涼しい顔で勝利を収める彼女に、敗北という言葉は似合わない。


「何驚いた顔してんのよ。言っとくけどね、私だって最初から名が売れてたわけじゃないわ」


 ルドヴィカは笑みをしまい、真面目な顔で続ける。


「傭兵にとって、勝利の逆は死よ。そして戦場じゃ、感情に呑まれた奴から死んでいく」


 興奮に浮かされた、今日のシルビアのように。


「この商売で長生きしたいなら、戦争に感情を持ち込まないことね。だから私は、誰かが死んでも復讐したことはないでしょ」


 復讐は、怒りを招く。

 怒りは、誤断を招く。

 誤断は、死を招く。


「あんたはいつか独立して、自分の傭兵団を持つかもしれない。そうしたら、そいつらの命も背負うことになんのよ。だから周りがいくら熱かろうと、常に冷めていなさい。それで冷酷だとか言われても、仲間を死なせるよりマシだわ」


 実感がこもっているように聞こえたのは、彼女にも経験があるからだろうか。


 シルビアが知らないだけで、きっとそうだ。


 自分が熱くなったせいで、仲間を失ったことがあるのだろう。

 それを糧にして、今の言葉を実践しているに違いない。



「まぁ、今日はよくやったわ」


 頭をくしゃくしゃと撫でられて、シルビアはルドヴィカを見上げた。


「ヴィエスラスをよく討ったわね。大したもんよ」


 最も望んでいた相手に、望んでいた言葉をかけられて、シルビアは顔を輝かさずにはいられない。


「でも、何で来てくれなかったんだよ」


 ルドヴィカはあの状況に気づいていたはずだ。

 にもかかわらず、助けに来なかった理由が分からない。

 それが一抹の不安となって、歓喜に水を差していた。


「あんたに箔をつけるためよ」


 ルドヴィカはあっけらかんとした様子で答える。


「あたしに、箔を?」


「そ。だから行かなかったの」


 シルビアに戦功を与え、名を上げさせるため。


 それは分かるが、何故今なのだ?

 戦歴だってまだ浅い。家を継ぐ貴族じゃあるまいし、手柄がどうのと言うには早すぎる気がするが……。



「あんたを見捨てるわけないでしょ」



 浮かんだ疑問は、ルドヴィカに抱き寄せられたことで消えた。

 たくましく、優しい腕に抱かれて、シルビアの全身から力が抜けていく。


「あんたは、私の娘なんだから」


「分かってる」



 血が繋がっていなくとも。



 産みの親ではないとしても。


 

 ルドヴィカは、自分の母親だ。



「今日はもう寝なさい。しばらくはこの街にいるから」


 シルビアを離したルドヴィカは酒場へ踵を返し、そんなことを言った。


「明日発つんじゃないのか?」


 入口の扉に伸びた、ルドヴィカの手が止まる。


「……それ、モニカが言ったの?」


「あぁ。違うのか?」


 彼女は息をつくと、シルビアに振り向いた。


「えぇ、次に行くはずだった戦がもう終わったらしくてね。目的地が決まらないのよ」


 それだけ答えて、ルドヴィカはさっさと酒場に入ってしまった。


 その後を追おうとしたら、そこにオリビアがやって来た。


「来ないかと思ったぞ」


「えぇ、顔を出しにきたですから。すぐに戻ります。ルドヴィカと何を話していたのですか?」


「今日の戦について話しただけだ。何で訊く?」


 ルドヴィカといい、シルビアが何を話すのかを、何故そんなに気にするのか。


「いえ……。ルドヴィカは?」


「中だ。他の連中もいる」


 急に眠気に襲われて、シルビアは欠伸を噛み殺した。


「あなたは、もう休んだらどうですか? 今日は長い1日だったでしょう」


 戦に加え、敵将との一騎討ちという大一番も乗り切った。

 勝利した高揚感に包まれて気づかなかったが、身体は思っていた以上に疲れていたようだ。


「そうするよ」


 酔いも回ってきた。麦酒ビールを一気に飲んだのがよくなかった。

 

 今夜は久しぶりに熟睡できそうだ。


「シルビア!」


 オリビアの声が背中にぶつかった。

 足を止めて振り返るが、彼女は何も言わない。

 言おうか迷っている、といった感じだ。


「いえ……何でもありません」


 そう言って、オリビアは酒場に入っていく。

 扉の閉まる音が、夜の通りに響く。


「ったく、何だよ」


 釈然としないが、オリビアには明日訊けばいい。



 また欠伸しながら、シルビアは寝床を探して歩き出した。

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