牢獄の勧誘
真っ暗な空間、それは俺が目を閉じているから。しかし、目を開けてもここは暗い。なぜなのか…ここが牢獄だからだ。
「うぅぅ…体がいてぇ…」
体が痛いということは自分が生きているという事。ユイシャって将軍も命をよこせと言ったわりには随分と甘い事をするものだ。
腫れた腕をレンガの地面にくっつけて冷やす。姫様に拾われて騎士になる前には何度もこうやって傷を癒していたものだ。
「懐かしいな…」
これぐらい汚い場所で、剣闘士をしていた記憶が呼び起こされる。かつて、命を懸けて誰のためとも言わず戦っていた日々。自分の事だけで精一杯だったの男が俺だ。
そんな、俺を拾ってくれて…太陽の様な笑顔で包み込んでくれた姫様。そんな姫様のために戦って、かつてと同じような場所にまで堕ちた。いや捕虜だからそれ以下かもしれない。
しかし、心は晴れやかだ。だって姫様のために戦えたのだから。
「さっさとここから出る方法を考えなきゃな…」
頭から姫様の笑顔が消えない。あの笑顔をもう一度見たいがために気持ちだけは折れない。
その時、不意に隣の牢屋から声がかかる。
「あんた…新入りさんかい?」
姿は見えないが声だけが聞こえる。男の声だ。軽薄そうな男の声。
「ここから出るって聞こえたが本気かい?」
「当たり前だ…俺にはまだやりたいことがいっぱいあるからな」
「そうかい…確かにここは模範囚が繋がれているところで、警備は大したことないけどね」
「それだったら好都合だ。なおさら脱獄してきたくなってきたな。」
俺は床に頬をくっ付けたまんま大言壮語を抜かす。
「そうかい…ここでの暮らしも悪くないものさ。外での生活を諦めるという選択肢そういうのもあると思うんだけどね?」
「そんな選択肢は無い…ここには姫様がいない」
「姫様?アーデル帝国のお姫様の事か?」
「ちげーよ…姫様って言えばミーゼル皇国の…まあいいや、とにかく俺はここから出るつもりだ。どうにかしてな…。」
そう言い放つ。その時だ。
「私の前でずいぶんな口を利くではないか?」
ガラガラと俺の牢屋の鉄格子が開く。
歩き入ってくるのは漆黒の軍服を身に纏った女性。ユイシャ将軍だった。黒い髪は僅かな光を照り返し僅かに輝いている。
軍服も軍帽も髪色もすべて真っ黒。しかし、彼女はこの地下牢獄の闇に飲まれることない圧倒的な存在を示していた。
「何の用だ」
「用も何も貴様の命は私のものだ。持ち物を見に来て悪い事があるか?」
「そうかい…なら勝手に見てろ」
ぶっきらぼうに返答をする。いくらこいつが美しい女性だといっても、敵国の将軍で俺と相いれることは無い。
「まあ、そんなカリカリしないでくれ。これから一生の仲なのだぞ?私は死ぬまでお前を手放す気はないのだからな」
「ちぃ…」
ユイシャは俺の体を値踏みするように見回す。
この本当は用事があるのに、本題には入らずおちょくってくる感じがイライラする。言いたいことがあるならサッサと言えよ。
俺はユイシャを催促する。
「もう一度言う、何の用だ。俺はそういうネチネチとしたやり方は嫌いだ。本題へ入れ」
「私としてはこんなやり取りも楽しいものなんだがな」
「俺はまったく楽しくない」
「そうか…なら単刀直入に言わせてもらう。貴様に会ってほしい人がいるのだ」
「誰だ?お前の部下か?それともしょうもない文官か?なんでもいい、会ってやるからさっさと連れて来い」
承諾したと同時にユイシャが俺の後ろに回り込む。よどみない洗練された動きで羽交い絞めにする。
むにゅりとユイシャの双丘が形を変える感触が背中に走る。
「な…何すんだ!?」
「ふふふ…ぐへへ…ふふふ」
「おい、ユイシャ!おい!!ユイシャ!!」
俺を完全に固め、満面の笑みをしたユイシャを何度も呼び掛ける。さっきまであって欲しい人がいるといったわりには急に俺を羽交い絞めにしてこいつのやりたいことがさっぱり分からん
「貴様…そんなに私の名前を読んで耳を孕ませるつもりか?」
「はぁ!?」
「なんて言うのは冗談だ…。羽交い絞めにしたのにはちゃんと理由がある。」
「理由!?理由ってなんだ!」
「黙っていろ…すぐに分かる。ルナ様!!お入りください!!」
ユイシャが牢の外に呼びかける。
「もう待たなくてよいのか?ユイシャよ」
鉄格子の隙間から金髪の少女が顔を覗かせる。年は姫様と同じほどで俺より少し年下程だろうか。しかし、姫様と違った猫目はいたずらっ子を思い起こさせる。
頭には銀のティアラ、服装も軽めではあるが生地の良いドレス。間違いなく、この牢獄には似つかわしくなかった。
「ユイシャ?誰だ…あれは」
「し!静かにしていろ。発言を求められた時だけ答えるのだ」
ユイシャは俺の口に手を当てる。
「ルナ様…どうぞお話しください」
「そうか?なら話させてもらおうかの?」
ルナ様?なんか聞き覚えのある名前だな。しかし、とりあえず俺に発言権は無い。黙って聞くことにしよう。
「わらわの名はルナ・アーデル!この国の第一王女じゃ!どうじゃ!参ったか!ほほほほほ~~」
眼前の少女が名乗りと同時に高笑いする。ルナ…アーデル?第一王女?思わない来客に唖然としてしまう。なんでこんな所に?いやそれよりも、俺に会いに来たのはなぜ?
どういう意図だ。裏を勘繰るが、全く分からない。というか驚きで思考が回らない。
しかし、俺が何も言えずにぼーっとしているとルナ様は急に涙ぐみ始める。
「ぐす…ぐす…ユイシャ!アイトは何も言わんではないか!お前が言うから名乗りの練習したのに!お前が『ルナ様が会いに行けばアイトは尻尾振るはずです』っていうから来たのに…。全然ではないか!!!ぐすり…ぐすん」
ユイシャが後ろから耳に口を近づける。
「おい、アイト……ルナ様を慰めて差し上げろ。」
「はぁ!?」
「アイトのせいで泣いてしまったではないか?」
「え!?俺のせい!?」
「そうだ、どう考えてもアイトのせいだろう?ほらさっさと慰めろ!」
ユイシャが抑えていた口から手を離す。
「お…王女様でしたか?お…驚きました。まさか俺なんかに会いに来てくれるなんて。わーい!わーい!ウレシイナー!」
自分で驚くほどの棒演技だった。耳元でユイシャが「いや、演技が下手なアイトも可愛いが、今はちゃんとルナ様を慰めろ!!」と叱責する。しかたねーだろ。こちとら生粋の武人なんだから!
しかし、ルナ様は涙を拭ったかと思うと満面の笑みを浮かべる。
「おおお!!ほんとじゃ!!ユイシャの言った通りじゃの!!やっぱりわらわの高貴さが効いているのかの?」
「あ、はい…」
「そーじゃろー!そーじゃろーて!高貴なわらわ…罪な女なのじゃ!」
耳元でユイシャが「ルナ様がアホの子で助かったな」と安堵の声を漏らす。こいつ…実は心の中ではこの王女様を舐めてるだろ。
そんな俺たちの様子を気にも留めずに王女様は話を続ける。
「そこで、そんなわらわからアイトに向けて一つ頼みがあるのだ!」
「はぁ…何でしょう」
「それはの…それはの…そなたにわらわの近衛騎士になって欲しいのじゃ!」
近衛騎士…彼女の身を最も側で守る騎士だ。捕虜の俺にありえないほどの好待遇を提示してくれる。近衛騎士に成れば、この牢の外に出ることも可能。場合によっては、また姫様に会うことができるかもしれない。当然、俺の答えは決まっている。
「嫌です!」
「え?」
「だから近衛騎士にはなりません」
「き…聞き間違いかのぉ…?のぉ…ユイシャよ。今のはわらわの聞き間違いかのぉ?」
「おい!アイト!!今ならまだ間に合う良く考えろ!!」
王女様は再び涙ぐみ始め、ユイシャは後ろで慌て始めている。恐らく俺は命知らずな事をしているのだろうが、仕方がない。俺にだって譲れないものはある。
「俺の姫は後にも先にもイデア様のみ。お願いをされて引き受ける程俺は尻軽ではない。」
「おい!お前の命は私のものなのだぞ!なら当然姫様にも…」
「ユイシャ…命はくれてやったが忠義まではやった覚えが無い。忠義の無い状態で騎士の仕事をすることはできない。それは俺の生きざまに反する」
そういうとユイシャは黙り込んでしまった。同じ騎士として俺の言葉に納得してしまったのだろう。
王女様はユイシャの援護も得られずに大粒の涙を流し始める。
「うぐ…ぐすぅ…うぐ…ユイシャ…嘘ついたのじゃ!うわぁあああああん!!!!」
「あ、ルナ様!!!」
王女様は泣きながら牢屋から飛び出して行ってしまう。
それ追ってユイシャも飛び出していく。
ああ、やっちまった。騎士に戻る機会をどぶに捨て、王女様を泣かせた。しかし仕方のない事だった。
「でも、仕方ないとは言え心は痛むよな…」
そして痛む心を抑えて俺は再び眠りについた。
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