聖魔の姉妹

桜火

第1話 魔女と呼ばれた日#1

 血の味がした。


 口を切ったわけではなく、他人の血が入ったからだ。

 目の前には、その血の主である敵兵。

 

 彼は首からおびただしい量の血を流しながら、光の消えた目で、自らを殺した少女を見つめている。

 少女が首を掴んでいた右手を放すと、すでに事切れていた彼は通りの真ん中で倒れ込む。


 ここは戦場だ。


 戦場と化した街だ。


 怒号と悲鳴が飛び交い、剣が打ち合わされ、鉄靴かなぐつが石畳を打ち鳴らす。


 敵兵がまた1人、少女に斬りかかる。

 刃を弾くと、少女はさっきと同じように、首を絞めるように右手で掴んだ。



 その瞬間、血が弾けた。



 水で満たした革袋を切り裂いたように、彼の首から血が流れ落ちる。

 右手を覆い尽くした鮮血に、少女は思わず顔をしかめた。

 戦争や殺しには慣れてきたところだが、この生温かい感触ばかりはどうにも慣れない。


 右腕の痣が、鈍く赤く光っている。

 肩から手首まで絡みつくように広がっている炎模様の痣だ。


 口からあぶくを噴いていた敵兵は、最期は自らの血で溺れ死んでいった。


 少女には、ある特別な力があった。

 右手で触るだけで、相手に出血を強いることができるのだ。


 敵は恐れをなして後退していく。

 それを好機と見て、少女は敵陣の奥へと突貫した。

 左手に携えた直剣を、あるいは右手の異能を存分に振るって、彼らを次々に血の海へと沈めていく。

 屈強な兵士たちはたかが14歳の小娘を相手にできず、さらに下がる。


 それが快感だった。

 大の男どもを恐怖に屈させ、おののかせることが。

 最前線で暴れ回り、この戦争を支配しているような感覚が。


 白金色の髪から返り血を滴らせ、少女は笑い声を上げる。


 気分は最高潮。

 調子は絶好調。


 赤い夜会服ドレスが乱れていることを気にも留めず、興奮のままに敵陣を荒らす。


 そして、マズいと気づいたときには遅かった。


 槍兵に囲まれたのだ。


 数は五人。

 包囲は甘いが、槍の長さ故、突破される前に貫かれてしまうだろう。


 左の直剣では、短すぎて太刀打ちできない。

 ましてや右手など、届くはずもない。


 あっという間に串刺しにされる。

 

 ここまで1人で来たものだから、味方はまだ後方だ。


 周りには敵しかいない。


 そうと分かった瞬間、恐怖が襲ってきた。

 死の息遣いが、すぐそばで聞こえてきた。


 5人分の足が、一歩前に踏み出される。


 ――ここで死ぬのか。


 意外にも、死を悟った心中は穏やかだった。

 

 1歩も動けぬ少女の脳裏を、仲間の顔や過去の思い出が駆け抜けていく。


 そして、腹を刺し抜かれた。


 少女ではなく、敵が。


 2人の女が槍兵たちを切り裂いて、紅血を散らせていた。


「シルビア!」


 そのうちの1人に名を呼ばれる。

 大柄な、壮年の女だ。


「いつまで突っ立ってんのよ!」


 少女――シルビアが口を開く前に、女はさらに怒りを重ねる。


「あんたにも金払ってんだから、それなりの働きを見せなさいよ!」


 シルビアは傭兵だった。

 双子の姉と共に傭兵団で育ち、3か月前に実戦への参加を許された。


 そしてこの女が、その傭兵団の長であり、名をルドヴィカといった。


「シルビア、大丈夫!?」


 もう1人は黒い甲冑を着込んだ女。

 面頬に隠れて顔は見えないが、誰かはすぐに分かった。


 同じ傭兵団のモニカだ。


「ケガはなさそうね。――1人で突っ込むなんて何考えてるのよ! 死にたいの!?」


「……悪かったよ」


 彼女からも叱責されて、シルビアは気まずさに目を逸らした。反論の1つも出てこなかった。


「ったく。モニカ、行くわよ」


 両手剣を構えて、ルドヴィカが敵兵に突撃する。

 彼女の刃が風を切るたびに悲鳴が上がり、首が舞い、血が飛んでいく。


 シルビアも負けじと後に続く。


「うおおおっ!」


 雄叫びを上げて、身体が一回りも大きい敵兵に、猛然と襲いかかる。

 剣がぶつかって甲高い音を立てた。

 

 シルビアの剣は両刃の直剣で、波打つ刃が特徴的だ。

 また、右手そのものが武器となる以上、どうしても左手だけで剣を扱わなければならない。そのため、一般的な剣よりも軽く作られている。


 これは初陣の前夜、ルドヴィカから贈られた剣だった。


 相手の剣戟を受けて、弾き、斬り返す。


 さっきと違い、冷静だ。

 日々の鍛錬の成果を、確実に発揮できている。


 わずかな隙を突き、相手の胴に剣を振り下ろす。

 刃は鎧に阻まれて、軽い剣では大した打撃も与えられない。実際、敵はよろめいただけだ。


 だが、それだけで十分だった。


 右手で首を掴む。

 そうして死んだ彼を放ると、息つく間もなく新手が襲ってきた。


 今度は2人。

 シルビアがただのガキと見くびっているのか、威勢はいいが動きが雑だ。

 

 それが命取りになる。


 刃を受け流し、右手で素早く1人の顔を掴む。

 力を加える必要はない。触るだけで相手は出血するのだ。


 彼の鼻と口が破裂して、両腕がだらりと下がる。


「ひいっ!」


 戦友の惨死を目の当たりにして、もう1人は腰を抜かした。

 その喉元に、容赦なく剣を突き立てる。


 視線を上げると、目が合った新たな敵が慌てて退いていった。


「次に殺されたい奴は誰だ!」


 敵を威嚇し、自分を鼓舞するため、シルビアは両手を上げて吠えた。


 そんなシルビアに向かってくる者は、もういない。

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