第2話 魔女と呼ばれた日#2

「まさか本当にいるとはな!」


 荒れる戦場に、場違いとも言える堂々とした、爽やかな男の声が響いた。


「話は聞いていた。触れただけで人を屠れる、悪魔の娘がいると。だが流言デマだと思っていたぞ」


 敵兵の群れを割って、巨人が現れた。


 もちろん御伽話の類ではない。ちゃんとした人間だ。

 だが、そう呼べるほどの巨漢だった。


 黄金の鎧に身を包んだその男は、周りの兵士たちより頭1つか、2つ分は高い。

 四肢は巨木と見まがうほどに太く、胸板は鎧越しに見ても、鋼鉄並みに頑強なのではと思わされるほどに厚そうだ。


「俺はグレムント・ヴィエスラス!」


 男は高らかに名乗った。


「この地を治めるライゼリヒ・ヴィエスラス候の長子! この兵たちの将だ!」


 こんな口上に付き合ってやる義理はない。今なら首を獲れる。

 彼は背負っている剣を抜いていないのだから。


 殺せば、不意打ちした卑怯者と言われるだろう。


 しかし、これは戦争だ。

 命が懸かっている。そして金も。


 誇り高い騎士ならともかく、戦争屋たる傭兵が気にすることではない。


 それは分かっている。

 分かっていても、シルビアは動けなかった。


 この男は、まったく隙を感じさせない。


 シルビアが襲おうが、仮に背を狙われようが、彼は易々と刃を防ぐだろう。

 グレムント・ヴィエスラスの武勇を聞いたことはないが、そう思わせるだけの気迫が、この大男にはあった。


「娘! 貴様の名を聞こう!」


 腕を組み、男は快活な笑みを浮かべて言った。

 こうなっては、シルビアも答えるしかない。


「シルビアだ。リュミエールの不死鳥で働いてる」


 グレムントの眉がピクリと動く。


「ほう、あのリュミエールの不死鳥か!」


 彼は芝居のように、その名を繰り返した。


「貴様らの名声はこの地にも届いているぞ。【炎剣】ルドヴィカ! 【黒騎士】モニカ! 誰もが一騎当千の活躍をする、精鋭揃いの傭兵団だそうだな。その若さで仲間入りを果たすとは素晴らしい! 感服するよ」


 ――なんだこいつは。


 今の彼らは、シルビアたちの軍に防壁を破られて、街への侵入を許している。

 劣勢に立たされているはずなのに、この余裕は何だ?


「傭兵ならば、俺につく気はないか? 無論、相応の報酬は約束しよう」


 何か罠があるのかと警戒するシルビアに、グレムントは何でもないように裏切りを持ちかけてきた。


 驚きはしない。金で動く傭兵に、こういった話は付き物だ。

 特に劣勢に立たされている場合などは、甘言に惑わされる奴も多い。


「あたしらがやとわれだからって、簡単に金になびくと思ってんのか? 舐めんじゃねぇぞ」


 金で動く傭兵はしかし、だからこそ信用を重んじる。

 雇い主からすれば、腕は良いがすぐ逃げたり裏切ったりする奴より、多少腕が悪くとも最後まで勇猛果敢に戦う奴の方がいいに決まっている。


 だから誠実な傭兵は、仲間からだけでなく雇い主からも敬意を払われる。


 一方、信用のない奴はどんなに腕が立とうと、捨て駒にされるのがオチだ。


 だから傭兵にとって、信用や評判は何よりも重要なのだ。

 少なくともルドヴィカはそう考えているし、シルビアもそう教わった。


「そうか、なら仕方ない」


 グレムントは素直に引き下がると、背中の剣を抜いた。


 驚くべき大きさだった。


 刀身だけで、彼の背丈と同じくらいの長さがある。

 刃の厚さは普通の剣の倍以上、幅は人の身幅と変わらない。

 重量も半端ではないだろう。常人なら持ち上げることすらできないはずだ。


「シルビアと言ったな。貴様のような娘を斬るのは心が痛む。だが、噂通りの摩訶不思議な力を使うというなら、捨て置くわけにはいかん」


 グレムントは両手で巨剣を構えて、それまで浮かべていた笑みを消した。


「さぁ構えろ、傭兵」


 シルビアは思わず、辺りを見回した。

 ルドヴィカもモニカも、別の場所で別の敵と戦っている。


「あたしはまだ14だぞ。お前がわざわざ相手するほどじゃねぇだろ」


 これまで感じたことのない恐怖心が、命乞いとして口をついて出た。


「その14歳に、我が軍は大勢が討ち取られ、恐怖しているのだ」


 グレムントの判断は変わらない。


「そして俺は、どんな相手も決して見くびらず、手を抜かずに戦う。俺からすれば貴様も立派な兵士の1人だ。歳や性別など関係ない」


 その言葉からは、シルビアに対する確かな敬意を感じた。


 たとえ敵であろうと、自分を認めてもらえるのは光栄なことだ。

 光栄なことだが……。


 ――あたしは勝てるのか。


 シルビアの首を、一筋の汗が伝った。


 体格差は大した問題ではない。

 戦いにおいて、大柄が絶対に有利ということはないからだ。

 確かに迫力はあるが、それはそれで戦いようがある。


 だが、技量や経験の差は、明確な優劣となって表れる。

 戦場に出てたった3か月しか経っていないシルビアが、将を務めるほどの実力を持つグレムントに勝てるのか。


 縋る思いで、再びルドヴィカの方を見やった。

 この状況に気づいたモニカが何か言っているようだが、ルドヴィカは意に介さず、こっちに来る気配もない。


 つまり、戦えということだ。

 まさかシルビアが勝てると思っているのだろうか。


 ――ふざけんな!


 無茶を突きつけてきた彼女を、呪わんばかりに睨みつける。

 だが彼女を呪ったって、この状況は変わらない。


 正面に立つグレムントに視線を戻す。

 本当に1対1だ。

 さっきみたいな助けは来ない。

 それを自覚すると、ルドヴィカへの怒りは吹っ飛んで、恐怖だけが残った。



 手足が震える。


 食った物が腹から出てきそうだ。


 

 どう戦う?


 どう制する?


 どう生き延びる?



 分からない。


 何を考えても、何も思いつかない。

 勝ち筋が見えない。


 ――このままじゃダメだ。


 息を吸う。

 深く、深く息を吸い込む。

 全身の空気を入れ替えるつもりで、ゆっくりと呼吸する。

 

 そうして吐き出したときには、シルビアは平静を取り戻していた。

 自分でも顔つきが変わったのが分かる。


 やれる。

 己を信じろ。


 シルビアの準備が整ったと分かってか、グレムントはわずかに口角を上げた。 

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