第3話 魔女と呼ばれた日#3
「では、行くぞ!」
グレムントが突進してくる。
速い!
巨大な剣も、黄金の鎧も、そして自身の巨体も、ものともせずに迫って来る!
大地が揺れている!
竦みそうになった足に活を入れて、右に跳ぶ。
刹那、直前までいた場所に剣が叩きつけられた。
剣とは思えぬ凄まじい轟音がして、石畳は真っ二つにされ、むき出しになった土に刀身がめり込んだ。
見た目通りのとんでもない威力だ。
食らえば、剣で受ければ、シルビアごときは簡単に両断されてしまうだろう。
だが勝機はある。
この手の武器はどうしても一撃が大振りになりがちだ。
攻撃から次の攻撃までに、大きな隙が――。
地面から、剣が飛び出してきた。
「クソッ!」
必死に身体を引いて、倒れるように後ろへ避けた。
着地のことなど考えている暇はなく、シルビアは地面に飛び込む。
転がって、素早く立ち上がる。
グレムントが1歩踏み出す。
それだけで、シルビアとの間合いが大きく詰まる。
大上段から剣が振り下ろされる。
さながら断頭台のように刃が落ちてくる。
早い!
慌てて身を捩って、回転するように右に躱す。
――なんて奴だ。
グレムントは大振り故の隙を、腕力に物を言わせて無理やり殺しているのか。
「小柄なだけあって、さすがに素早いな」
振り下ろされた巨剣越しに、グレムントと目が合う。
「だが、避けてばかりでは俺を討てんぞ!」
グレムントが剣を振りかぶる。
横に薙がれるかと思ったが、すぐに違うと分かった。
地面を抉りながら、剣を斬り上げてきたのだ!
石畳の破片と土を巻き上げて、巨剣が頭上高くに振り上げられる!
「このバカ力が!」
悪態をつきながらも回避する。
石の欠片が頬を打ち、土が目に入る。
すぐに涙が出てきて、シルビアは慌てて拭った。
視界の確保は何より重要だった。
何も見えなくなれば、次に見えるのはあの世だ。
グレムントが剣を担ぎながら息をつく。
シルビアも呼吸を整えて、策を考えようとする。
しかし、思い浮かばない。
反撃の手段がない。
グレムントは鎧を着込んでいるから、刃は通らない。
だが、グレムントの鍛え抜かれた身体に通用するかと言ったら、否だろう。
シルビアの剣は軽いし、相当な力がなければ、グレムントは虫に刺された程度にしか思わないかもしれない。
鎧の隙間を狙うにも、刀身が太すぎて通らない。
剣がダメなら右手の異能がある。
しかし、異能は直接触れなければ発動しない。鎧越しでは効果がないのだ。
グレムントは兜を被っていないが、頭には体格差のせいで手が届かない。
――じゃあどうする。
もっと考えろ。
剣はどうやっても通じない。
だから、倒すなら右手を使うしかない。
なら、どうやって戦う?
考えろ。
――考えろ、あたし!
巨剣が暴れる。
左右に連続して振るわれて、地面を抉る。
太い刃は鈍器のように叩きつけられて、豪快な音を響かせる。
「……そうか」
簡単なことだった。
高すぎて手が届かないのなら、跳べばいい。
そのための踏み台が、目の前にあるではないか。
我ながらバカげた策だと思う。
だが、まともに戦っても勝ち目がないのなら、バカをやるしかない。
剣を納める。
その行動に、グレムントは眉をひそめた。
「どうした、諦めたのか? 悪魔の手とやらも使わずに?」
そう問いかけてくる彼は拍子抜けしたようで、不満そうだった。
「諦めてなんかいねぇよ」
右手を握る。
そして、ゆっくり開く。
大丈夫。
きっとできる。
「その悪魔ってヤツを、これからお前に見せてやる」
不敵に笑ったシルビアに、グレムントも笑って応えた。
「その意気や良し。だが、その前に貴様を断ち斬る!」
これは、いわば不意打ちだ。
だから
――あたしならやれる。
自分に言い聞かせて、シルビアは待つ。
巨剣が再び振るわれる。
二度、三度。
石畳に打ち付けられた剣が、動きを止めた。
――今だ!
力の限り跳躍する。
刀身の上に乗ったシルビアは、グレムントに向かって走り出す。
あと3歩。
グレムントの驚いた顔が見える。
残り2歩。
太い腕が伸びてくる。
届け。
身をよじり、逞しい手から逃れる。
届け!
最後の1歩は跳んだ。
「届けぇ!」
グレムントは剣を跳ね上げたが、遅い。
シルビアはすでに、空を舞っている!
「うおおおっ!」
グレムントの顔を掴んだ瞬間、鮮やかな赤い花弁が散った。
右手を軸に半回転し、悲鳴を上げるグレムントの背中にしがみつく。
右手の中で血が暴れている。
右腕の痣は赤々と光っている。
巨剣を放り捨てたグレムントは、シルビアを振りほどこうと滅多矢鱈に暴れ回る。
その様は、さながら手負いの獣のよう。
今にも振り落とされそうだった。
右手は顔を掴んだまま、左腕で彼の太い首を絞めつけて、両足を腰に絡ませる。
景色が回る。
視界が揺れる。
平衡感覚が狂ってきた。
右手は流血の感触しかない。
グレムントの胸当ては真っ赤に染まり、足元には血が広がっている。
にもかかわらず、彼の勢いを衰える様子がない。
――こいつ、まだ死なねぇのかよ!
常人ならとっくに失血死しているはずだ。
体格も腕力も規格外なら、生命力もまた然り、ということか。
両軍の兵士が目に入る。
彼らは戦う手を止めて、この死闘に見入っている。
グレムントの兵たちは我らが将を助けようとしていたが、ルドヴィカたちが阻んでいて、出来ないでいる様子だった。
戦場の誰もが見守る中、それまで激しい抵抗を見せていたグレムントの動きがついに止まった。
配下の兵たちに向かって膝を折り、シルビアが飛び降りると同時に地に伏せる。
それから彼は、指1本動かなくなった。
その死に様は――殺したシルビア本人からしても――惨いものだった。
眼球は破裂して、真っ暗な眼窩だけが残っている。
鼻は半分千切れていて、唇はなくなり歯茎までむき出しになっている。
無事に残っているのは耳だけで、他は真っ赤に潰されて、黄金の甲冑も同じように染め上げられていた。
「ヴィ、ヴィエスラス様……」
「嘘だろ……」
変わり果てたグレムントの姿に、兵たちは震えた声で口々に漏らす。
彼らを、シルビアは真正面から睨みつけた。
両腕はグレムントの血にまみれて、五指の先から滴っている。
彼らは得物を向けようともしない。
一斉に襲いかかれば、仇のシルビアだけでも討てるはずだ。
だが、しない。しようとしない。
彼らに蔓延る恐怖が、そうさせない。
1人、また1人と武器を落とす。
1歩、1歩と後ずさる。
「ま、魔女だ……」
それは誰かが発した、風に消えるくらい小さな声だった。
それでも、潰走のきっかけには十分だった。
無秩序に、しかし一目散に、敵兵たちは丸ごと逃げ出した。
互いにぶつかり、転び、腰を抜かしたのか動かない者もいる。
その誰もがシルビアに恐怖し、戦意を失っていた。
――終わったのか。
その光景を前に、勝利をもたらした張本人は、そう感じた。
喜ぶわけでも、祝うわけでもない。
戦を生き延びたという事実。
それだけを、ただ噛み締めていた。
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