第5話 星空の下#2

 広場から遠ざかると、街は一気に静かになる。

 それは、今が夜だからというだけではない。


 略奪を恐れた住民たちが逃げ出したからだ。


 戦争の慣習の1つに、街が抗戦して陥落した場合、攻め落とした側は3日間の略奪を許される、というものがある。

 奪った物はすべて自分の物にできるため、正規兵も傭兵も、この時ばかりは儲けようと必死になる。


 その間、街は略奪の他に破壊と虐殺にも晒される。

 

 もちろん、される側も黙って耐えるだけではない。奪われるくらいならと財産や物資を燃やし、住民を避難させる。


 今回、この街もそうした策を講じていたようで、食料や酒は残っていたものの、めぼしい金品や住民はとっくに消えていた、というわけだ。


 無人の通りを歩いて、戦勝祝いが行われている酒場に向かう。



 グレムント・ヴィエスラスを、敵将を討った。


 それも1人で、誰の手も借りずに。


 オリビアの言った通り、今夜はシルビアが主役だ。


 酒場に行ったら何と言われるだろう。



 よくやった!



 大したもんだ!



 見知らぬ傭兵たちからそんな賛辞を投げられて、乾杯されるのだろうか。


 きっと、ルドヴィカやモニカも褒めてくれる。


 そんな光景を胸に抱くシルビアは、酒場の扉を押して店内に入った。


 すぐに焼けた肉や煙草の臭い、乾杯の音と歓談の声が耳鼻を突いた。

 店主や給仕はもちろんいない。正規兵と傭兵たちが店を占拠して、腕に覚えのある者が勝手に料理を振る舞い、各々が勝手に酒樽から酒を汲んでいる。


 それだけだ。


 誰もシルビアのことなど見ていない。存在にすら気づいていない。

 そばにいた何人かが、開いた扉に反応して一瞥をくれてきただけだ。

 

 称賛も、歓迎もない。


 ――んだよ。


 少なくとも今日は、誰よりも戦果を挙げたのだ。

 誰か1人くらい、肩を叩いて「よくやったな」と言ってくれてもいいだろう。

 

 それを自分から求めるのはみっともないので、シルビアは黙って、しかし不満を露わに店の奥へと進む。



「……【魔女】だ」



 背中に、誰かの呟きがぶつかった。


 思わず足を止める。


 今、何と言われた?



 魔女。



 確かに、そう聞こえた。



 ――あたしのことだ。


 嫌な気分などしなかった。



 二つ名を与えられた、と思ったから。



 平民は家名を持たない。


 だから、個人を区別するため二つ名、異名が付けられることがある。

 特に傭兵の世界ではその傾向が強い。そうした名は自身を表す記号という以上に、実力や評判を知らしめるものになるからだ。

 そうした二つ名は、戦果や活躍を知った他人から自然と呼ばれて――たまに自ら名乗る者もいるが――広まっていくものだ。


 そうなるためには当然、一線級の腕前が不可欠となる。


 シルビアはその仲間入りを果たした。


 少なくとも、シルビア自身はそう感じた。

 

 魔女。


 その名を反芻してみる。



 【魔女】シルビア。


 

 ――いいな。


 最高だ。


 外に飛び出して、思い切り叫びたいくらいだ。



「シルビア」


 歓喜に浸っていると、先に祝いに参加していたモニカがやって来た。

 兜は脱いでおり、綺麗に切り揃えられた純白の髪が肩に垂れている。




 傭兵ばかりのここで、彼女は際立っていた。



 男に劣らぬ長身。



 女も惚れる美貌。



 そして何より、粗野な傭兵では決して持ち得ない気品。



 モニカは【黒騎士】の異名を持つ。身にまとっている黒い甲冑だけでなく、昔は実際に叙任された騎士だったというのがその由来だ。


 そうなら、少なくとも家は裕福なはずだった。騎士の叙任に身分は関係ないが、馬や武具を維持するにはそれなりの金が必要になる。

 そんな彼女が何故、傭兵などに身をやつすことになったのか、シルビアは知らないし、興味もなかった。


 モニカは大切な仲間であり、ルドヴィカと同じ頼れる師でもある。


 それさえ分かっていれば十分だ。



「今日は大活躍だったわね」



 酒杯グラス麦酒杯ジョッキを持っているモニカは、麦酒杯ジョッキをシルビアに渡してきた。

 その中身を一応確かめて、やはりとシルビアは顔をしかめる。



「そっちくれよ。何で麦酒ビールなんか」



「そのうち慣れるわ。いつまでも果汁ジュースばかり飲んでいたらバカにされるわよ?」



 こんな黄色い液体のどこが美味いのか。ただの苦い汁ではないか。


 成人と見なされる14歳になったことを機に、実戦への参加を許されたシルビアは、初陣の祝宴の時に、ルドヴィカから初めて麦酒ビールを飲まされた。

 そのときはあまりの苦さに飲み込めず、吐き出してしまった。

 今では喉に通せるようにはなったが、それでもマズいことに変わりはない。



「明日からはどうするんだ? もう契約は終わったんだろ」



 軍と交わした契約期間は、この街を攻め落とすまで、だったはずだ。



「えぇ、朝には街を発つわ。ルドヴィカは次の依頼を見つけているみたいだから、それまでゆっくり休みましょう」



「ずいぶん楽だったな。あんな奴ら、束になってかかってきても勝てたぜ」



 といっても、グレムントとの一戦はどうなることか思ったが……。


 豪語したシルビアにモニカは同意するどころか、途端に険しい顔を見せた。 



「……いい機会だから、この際に言っておくわ」



 どうしたのかと訊く前に、彼女は酒杯グラスを近くの円卓に置いて、腕を組んだ。

 いつもは優しい赤い瞳が、どこまでも冷たく見えた。



「何だよ、怖い顔して」



「シルビア、あなたは自分が強いと思う?」



 そんなはずがない、という嘲りではなく純粋な質問に聞こえたので、シルビアは素直に頷いた。


 決して自惚れてなどいない。


 ルドヴィカ率いるリュミエールの不死鳥は、最強と名高い傭兵団の1つだ。

 自分とオリビアは、そんな彼女たちに赤子の頃に拾われて、今日まで育てられてきた。

 ルドヴィカとモニカ、その他の選りすぐりの傭兵たちに囲まれて。



 そんな環境で育ったのだから、弱いはずがない。


 しかし、モニカは何故か嘆息する。


「そうね、確かにあなたは腕が立つ」


 でも、と彼女は続けた。


「実戦においては技量がすべてじゃないの。経験や判断力も必要だし、あなたにはどっちも足りてない。経験が足りないのはまだ仕方ないけれど、判断力が足りないのは問題だわ。あなたがそれに気づいていないことも含めてね」


「そんなこと分かってるよ」


 痛いところを突かれて、それでもシルビアは反駁した。


「分かっているなら何で、あのとき1人で突っ込んだの?」


 答えられなかった。


「どうせ、右手があるから勝てると思ったんでしょ」


 モニカの攻勢は緩まない。


 聞いているうちに、だんだんシルビアの中に苛立ちが湧いてきた。



 今日は敵将を討ち取って、戦を勝利に導き、二つ名まで与えられた。


 

 その祝いがこれか。



 誰も褒めてくれず、しかしモニカならと思っていたシルビアは、裏切られたような気がしてならなかった。


「ちょっと、聞いてるの?」


「聞いてるよ。ったく、こんなときに説教かよ」


「こんなときだから言ってるのよ!」


 声を荒げたモニカに、シルビアは身を竦ませた。

 周囲も1度は彼女に注目したが、すぐに自分たちの会話に戻っていく。


「……あなたは無謀すぎるわ。このままじゃ、近いうちに死ぬわよ」


 モニカは円卓に置いた酒杯グラスを手に取る。


「いつまでも、私たちが守ってあげられるわけじゃないんだから」


 そう言い残して、立ち去ってしまった。

 しばらく、シルビアはその場を動けなかった。


 死。


 あのとき、そいつはすぐそばまで来ていた。

 槍兵に囲まれて、反撃の手段を失っていた。

 ルドヴィカとモニカが来てくれなければ、シルビアは今ここにいなかったはずだ。


 改めて思い返すと背筋が凍る。

 それを溶かそうと、シルビアは苦い麦酒ビールを一気に飲み干した。



「シルビア」


 振り返ると、今度はルドヴィカが険しい顔をして立っていた。

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