第4話 星空の下#1

 戦に勝ったからといって、戦争が終わるわけではない。


 降伏した敵の処遇を考えなければならないし、今回のように街を陥落させた場合は、ここにどのくらいの兵糧、物資があるのかを確認しなければならない。

 まぁ、それは上の連中がやることで、ただの傭兵が気にすることではない。


 そんなわけで、シルビアは今もう一つの戦に身を投じていた。


 負傷者の治療である。


 瀕死の者から軽傷の者までが街の中心部にある広場に横たわり、あるいは座り込んでいる。軽傷者の中には戦の疲れからか、そのまま眠りこけている者もいた。

 

 そんな彼らの隙間を縫うように、看護婦たちが慌ただしく行き交っている。

 あらゆる状況が一刻を争い、怒号や悲鳴が飛び交う様は、まさに戦場である。


 本来の戦は昼過ぎに終わり、もう陽は暮れているのだが、彼女たちの戦いはまだ終わる気配を見せていない。


「ここを押さえていてください」


 シルビアは、手伝っている尼僧姿の少女に言われるままに、松明に照らされた負傷者の傷口を手で押さえる。

 出血は止まっておらず、血管の拍動がはめている長手袋越しに伝わってくる。



 治療に当たっている尼僧の少女は修道女ではない。シルビアと同じ傭兵だ。


 

 生業だけではない。


 顔立ちも、白金色の髪も、群青色の瞳も、すべてが瓜二つ。


 それもそのはずで、少女はオリビアという、シルビアの双子の姉なのだ。



 しかし外見こそ似ているものの、その他は対照的だった。



 例えば印象。


 相手を警戒させるような、攻撃的なシルビアに対して、オリビアは相手を包み込むような、優しい雰囲気を漂わせている。


 オリビアは医者だ。


 前線では戦うのではなく、後方で負傷者を治癒するのが仕事だ。

 それが彼女の望みであり、また左手に宿る異能にとっても都合がいい。


「シルビア」


 治療の準備が整ったオリビアと場所を代わる。


 出血は未だ止まらない。

 痛々しく開く傷口に、オリビアは躊躇いなく左手で触れた。



 それだけで、血が止まる。



 かさぶたが出来たかと思えばすぐに剥がれて、傷は痕もなく消え去った。

 披露された奇跡に、見ていた周囲が感嘆の声を上げる。


 左手で触れた傷を止血し、癒してしまう。


 それがオリビアの持つ異能だ。


「……俺は、助かったんだな。ありがとう」


 傷は治された負傷者は礼を述べて、彼女に手を伸ばす。


「はい、もう大丈夫ですよ。安静にしていれば、元気になりますからね」


 その手を、オリビアは優しく取って微笑んだ。


 未だ緊張感が漂う広場だが、ここだけは弛緩した空気が流れている。



「いいから、そこをどけ!」



 そんな空気を吹っ飛ばすような怒声が広場中に響いた。


「ですが、順番を守っていただかないと……」


「私は騎士だぞ! この傷が元で死んだら、貴様に責任が取れるのか!?」


 見ると、甲冑に身を包んだ男が看護婦に詰め寄っていた。

 剣で斬られたのか、その頬からは血が流れている。しかし、これだけ騒げるということは、大したことはないのだろう。


「もういい、貴様じゃ話にならん! 看護婦長は誰だ!」


 注目を一身に受けながら、それでも男は怒鳴り散らす。


 すぐに立ち上がったオリビアは、毅然とした足取りで彼に向かっていった。


「お名前をお聞かせ願えますか?」


「ゆ、ユーリック・ウェストリングだ。何だ、こんな娘が婦長なのか?」


 少女のオリビアを前に、男は怒りを忘れ、戸惑いを見せた。


「では、ユーリックさん。その傷は軽傷です。痕は残るかもしれませんが、死ぬことはありませんから安心なさってください」


「私は、ウェストリング家の三男だぞ。父はかのユリウス・ウェストリングだ。こいつらよりも地位は遥かに上なのだから、優先されて然るべきだろう!」


 ユーリックはすぐに元の威勢を取り戻した。

 

 同じように名乗ったグレムントにはあった誇りや威厳、矜持は、ユーリックからはまるで感じられない。

 それはきっと、肩書きに見合う中身ではないからだ、とシルビアは思った。


「彼らも同じ人で、同じ命です。救われる権利は平等にあります。私の監督下にある以上は、最も傷の深い人を優先します」


「貴様……ッ!」


 1歩も引かぬオリビアの態度に、ユーリックはますます怒りを募らせていく。


 他の大勢と共に成り行きを見守るシルビアは、右の手袋を外して拳を握っていた。



 ――もしオリビアに手を上げたら、こいつもグレムントと同じ目に遭わせてやる。



 相手が誰だろうと関係ない。


 姉に手を出されて黙っていられるほど、こっちは大人しくないのだ。


「……ユーリック様」


 彼の後ろに控えていた従者が周りを見回す。


 ユーリックの身勝手な振る舞いには、誰もが冷ややかな視線を浴びせていた。看護婦や傭兵はもちろん、彼に付き従っているはずの正規兵までも。


 それは分かっていたのか、ユーリックは「なるべく早く来い」と吐き捨てて、すぐに広場から去っていった。


「大丈夫か?」


「はい」


 シルビアが身を案じると、オリビアは何でもないように答える。


 こういった騒ぎは日常茶飯事だと聞く。彼女も慣れてしまっているのだろう。


「ったく、坊ちゃまが騒ぎやがって」


「経験や知識が足りなければ、傷に怯えるのは当然です」


 新たな負傷者を診ながら、オリビアはユーリックを庇った。


「シルビア、手伝ってくれてありがとうございました。ここはもう大丈夫ですから、戦勝祝いに行ってください。今日はあなたが主役でしょう?」


 敵将を討ち取るという最高の戦果を挙げたシルビアは、主役と言われて頬を緩めた。


「分かったよ、先に行ってるぞ」

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